最終話 あたしがあいつを攻略してあげる

 ――私を応援してほしい。

 彼女との初めての会話がそれだった。まるでこちらに愛の告白でもしているかのように、緊張で全身を強張らせながら、けれどまっすぐに、烏山なすのはあたしを見つめていた。

 通っている高校の旧校舎一階にある空き教室が、この町の霊脈が集中する座標なのだと知ったのは偶然だった。一年次に、美術室の居場所が分からずに間違って足を踏み入れたことで、そのことにたまたま気が付いた。この場所でなら、今の自分では手の出せない魔術だって使えるかも――そんな下心が芽生えた。

 まずは魔術を展開するための陣地を作る必要があったけれど、それも霊脈の効果によりすぐに終えられた。おかげでこの部屋の中でどれほどの大魔術を行使しても、師匠である祖母にだって気づかれないで済む。あたしはそれから二年生に上がるまでの一年間で、この空き教室でいくつものスピリチュアルな実験を行うことができた。それによるあたしの飛躍的な成長を、祖母は喜びこそすれ、怪しむことはなかった。

 二年生になってすぐの頃だ。お昼休み、友人である山根たちに適当な言い訳をしてあたしは教室を出た。その日も周囲にひと気のない事を確認しながら、空き教室に足を運んだ。

 さて、早速実験に取り掛かろうかしらと魔法陣を描いたところで、それに気が付いた――空き教室のカーテンが揺れていたのだ。

 誰かが入っては来られないように、あたしは扉に錠を下ろしている。窓だって開いていないのにどうして、というあたしの疑問はすぐに解消された。

 カーテンの中に、人間が入っていたのだ。

「誰」

 あたしの誰何に、カーテンにくるまれていた彼女がぎこちなく首を出した。その顔には見覚えがあった。あたしと同じクラスの、名前は確か・・・・・・烏山なすのだったか。

「烏山さん・・・・・・?」

 どうやらあたしがこの教室に入ったときにはすでに、彼女はここにいたらしい。それならば、いくら戸を塞ごうが意味はない。それにしても彼女は一体何の用で、そう思いながらも足元に描かれた魔法陣に目を落とす――まずい。

 こちらの焦りを悟ったのか、烏山さんも同様にあたしの足元に視線をやった。少しだけ考える素振りをしてから、あたしと目を合わせた。

 その目は、完全にあたしの焦りを察している目だった。どうにかして誤魔化せないか、必死に頭を回すあたしに、彼女は言った。


「私を応援してほしい」


「・・・・・・どゆこと?」

「ぁっ、えっとね・・・・・・その」

 あたしが尋ねると、烏山さんはあたふたと慌てふためきながら、自らの身の上話を始めた。よっぽど人と話すことに慣れていないのだろう。文脈や時間軸が乱れまくる彼女の話に正しい相槌を打つ作業は、もはやカウンセリングと呼べた。

 曰く、烏山さんはクラスの柳生邦彦に恋をしているらしい・・・・・・他ならぬ本人の談なのに、曰く付きなのは、彼女の話がそれほど纏まりのないものだったことを表している。同性相手の恋バナに、どうしてここまで緊張しているんだか。

 烏山さんには友達がいない。イジメられているわけでもない。しかしそれも、あたしたちのクラスにはそういう雰囲気が醸成されづらいというだけで、これほどにおどおどしている彼女は、かつてはイジメを受けている時期があったとしても不思議ではなかった。勿論そんなデリケートなことを本人には確認できないが。

 そんないわゆる<ぼっち>の烏山さんは、クラス替え前、つまりは一年次もぼっちで一年間を過ごしたらしく、その時期に唯一まともに会話を行えた相手が、件の柳生くんだったらしい。

 それって、ひな鳥が初めて見たものを親だと思いこむようなものなんじゃないの――なんてデリカシーのない質問も、頬を赤らめながら柳生くんとの馴れ初めを話す彼女には言えなかった。あたしはその時既に、目の前にいる彼女の事をちょっとだけ好きになってしまっていた。

 自分にはないものを、持っている気がした。

「どうして、それをあたしに?」

「だって・・・・・・小田原さんって、そういうの得意そうだし」

 そんな風に言われて、カチンと来なかったと言えば嘘にはなるけれど、あたしに向けて目をきらきらと輝かせながらそう言われたのであれば、態度には出せない。何より現在あたしは、彼女から脅されている立場にあった。再度、足元の魔法陣を見遣る。

「分かった。烏山さんのこと応援するよ」

「ほ、ほんと!? ありが――」

「――ただし」

 あたしは指を立てて、烏山さんに真面目な顔を作った。

「あたしがこの教室にいたこととか、それからこういうのをやってることも、絶対絶対ぜーったい誰にも言わないこと! いい?」

 と言いながら足の先で魔法陣をつつく。烏山さんはあたしのその動きを見てから、「ふふっ」と笑った。

「うん・・・・・・高校生にもなっておまじないをしてるだなんて、恥ずかしいもんね」

「・・・・・・」

 彼女に口留めさえできればそれでよかったので、あたしは何も言わないでおいた。それから話を聞くにつれて分かったことなのだが、どうにも烏山さんにはあたしを脅しているつもりなど全く無いらしかった。烏山さんがどうしてこの教室にいたのかを聞いて、彼女がそんなキレるタイプではないことが分かった。

 烏山さんは、今日こそは柳生くんに挨拶をするぞ――と毎日のように一念発起するものの、結局緊張のしすぎで声がかけられない生活が続いていたらしい。先日の席替えのおかげで、柳生くんの近くの席になれたことに舞い上がりつつも、にも関わらず今日もまた彼に話しかけることができず、そこに精神の波の低いところが当たってしまい、彼女はひと気のないこの教室で、カーテンにくるまり独り泣いていたらしい・・・・・・そんな高校生の方が恥ずかしいだろ。

 そんな中、ひっそりと尊敬の念を抱いていた(らしい)相手である、あたし小田原ゆきが目の前に現れたため、このチャンスを逃しまいと、勇気を出して言ったのが先のセリフだったらしい。

<私を応援してほしい>

 応援・・・・・・と言っても、おそらくは彼女からの愚痴だとか悩みだとかの吐き出し先を務めればそれでいいのだろう。それならば友人を多く持つあたしには日常茶飯事の行いだ。などとたかを括っていたあたしに、烏山さんは初っ端から想像の斜め上をいく要求をしてきた。

「勇気が出るおまじないとかないの?」

 もしかしてこの子はあたしをドラえもんか何かだと思っているのだろうか、と頭をかかえつつ、あたしは口を開いた。

「・・・・・・あるけど」

 そう、実はあるのだ。

 科学でいうところのプラセボに似たものだけれど、魔術の世界においても、勇気というか、自分が自分であることに自信や確信を持つための魔術はあった。

「ほんと!?」

「うん。明らかな効果があるわけではないけれど、まあお守り程度の効果はあるかな。ちょっと待ってね」

 言って、あたしは胸ポケットから取り出した専用の和紙に、サラサラと魔法陣を描く。本当はもう少し下準備を行いたいところだけれど、この特別な座標であったら、この程度のシンプルな術式にも効果を持たせることができるだろう。私は出来上がったそれを烏山さんに手渡す。ちょうど千円札を半分に折りたたんだくらいのサイズだ。

「はい。これ持ってれば今よりはマシだと思うよ」

「わあー! ありがとう!」

 本当は、魔術師が精密な魔術を行う際に心理的ミスをしないようにするための、補助的な役割のそれでしかないのだけれど、烏山さんはあたしから渡されたお守りを、なんとも大事そうに両手で抱えるのだった。

「よっ、ようし・・・・・・頑張るぞ!」

 心なしか先ほどまでより大きな声を出して、烏山さんは自らに発破をかけた。この手の魔術は騙されやすいタイプにはより大きな効果を発揮する。あたしのように疑り深いタイプには殆ど効果を及ぼさないけれど、彼女には十二分に効果を発揮してくれそうだ。

 その日、烏山さんはそのいかがわしい図式の描かれた紙を、手に持ちながら午後を過ごしていた。あたしの<持ってれば>を、所持ではなく把持だと捉えてしまったらしい・・・・・・バカ。

 そして、そのまま柳生邦彦へと声をかけようとして、口をパクパクさせるところまではいったものの、そこから先には進まなかった。結局いつもと同じ彼女の姿がそこにはあった。烏山さんには勇気が足りかったのではでなく、臆病さが有り余っていたということが明らかとなった。

 烏山さんのそんな動きに、柳生くんは目もくれなかったし、その後ろの席の男子生徒からはチラチラと心配そうな視線を投げられる始末だった。実際それくらい、そのときの彼女の挙動は不審だった。

 そしてその日から、

 ――烏山なすのは黒魔術師らしいぞ。

 ――なんか変なお札持ち歩いているところ見た奴がいるんだって。

 などという噂が流れだすこととなった・・・・・・ドジ。

 それからあたしたちは定期的に、旧校舎の空き教室に集まって作戦会議を行うこととなった。応援というよりは、もはやそれは指導だった。それが数週間続いたところで、あたしが魔術師の見習いであることも彼女にはとうとうばれてしまったのだが、何事もなく関係は続いていた。友達が一人もいない子というのは、案外他人の事情に対して放任的なのかもしれない。

「だから、こういう風に構成を組めば、自然な流れで連絡先も聞けるんじゃない」

「な、なるほどぉ・・・・・・!」

 と深く頷きながら、烏山さんはメモを取る。そこに丸っこい字で<男子は身体目当て>と筆記された。真面目な彼女はあたしの話を絶えず真面目に聞いた。対人コミュニケーションにおいてはこんなにも頼りない子なのに、勉強は学年でも群を抜いてできるというのだから驚きだ。基本的には学年一位しか取っていないらしい・・・・・・むしろ勉強をこちらに教えてほしいくらいだ。

「小田原さんの話は、いつもためになる」

「溜めてばかりいないで、早く行動に移して頂戴よ」

 あたしがため息を着くと、烏山さんが不思議そうに首を傾けた。従って彼女の重たい前髪がさらりと揺れた。その長い前髪のせいで、彼女の表情は一見しただけでは読み取れない。そんなのだから、柳生くんからも見向きされないというのに、ドが付くほどの恥ずかしがり屋の彼女は、それをどうしようともしない。それどころか彼女には、緊張が極まると音もなく逃走を図る悪癖すらあった。

 名プレイヤーが名監督になれないというのは有名な話だけれど、それならそこに、烏山なすのは名プレイヤーになれない、という文言も追加してあげたい。

 今まで烏山さんに、意中の男の子との接点が作れるようにと様々なアドバイスを行ってきたものの、彼女自自身に行動力が無さすぎて、全てが無為に終わってしまった。

 とうとうしびれを切らしたあたしは、強硬策に打って出ることにしたのだった。

「今晩八時に、誰にも見つからないようにこの教室に来て」

 あたしが先に到着して下準備をしているところに、烏山さんは現れた。時計を見ると七時五十分だった。

「誰にも見られていないでしょうね」

「うん、バッチリ」

 と言って、烏山さんはVサインをする。よし、それならば安心だ。今回の魔術は、何があっても邪魔を入れるわけにはいかないのだ。あたしはカバンから巻物を取り出して表面を撫でる。烏山さんはそれをしげしげと見つめた。

「それが・・・・・・お昼に言ってた」

「うん――入れ替わりの術式よ」

 祖母が海外旅行へ旅立った隙を見て、あたしはこの空き教室での実験に使えそうな魔術は無いかと、家の蔵を漁った。鬼の居ぬ間に洗濯というやつだ。そして三時間に渡る捜索の果てに、この秘術を見つけたのだった。

 はじめて扱う魔術だったけれど、この霊脈的に有利な場所で行うのならばきっと成功するはずだった。

「じゃあ入れ替わってからは、事前に言ってた通りに動くから」

「うん」

 こくこくと烏山さんが頷く。実を言えば、入れ替わりの魔術の成功よりも、彼女があたしの振りをして生活を行うことへの不安の方が大きかった。

「本当にあなたにあたしの代わりが務まるのかしら・・・・・・」

「だっ、大丈夫」

 あたしが思わず不安を漏らすと、烏山さんがドンと自らの胸を叩いた。そんな素振りすら、どこか頼りない。

「私、ずっと小田原さんのこと憧れてて、ずっと見てたから、だから大丈夫、だと思う、多分、大丈夫なんじゃないかな・・・・・・まあ、ちょっと覚悟はしておいてほしい、かも」

 こんなさだまさしみたいな宣言をする子が、カーストトップのあたしの身体を操作できるのかが、やっぱり不安になる――けれどまさか、クラスメートの人格が入れ替わっていることに気が付く人間なんていやしないし、毎晩スマホで連絡は取り合うから、取返しの着かないミスはしないはずだ。

 などと考えているあたしの顔を、烏山さんが覗き見た。

「大丈夫? なんか辛そうだね・・・・・・」

 あなたのせいよ、とは言えない。あたしは「ふぅ」とため息をついた。

「いま生理だから、それでちょっとね。あたし重たいんだ」

「せいり・・・・・・」

「しんどいタイミングで身体押し付けちゃってごめんね」

 と言ってから、そういえば烏山さんの身体では、それらの具合はどうなのかが気になった。最低でも一か月間は身体を交換するのだ、情報は交換しすぎるということはない。あたしは率直に訊ねた。

「烏山さんは、大体どの辺で来そう?」

「・・・・・・それなんだけど」

 と言って、烏山さんは俯く。

「私、まだ来てないんだよね」

「・・・・・・」

 毎月必ず数日間苦しむことが確定しているあたしのそれに比べて、なんと理想的な肉体をしている子なのだろう・・・・・・身体つきが少女的なところも、あたしからしたら羨ましくて仕方ないというのに。

「・・・・・・いいなぁ」

「え、なんて?」

「いや、なんでもない。まあ生理前は色々不安定になるけど、来ちゃえば後は薬飲んでればなんとかなるから。でも多分最初はビックリしちゃうと思うから、烏山さんは明日は学校休んじゃっていいわ・・・・・・っと、そうだ。学校のことも最後に引き継いでおかないと」

 と言って、あたしは今日のお昼休みに共有した情報に加えて、そこから放課後にも交わした友人らとの会話について、烏山さんに簡単に説明をした。

「まあ、ざっとこんなもんかな。烏山さんの方は?」

「私は友達がいないから、引き継ぐことなんてないや」

「・・・・・・」

 何事もないことかのように、ケロッとそう言う烏山さんに、あたしは何と声をかければいいのか分からず押し黙ってしまう。そんなあたしの沈黙に耐え兼ねたのか、烏山さんは「で、でもね!」と口火を切った。

「そんな私にも、柳生くんはなんてことなく接してくれたんだよっ! 素敵だよね!」

「本当に好きねぇ・・・・・・」

「好きじゃない。大好きなの」

 と言って、あたしが呆れていることにも気づかず、烏山さんは惚気話を始めた。あたしはそれを話半分に聞き流しながら、この烏山なすのという少女は、本当に柳生邦彦という男子のことが好きなんだなと、呆れを通り越して本当に羨ましく思えた。あたしにはこんな風に、誰かを好きになることなんてできっこなかった。

 小学四年生の当時、学年でブラジャーを付けている子はあたしだけだった。周囲より一足早く第二次成長期に突入したあたしの身体が大きくしたのは、背丈だけではなかった。

 すぐにあたしは、異性からの嫌らしい目線を感じ取った。話には聞いていたけれど、それがいざ自分に向けられていることが分かったときには、身がすくんでしまうほどだった。その時の事は、今でも時々夢に見てしまう。

 やがて中学生に上がると、あたしはそれまでにない程に異性からモテ始めた。自分で言うのもなんだが、あたしには高い社交性や快活さがあって、人から好かれる性格ではあった。けれど、それにしたってあり得ないほどに、あたしは男子からの告白を受けるようになった。中には一度も話したことが無いような相手もいて、そしてそんな彼らが、それじゃああたしのどこを気に入って恋人にしたいと思ったのかは、なるほど聞かなくても分かった──目は口ほどにものを言うことを、あたしは他のどの女子よりも知ることになった。

 よくドラマや映画で、金持ちのキャラクターが<みんなは僕じゃなくてお金を見ているんだ>と嘆くシーンがあるが、あたしにしてみればそんなのは笑い種だった。お金を稼いだのはあなたの実力や努力の結果じゃないか、とよっぽど説教してやりたかった。あたしの胸はあたしに黙って、今も成長をしている。こんなのはあたしの実力でも努力の結果でもなんでもない。

 だから、あたしが誰も好きになることができないというよりは、誰もあたしの中身を見てくれはしないのだという嘆きが、あたしの本当の悩みだった。こうして烏山さんの惚気話を聞いていて、やはり思う。彼女は柳生くんの容姿について触れることはない。とても清純な女の子だと思った。こんな女の子から想われている柳生くんのことも、少し羨ましく思えた。

 自分が恋愛のできないタイプではあるものの、あたしは他人の恋愛話を聞くのは結構好きだった。あたしには持ち得ないような感情を、そこに確かに感じられるからだ。それはまるで、異世界ファンタジーのおとぎ話を聞いているように、あたしの胸をちりちりと焦がした。

「そんなに好きなら、早く告白しちゃえばいいのに」

「でっ、できないよそんなこと! 今日だって・・・・・・やっぱり話しかけすらできなかったのに」

 と言って、烏山さんは自らの指をツンツンする。子どもか。

 実を言えば、入れ替わりを行うに際して、烏山さんはそれほどの無茶をすることに難色を示していた。自分だけではなく、あたしへも負担がかかることを懸念したのだ。

<小田原さんにだったら、喜んで私の身体貸すけど・・・・・・でも小田原さんにもすっごい迷惑がかかると思うし、それに、そういうズルするのはちょっと・・・・・・>

<ズルってね>

 そこであたしは、ちょっとだけ怒った。

<こんだけ何度もトライしてるにも関わらず、一度も話しかけられていないのに何生意気言ってるの!>

 あたしには昔から、困っている人を放っておけない性質があった。年の離れた弟がいるからかもしれないが、自分の手の届く範囲に、助けを求める人がいると動かずにはいられなくなるのだ。そのせいで痛い目を見たことは何度だってあった。恥ずかしい噂話が流れてしまったこともあった――けれど、後悔をしたことはない。

 だから今回も、あたしは自分がするべきだと思ったことを、迷わずに実行する気だった。

 そして、烏山さんに対してちょっとだけ怒ったあたしに、

<分かったよもう! それなら今日の放課後こそ、柳生くんに話しかけちゃうんだから! もし話しかけられたら、入れ替わりも無しだからね!>

 などと啖呵を切った烏山さんだったけれど、結果はこの通りだった。彼女はしぶしぶあたしとの入れ替わりに応じることとなった。しかし今はもう彼女の中に葛藤は無いらしく、いつもみたいに、柳生くんの素敵話をあたしに巻くしたてていた。

「あ、ごめん・・・・・・私の話ばかりしちゃって」

「別にいいわよ。もう慣れたし」

 と、烏山さんの惚気話がひと段落したところであたしは腕を組んだ。いつからだろう、胸が重たくて肩の筋肉が疲労してしまうから、こうして腕でそれを支えるのが癖になってしまっていた・・・・・・嫌味な癖がついてしまったものだ。

「そうだ、スマホ」

 と言って、あたしは自分のスマホを烏山さんに手渡す。魂を入れ替えてからも、それぞれ自身のスマホを使った方が何かと都合がいい。その意図が伝わったのか、烏山さんも彼女のスマホをあたしに差し出した。それはあたしの用いているのと同じ機種だった。

 烏山さんが、あたしのスマホをしげしげと見つめた。

「このストラップ、可愛いよね」

「ボロだけどね」

「関係ないよ」

 ふふっと笑って、烏山さんはあたしのスマホケースに着けられたプーのストラップをむにむにと摘まんだ。

「このストラップ結構目立つから、あたしの身体で持ってたら怪しまれちゃう。ケースは返すよ」

「誰もそんなところまでは見ていないでしょうに・・・・・・」

 しかし、魂を入れ替えて生活を送るということに、用心しすぎるということはない。あたしは烏山さんからの提案を受け入れ、自分のスマホケースを烏山さんのスマホに装着させた。烏山さんの方はというと、なんと彼女はスマホを裸のまま使用していた。

「可愛げがない、だなんてもうあなたに言うつもりもないけど・・・・・・落っことしたりするの怖くないの?」

「私、外じゃスマホ見ないから」

「・・・・・・」

 そんな女子高生がこの世にいたのか・・・・・・なんというか、うちの父の話を聞いているみたいだった。

 やがて魔術の準備を終えたところで、あたしは床に座り込んだ。

「ほら、どこでもいいからあなたも座って」

「どうして?」

「これからお互いの魂にパスを繋げるのよ。その瞬間、短い間だけれど気を失うから。立ったままでもいいけど、転んで頭打っても知らないわよ」

 とあたしが脅かすと、烏山さんは頭を抱えてすぐさましゃがみ込んだ。この魔術では近くの人間同士が対象となる。本当は個人を指名して進められれば確実なのだけれど、魔術師でない彼女を巻き込む以上、その手段を取ることはできなかった・・・・・・どうせこの場にはあたしたちしかいないのだし、問題はあるまい。

 あたしが詠唱を始めると、床に描かれた大きな魔法陣がぼうっと光り、やがてそれが数十センチほど浮かび上がった。

 よし、成功だ――とあたしが確信した瞬間に、まるでそれを待っていたかのように、教室のドアが開かれた!

「え・・・・・・?」

 先に反応を示したのは、開かれたドアの近くにいた烏山さんだった。彼女は呆けた表情でドアの向こう側に目を向ける。あたしの座る場所からでは、角度的にそちらに誰が立っているのかが分からなかった。

 一体だれがこんな時間のこんな場所に――確認を取ろうとしたところで、そのタイミングが来てしまった。この場における人間の魂同士のパスが繋がったのだ。

 一番早く目を覚ましたのは、当然ながらあたしだった。魔術に魂が掴まれることに耐性のない烏山さんは勿論だが、気を失うというのに受け身を取ることのできなかった侵入者は、魔術的ではなく物理的にも気を失っているはずだった。

「ほら、立って」

「う~ん・・・・・・今誰か、来てなかった?」

 などとむにゃむにゃ言っている烏山さんに「気のせいでしょう」と言って、彼女の肩を抱いて立ち上がらせる。どうやら烏山さんはあの瞬間の記憶がぼやけているらしかった。好都合だ。

 侵入者が明けたドアとは反対側のドアから廊下に出る。まだ寝ぼけている烏山さんが気づかないように、そそくさと本校舎の下駄箱を目指した。途中、転倒して気絶している侵入者にさっと視線を落とす。

 そこで倒れていたのは、あたしたちのクラスメートの男子だった。話したことは多分、一度もない相手だった。だらりと冷や汗をかく。

 彼が気を失ったということは、当然ながら彼とも魂のパスが繋がってしまったということで、そうなれば新月である今夜未明に、あたしと烏山さんの魂の交換に彼も加わるわけだ・・・・・・いや今更ながら、マジか。

 烏山さんに肩を貸しながら、あたしは必死に今後のプランを練り直した。術者であるあたしには分かったことだが、どうやら彼の身体にはあたしが入るらしい。そしてあたしの身体には烏山さんが入り・・・・・・烏山さんの身体にはあの男子が入る。烏山さんが今日のお昼に言っていた言葉を思い出す。

<小田原さんにだったら、喜んで私の身体貸すけど>

 ドバドバと脂汗が湧き出た。覚醒しつつある烏山さんに悟られぬよう、あたしは平静を装いながら頭を絞る・・・・・・達成しなければならない条件はおよそ三つだ。

 ①烏山さんの身体で柳生くんと仲良くする。

 ②烏山さんの身体にあたしではない人間が入ってると思わせてはいけない。

 ③あの男子生徒の身体に小田原ゆきが入っていると思わせてはいけない。

「なんてこった・・・・・・」

 無謀が過ぎるのではないだろうか?

 肉体が替わってしまう以上、肉体と精神に依存している魔術だって、一つも使うことはできないのだ――つまり自力で動くしかない状況となる。

 烏山さんは<あたしなんかと仲良くしてると思われちゃ、小田原さんに迷惑がかかるから>と、向こうからあたしには接触をしてこない。それは入れ替わりを実施してからも同様のはずなので、烏山さんが入れ替わり後の自分の身体に話しかけたりはしないはずだ――彼女のおかしな謙虚さのおかげで、首の皮が一枚繋がった感がある。

「となると、あとはこの子とはスマホでだけやりとりして・・・・・・向こうの男子には脅しをかけて・・・・・・いやでもそれだと・・・・・・」

 などと、ブツブツと状況を整理していると、ようやく烏山さんが意識をはっきりとさせた。すでにあたしたちは校門まで来ていた。

「あれ、ここ」

「目が覚めた? ならひとりで歩く」

「うん、ありがと・・・・・・へへ、小田原さん汗びっしょり。こんなとこまで運んでくれてありがとね。重かったでしょ」

「・・・・・・」

 あのまま置いておいては、侵入者である男子生徒と鉢合わせかねなかった、とは言えない。それに汗をかいていたのは、何も彼女の身体(極めて軽い。こちらの体重を分けてやりたいくらい)を運ぶ作業によるものではなかったが、勿論そんなことも言えない。

 そんなあたしの沈黙をどう捉えたのか、彼女は目を細めた。

「小田原さんって、ほんと優しくて、面倒見がいいよね」

「・・・・・・あなたが頼りなさすぎるだけよ」

 といってあたしは腕を組む。大丈夫、この暗さだ。顔が多少赤くなっても彼女からは分からないはずだ。頬が緩まないよう、口を一文字に引き結ぶ。

 やがて、烏山さんとの帰路の分岐路に着く。烏山さんがポツリ、と呟いた。

「無茶、しないでね」

 彼女のその声には、あたしの掌をそっと握るような温度があった。そういうことを柳生くんにもすればいいのに、とあたしは内心でため息をつく。いや、それができないから、こうしてあたしは魔術にまで手を出していて、そして巡り巡って無茶な役回りを演じることが内定してしまっているのだ。

「分かってるわよ。というか、あたしにかかれば無茶どころか、こんなのはお茶のこさいさいよ」

「小田原さんって、時々お婆ちゃんみたいなこと言うよね」

「う、うるさい!」

 からからと笑う烏山さんに背を向けてから、やっぱりもう一度だけ彼女の方を振り返って、あたしは声高々に宣言した。


「期待してるといいわ。この一か月でスパっと――あたしがあいつを攻略してあげるから」

                              了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あいつを攻略してあげる。 @morokoromo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ