第8話 8月に思うこと

 今年も原爆忌がやってきます。


 義母も要介護1(要支援1)になり、足がよろめいています。

 すでに83歳も近い。仕方ないのです。



 毎年、広島では灯籠流しが行われます。被爆者の氏名や願いごとを書いた灯籠を、太田川に流すイベントです。義母は、毎年灯籠を流すことをイベントの人に依頼しています。



 今年は道を歩いていた中学女子が熱中症で倒れ、死亡したとのこと。

 高齢者もバタバタ亡くなっているので、この暑さの中、灯籠のために原爆ドームの近くまで行かせるのが怖くなりました。



 イベントの人に電話で問い合わせたら、代理でもOKとのこと。

「わたしが灯籠を流そうか」と申し出てみると、それを聞いた夫は言いました。



「爆死したおじいちゃんにとってお母さんは、目に入れても痛くないほど可愛かったんだ。よく5歳のお母さんを肩車して遊んだりしていたらしい。だから、お母さんが自分で灯籠を申し込んだ方が、天から見守ってくれているおじいちゃんも喜ぶと思う」。

ちょっとさびしくなりました。


 いまアメリカではバービー人形の映画とオッペンハイマーの映画を一つにして原爆で遊ぶと聞いてます。被害の実情を知らないこと、伝わっていないこと、そして確実にやってくる風化の記憶。



原爆ゆるすまじ、と唱えつつ、忙しさの中で他人は忘れて行ってしまいます。



 しょせん広島のことは、歴史の一ページにしか過ぎないのでしょうか。

 いつしか生きた事実は歴史になり、教科書の文字としてしか語られなくなるのでしょう。被爆者の平和への思いや原爆への怒りは、どこへ行くのでしょうか。


市井の人々のなにげない言葉を聞くにつれ、アメリカと広島の認識の違いに絶望すら感じます。


人々に対して押しつけにならない伝え方の工夫が必要になってくるのです。



 八月は、平和を思う月。

 それだけで終わりにしたくない広島の願い。それをどのように伝えていくか。これからの課題になるでしょう。












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