9 Blut
◆
俺は、残りのカクテルを飲み干した。
込み上げる当時の辛酸を、カクテルと一緒に腹の底へ押し戻す。
もちろん月日を重ねるにつれ、両親の死について話しても、あの頃ほど心が乱れることはなくなっていった。
時の流れは、確実に心の傷を癒してくれている。
それでも、痛みを感じずに二人の顔を思い出せる日は、もう二度と訪れない。
「あーやめだやめだ。これだけ話せば、両親のことはよく分かっただろ」
俺は嫌な思考を断ち切ろうと、勢いよく立ち上がった。
空のグラスを持って、洗い場に向かう。
傍らの類から距離を置き、顔を背ける。
俺は自分が今、体裁を保てる顔をしているか、自信が持てなかった。
「ともかく俺たちは、その日から、互いに助け合って対等に生きていこうと誓ったんだ。父さんが、二人なら一人前だと認めてくれたから。母さんが、双子として産んでくれたから」
軽く蛇口をひねった。
水道水が、轟音を立ててシンクに打ち付ける。
思いもよらぬ勢いに驚く俺。慌てて水を止める。
感情が指先に伝わってしまったみたいだ。
まだ、胸の中がざわめいている。
悲しさ、懐かしさ、愛しさ……そんな感情が、心の中で複雑に絡み合っている。
俺は一度グラスをわきに置いた。
ゆっくりと深呼吸をする。胸いっぱいに息を吸う。肩の力を抜くように吐き出す。
そうした後で、再び蛇口に手を置く。
今度は細く水を出すことができた。
「んで、俺と沙羅はほどなくして、父さんの逃がし屋稼業を継いだんだ。
二人一組で活動するにあたって、父さんが一人でやっていた仕事を分担することになった。
一人は、ターゲットを狙撃して逃がす係。
もう一人は、逃がしのサポート係っていうのかな。あらかじめターゲットの身辺に潜り込んでおいて、暗殺に見せかける細工をするんだ。
この係は、誰の担当と決まっているわけじゃなくて、依頼ごとに二人で交代していた」
説明を続けつつ、俺はタオルに手を伸ばす。
洗い終わったグラスを磨き、ついでに濡れた手も軽く拭う。
背後に並んだ食器棚に向かい、グラスを所定の位置に戻す。
一仕事を終えたところで、俺はちらりと類の様子をうかがった。
そうして顔を歪める。
「ってかお前、聞いてんのか?」
類は腕を枕にして、テーブルに突っ伏していた。
ゆっくりと上下する彼の肩。
もちろん返事はない。
俺は盛大にため息をついた。
「人に話をせがんでおいて、途中でぐーすか寝こけんなよな」
厨房を出て、カウンター席の側に回り込む俺。
ぞんざいな足取りで、一歩、また一歩と類に歩み寄っていく。
その間に、どうやって類を叩き起こすか作戦を練る。
とりあえず、小刻みに揺れるあの頭をはたいてやろうか。
いや、デコピンぐらいに留めておくか。
あーでも類に言わせると、俺のデコピンは、れっきとした暴力らしいからなぁ。
この間みたいに、ユネスコに怒られても知らない、なんて意味のわからない説教を食らうのも面倒だ。
とすると、何を仕掛けるのがいいのか……
俺は考えがまとまらないまま、類のすぐ隣に来てしまった。
立ち止まり、目下の類を見つめる。
その時、ようやく気がついた。
「類?」
類は決して、寝入っているわけではなかった。
テーブルに倒れ込み、上体を起こせずにいるのだ。
伏せた顔は紙のように白い。
口元を覆って、静かに震えている。
「おい……大丈夫か?」
俺は類の肩を掴み、上体を起こした。
脱力した身体を支える。
類はたどたどしくも息をしていたが、その口元から、赤黒い液体がどろりと垂れている。
胸元までべったりと血に染まっている。
まさか、吐血……?
「おい、類!しっかりしろ!類!」
類が、こんな状態になるなんて思いも寄らなかった。
どこか怪我をしているのか?
何かの病気だったのか?
分からない。
いや、今はそんな推理をしている場合じゃないんだ。
早く、俺が今すべき行動を。類を救うための行動を。
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