第五話 チューシー隊長奇伝

 中々の距離を歩いた今も尚、砂漠は目の前に広がっていた。冬の雪、夏の入道雲の如く砂漠を見飽きていたカリーに、ニンバスはある物語を話し始めた。


 名はチューシー。獣の住む王国うち猛獣がいるエリアに生まれた雌である。この世界に於いて獣はあまりに乱雑な種の交尾をかけているものだから、奇形や変種が生まれる事も少なくはなかった。

 しかしそこに、虎と獅子の交じる仲には鼠が産まれた。

 どう言う遺伝子の産まれであるかはもはや分からないが、別段かく家はこの強さを重んじなかった。よってチューシーは愛されて育った。

 だが習い事や学び舎の待遇は良いものではなかった。子どもの基準、速さや強さで競い合っていた歪な社会にはついていけなかった。

 屋上から飛び降りる。これは彼女が多種多様ないじめを受けた果てに決行した最期の行動……となるはずのものだった。

 地面に突く寸前、左足や右腕は即座に受け身をとりチューシーは死を免れた。

 一度死を寸前した鼠は心身逞しく育ち、いつしかいじめっ子を超える位に就くまでとなった。


「おしまい?」

「まだよ。ただの逆転劇じゃつまらないだろ」

 

 ……上位に就いたチューシーは、かつての彼女たちと同じ様な男遊びを繰り返し、日常生活を乱雑に過ごしていた。

 可憐な笑みは歪み、持ち合わせた礼儀は段々少なくなっていった。そんなチューシーの前に立ちはだかった獣が一匹だけいた。

 教室に目立つ白い毛を持ち、やたら艶めかしい体つきをした兎だった。

 チューシーは上位に就いた後も、ただいじめをする事だけは真似せずその位を楽しんでいたが、その弊害は今現れる。

 段々兎が憎く、自分を立ちはだかる壁の様に思えて来た。

 彼女は他者を殴る力を持っていなかった為、代わりに自慢の歯を白兎ゼニスの腕に突き立てた。

『痛ぁい♡』

 痛みを感じる声も艶めかしく、やや色気を感じ始めていたチューシーの視界はいつの間にか白い毛に覆われていた。

 もがくもゼニスの抱擁は固く、周囲のヒソヒソ声を聞く耳だけが赤く行動する状態であった。

『離せ、離せっ』

 チューシーの放った声も毛に溶け、全く周囲には伝わらなかった。通りすがる教師ですら微笑ましく見た。

 次にチューシーは口に口を当てられた。過去で読んだ、人間に関する本によるとそれはキスであった。

 ただでさえ暑い国であるのに、耐暑の器具も無き学び舎でのこの状況は大変きついものであった。

 少し酷い結びではあったが、事実上ゼニスが勝利を飾った。

 する行動はマシになったものの、未だチューシーは優等生の心を取り戻せず、荒れた生活を続けていた。尚家庭は慎ましく普通の状況にあった。

 ある夜、物体を買う金銭の為にチューシーが性交に励んでいた。雄は五匹と危険な場所であったが、そこにゼニスが現れた。

 その様な事が好きであろう彼女も、この時だけは一切笑わなかった。

『なぁ、なんでお前は俺に執着するんだ。悪い事なんて裏でしてるし、成体が相手だから良いだろ』

『……いいえ。良くない』

『何でだよっ!!!』

 周りの獣もたじろぐほどの声をチューシーが上げた。雨が頻りに降っていた。

『まだ成体じゃない娘は、同じ歳の子とヤるべき。大人の穢れなんて知らなくて良い』

『お、お嬢ちゃん……』

 麒麟男がゼニスを止めようとしたが、それをまたチューシーが乱雑に制止した。

『てめえ……』

 チューシーがゼニスに飛びかかり、ゼニスを押し倒す形となった。

 チューシーの髪が雨滴する中、ゼニスは何も答えず、顔も変えなかった。ひたすらチューシーの顔だけを見ていた。

『…………!』

 チューシーは気づいた。気づいてしまった。彼女が白く長い毛に覆われていたのは、情事によって変わっていったからだと。

『兎の毛はね、ふわふわだけど、それはきっと敵の牙から自分の体を守るため。よく食われる立場だから……』

 水を吸った毛のせいで、持ち主である彼女の涙もチューシーには見えなかった。雨降る空は、少しずつ青色が増えている。

『俺……』

『どうする? チューシー』

 長い沈黙と長い雨。見つめ合う二人は何を思い、何を伝えようとしていたのか。

 二人が別々の道を歩む今、定かではない。


「はぁ〜〜。あん時もっと責めてやれば良かったのかよ? 濡れ損だよな濡れ損」

「やっぱりこれゼニスの話だよね?」

「いいやぁ? そんな想像力ねえよ」

「チューシーのどんなところが好きだった……あれ、向こうに見えてるのがニンバスの?」

「チューシーはまず目がくりくりしてて、動きも中性的に活発で可愛いんだよな。そうだ、あれが俺の故郷だ」

 途中からいわゆる恋バナをして来た二人へ、ようやくアーモンド丘場おかばは迎えに来た。

「あーー……どうしよ」

「どうしたカリー」

「ニンバスのご両親に渡すお菓子持ってくるの忘れた」

 アーモンド丘場は砂漠より暑く、色乱れる花園の別名が疑わしいくらい過酷な場所であった。見たことがあるようでない色の蝶が数匹二人目の前をよぎった。

「すごいね……暑くないのニンバス」

「暑くないはずだけど……久しぶりに来たから暑くなってる。瀕死ジヂャ〜〜」

「……ニンバス!!」

 花をつまらなそうに摘んでいた銀毛の少女は、彼女の名前を呼んでから向こうへ去っていった。

「知ってる子?」

「いや……誰だ?」

 首を傾げつつも、ニンバスに引かれてカリーが五十歩程歩いた所に子供達がやってきた。青空の下に三匹の無彩色が揺れ動いている。

「ニンバスさん!!」

「伝説より大きいっ!! 可愛い!!」

「僕と付き合っ……」

「先駆けは許さねえぞノミナリカ!!」

 揉みくちゃになる三匹を見てニンバスは笑った。きっと見慣れた光景なのだろう。

「なんだこいつら、面白いな」

 まさか知らなかったとは。

 彼女の丸い尻尾が笑う衝動で揺れ動いている。

「面白いなお前らぁ。良かったらアーモンドに連れてってくれないか?」

 当然ニンバスはその行き方を知っていた。彼女らの反応を見るために質問をしたのだ。しかしその返答は良いものではなかった。

「いや……今は行けないです」

「うん……。丘の偉い人達で話してるよな?」

「うん。怖くて近づけなかった」

 もしかして、この子達は丘の外で遊んでいたのか。カリーは訝しんだ。

(なんで丘の外でこの子達が遊んでいたのか、ニンバスは分かる?)

(カリー、俺はもう四箇月シファンもここに来ていない。随分とでかくなったらしいこいつらの事、覚えてたとしても忘れちまったわ)

「ノミナリカ君、だっけ」

 彼の耳が跳ねる。

「はい」

「その場所まで案内してくれる」

「えっと、申し訳ありませんニンバスさん。四箇月以上この村に来ていなかった者は入れなくて。失礼ですが、あなたは……」

「うんまぁ、その期間通り来てないけども。頼むよ」

「えっと、えっと……」

 お得意? の色仕掛けでカリーは突破しようとしたが、それよりも早くニンバスが彼に抱き着いた。

「無理言ってごめんな。でもよノミナリカ……」

「ふっぅ」

「俺たちは国単位でピンチに陥ってんのよ」

「んんっふぅぅ」

「この通り、通してくれないか」

 恐らくノミナリカは興奮より、窒息の恐怖を感じているだろう。彼女の脇を叩き、ギブアップを伝える。

「おぉすまんすまん」

「死ぬかっ……と……」

 暑さも相まって、彼の顔は死ぬほど赤くなっていた。

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