9 Blut



 俺は、残りのカクテルを飲み干した。

 込み上げる当時の辛酸を、カクテルと一緒に腹の底へ押し戻す。


 もちろん月日を重ねるにつれ、両親の死について話しても、あの頃ほど心が乱れることはなくなっていった。

 時の流れは、確実に心の傷を癒してくれている。


 それでも、痛みを感じずに二人の顔を思い出せる日は、もう二度と訪れない。


「あーやめだやめだ。これだけ話せば、両親のことはよく分かっただろ」


 俺は嫌な思考を断ち切ろうと、勢いよく立ち上がった。

 空のグラスを持って、洗い場に向かう。

 傍らの類から距離を置き、顔を背ける。


 俺は自分が今、体裁を保てる顔をしているか、自信が持てなかった。


「ともかく俺たちは、その日から、互いに助け合って対等に生きていこうと誓ったんだ。父さんが、二人なら一人前だと認めてくれたから。母さんが、双子として産んでくれたから」


 軽く蛇口をひねった。

 水道水が、轟音を立ててシンクに打ち付ける。

 思いもよらぬ勢いに驚く俺。慌てて水を止める。


 感情が指先に伝わってしまったみたいだ。

 まだ、胸の中がざわめいている。

 悲しさ、懐かしさ、愛しさ……そんな感情が、心の中で複雑に絡み合っている。


 俺は一度グラスをわきに置いた。

 ゆっくりと深呼吸をする。胸いっぱいに息を吸う。肩の力を抜くように吐き出す。

 そうした後で、再び蛇口に手を置く。

 今度は細く水を出すことができた。


「んで、俺と沙羅はほどなくして、父さんの逃がし屋稼業を継いだんだ。


 二人一組で活動するにあたって、父さんが一人でやっていた仕事を分担することになった。


 一人は、ターゲットを狙撃して逃がす係。

 もう一人は、逃がしのサポート係っていうのかな。あらかじめターゲットの身辺に潜り込んでおいて、暗殺に見せかける細工をするんだ。


 この係は、誰の担当と決まっているわけじゃなくて、依頼ごとに二人で交代していた」


 説明を続けつつ、俺はタオルに手を伸ばす。

 洗い終わったグラスを磨き、ついでに濡れた手も軽く拭う。

 背後に並んだ食器棚に向かい、グラスを所定の位置に戻す。


 一仕事を終えたところで、俺はちらりと類の様子をうかがった。

 そうして顔を歪める。


「ってかお前、聞いてんのか?」


 類は腕を枕にして、テーブルに突っ伏していた。

 ゆっくりと上下する彼の肩。

 もちろん返事はない。


 俺は盛大にため息をついた。


「人に話をせがんでおいて、途中でぐーすか寝こけんなよな」


 厨房を出て、カウンター席の側に回り込む俺。

 ぞんざいな足取りで、一歩、また一歩と類に歩み寄っていく。

 その間に、どうやって類を叩き起こすか作戦を練る。


 とりあえず、小刻みに揺れるあの頭をはたいてやろうか。

 いや、デコピンぐらいに留めておくか。

 あーでも類に言わせると、俺のデコピンは、れっきとした暴力らしいからなぁ。

 この間みたいに、ユネスコに怒られても知らない、なんて意味のわからない説教を食らうのも面倒だ。

 とすると、何を仕掛けるのがいいのか……


 俺は考えがまとまらないまま、類のすぐ隣に来てしまった。

 立ち止まり、目下の類を見つめる。



 その時、ようやく気がついた。



 「類?」



 類は決して、寝入っているわけではなかった。

 テーブルに倒れ込み、上体を起こせずにいるのだ。

 伏せた顔は紙のように白い。

 口元を覆って、静かに震えている。


「おい……大丈夫か?」


 俺は類の肩を掴み、上体を起こした。

 脱力した身体を支える。


 類はたどたどしくも息をしていたが、その口元から、赤黒い液体がどろりと垂れている。

 胸元までべったりと血に染まっている。



 まさか、吐血……?



「おい、類!しっかりしろ!類!」


 類が、こんな状態になるなんて思いも寄らなかった。


 どこか怪我をしているのか?

 何かの病気だったのか?

 分からない。


 いや、今はそんな推理をしている場合じゃないんだ。

 早く、俺が今すべき行動を。類を救うための行動を。

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