15 Vollmond

 これは、当時巨大勢力を誇っていた暴力団が、一夜にして壊滅した怪奇現象の話。


 澄んだ空に、大きな満月がかかった夜のこと。

 一人の男が二丁の銃を持って、暴力団本部に侵入した。


 電気系統を破壊され、暗闇に包まれた本部ビル。

 中にいた暴力団員たちは、瞬く間に視界を奪われた。

 すぐさまガラケーやハンディライトを取り出すも、わずかな光のみでは、身動きを取ることもほとんどできない。


 そこに男は現れた。

 混乱うずまく廊下を、ランウェイのごとく闊歩する。

 有象無象に、淡々と銃を放つ。

 正確無比に、構成員を清掃していく。


 鳥目鳥頭の烏合の衆は、暗黒の一本道を逃げ惑うことしかできない。

 男と烏合の衆とでは、はじめから見ている世界が違ったのだ。


「……眩しい」


 顔に手をかざし、昏く青い目を細める男。

 彼は、かつて父から教わっていた。


 望月の夜は、昼をも欺く明るさと称される、と。


 ふと足元を見下ろす男。

 そこには、暴力団の組長がうずくまっていた。

 頭から血を流し、毛深い手で傷口を押さえている。

 男は拳銃を握り直した。


「安心しろ。お前らに与える罰は、ウロボロスの半分だと決めている」


 望月に照らされ浮かび上がる、すらりと伸びた黒い影。

 月光が冷たく広がる空に、また、銃声が響く。




 その後男は、機密情報が記されたファイルを盗んで逃走。

 彼が通ったあとには、末端の末端から組長まで、恐ろしいほど均等に半殺しにされていたという。


 これをしでかした犯人は、生も死も手の内で転がせる怪物なのだ。

 人々はそう言って、恐怖の権化と化した裏社会の新参者に名を与えた。


 望月の夜に降臨した死の管理人、望月の死神の誕生であった。

 




 俺はそっと口を閉じ、類は瞳を閉じた。

 雨の音だけが、静かな部屋に染みわたる。

 雲の切れ間から細く光が差しこみ、床のタイルを淡く照らした。


「やっぱり、俺は死神かもしれねぇな」


 不意に、そんな言葉が口をついて出た。

 類が首をもたげる。


「俺さ、ときどき命の重さってものがどうでもよくなるんだ。他人も、自分も、なにもかも潰してしまいたくなる」


 俺は、汗ばんだシャツに手を当てた。

 胸ぐらを握り締める。

 この胸には、抑えがたい衝動が眠っている。

 ふつふつと沸き上がって、俺をかき立てる冷酷な衝動だ。


「望月」


 類の声が、凛と響いた。

 はっと思考が引き戻される。


「望月……僕はね、君のことはもっと、甘いくらいに優しい人間だと思っていた。けど」


 類が上体を起こし、俺の顔を覗き込んでくる。


「その衝動を昇華することは……復讐は、本当は君自身が望んでいたことだったのかい?」


 復讐。

 それは、死者が生者に与える罰。

 否応なく課せられた、生者が望まぬ試練。


 しかし、実際はただの俺のエゴだった。

 罰を受けたいと思ったのも、俺自身。

 衝動をぶつけたいと思ったのも、俺自身。

 ならば、俺の望みとは、いったい。

 


「分からない」


 俺はゆっくりと目を伏せた。

 ただ、いま分かることだけを、一つ一つ言葉にして重ねていく。


「人を殺すのはすごく怖い。けど、復讐のために戦っている間だけは、俺も生きていいって思えたんだ」


 類は、じっと俺を見つめながら、そうか、とだけ呟いた。


「君が本当に復讐を望むのなら、きっと僕には止められない。だが一度考え直してくれないか。お前の本当の意志を」

「俺の、意志……」


 そんなこと、考えたこともなかった。

 いや、考えようとしたことはある。

 でも、考えちゃいけないと思っていた。

 だってそれは、生きることだから。

 罪深くも生き残ったこの命を、大切にするということだから。


「答えが分かるまでは、誰一人傷つけない。復讐は果たさない。約束してくれ」

「そんなこと、どうしてお前が——」

「君に後悔してほしくないんだよ」


 思いの外、強く重い声だった。

 こんな甘ったるいセリフを吐くなんて、類らしくもない。

 マッドサイエンティストはどこにいっちまったんだ。


「なんでかな、君が後悔したら、僕も後悔する気がしたんだよ。それが嫌でさ」


 肩をすくめてみせる類。

 それから、ぼそりと、一言付け足す。


「あいにく僕には、悔いを晴らす時間がないからね」


 類は、どこか遠いところを眺めて、まつ毛を震わせていた。

 

 時間がない。

 それがどういう意味か、なんとなく気づいてる。

 本当は分かってるんだ。


 これから類の頼み事なんて、もはや数えるほどしか聞けないってことも。

 その一つ一つに、どれだけの思いが込められているのかってことも。


「……わかった。約束する」


 肩に添えられた類の手に、手の平を重ねる俺。

 誓いを交わすように、固く握り返す。

 白くて骨ばっている手だけれど、確かにぬくもりがあった。


 あの日は、届かなかった。


 車に乗りこんだ二人に、無邪気にも「バイバイ」と手を振ってしまったあの日は。

 相棒が助けを求めて伸ばしてくれた手を、握り返してやれなかったあの日は。


 それがいま、届いた。

 これまでとは違う。明らかに違う。


 そう思ったら、胸の奥から熱いものが込み上げてきた。

 全身に力が満ちてくる。

 顔を上げられる。

 前を向ける。


 人はこういう熱を、希望、と呼ぶのだろうか。


「風向きが変わった」


 窓の外に目を向けながら、俺はつぶやいた。

 類がベッドから起き上がる。


「分かるんだ、そういうの」

「……なんとなく、な」

「へぇ、やっぱりスナイパーは違うんだね」

「かもな」


 この先の運命は変わる。

 シックスミックスが変えてくれる。

 なにより俺たちの選択が、俺たちが意志を持つことができれば、きっと変えていける。

 そんな気がした。

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Twilight -The side story of SIXMIX- 花田神楽 @kagura_official

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