第5話
いくら人目がないとはいえ、見つからないとも限らない。私たちは園芸部の資材をしまっている倉庫に入った。三畳ほどの狭い倉庫には、むんとした初夏の熱気と、肥料や土のにおいがこもっていた。
後ろ手にドアを閉めた茉莉花は、積み重ねられた肥料の袋に腰を下ろして、物珍しそうに中を見回している。ブラブラさせた両足の上履きにはまだ、黒い「ブス」と赤い「死ね」がこびりついた。
「人間ってキモい」
茉莉花はぽつりとそう呟いた。
「ママがさ、パパと私のこと疑ってヒステリー起こしたの。そんで離婚。意味分かんないよね。分かんないのに……パパと暮らすようになって、なんか変な感じがする。なんか、ときどき、目が、怖い。パパだけじゃない。みんないつもそう。私といると、なんかみんなだんだんキモくなる。なんでなんだろ」
少しずつ声が細く、弱くなった。私は茉莉花の隣に座って手を握った。そんな声は茉莉花に似合わない。
茉莉花は美しい少女だ。きっと、生まれたときからずっと。
純白で甘い香りを放つ花と同じ名前を持つ彼女は、その美しさで余計なものまで惹きつけ、惑わせてしまうのだろう。
ブタ岡のスケッチブックには、間違いなく茉莉花のヌードが描かれている。でも顔以外は、全部ブタ岡のおぞましい想像で作り上げたニセモノだ。
「花ばっかり見てる杏子の目は、キモくなかった。私なんか興味ないって感じでさ。だから、仲良くなりたいなって思った」
茉莉花の頭が私の肩に乗る。栗色の髪がさらさらと白いブラウスの上を滑って落ちた。
「実は、ローファーを花壇に埋めたの私なんだ。杏子と話すきっかけにしようって思って」
「マジで?」
「マジ。どうせいじめられてるなら、利用しなきゃもったいないじゃん」
笑いを含んだその声は、音ではなくて振動として直接私の身体に響いた。
「花を食べたいって言ったのも、嘘?」
私の問いに、茉莉花は小さく首を横に振った。
「私も、杏子が育ててる花みたいにきれいになりたかったの」
「じゃあ、ちょっと待ってて」
私は絵の具セットから白い絵の具を取り出した。そして、ブラウスのボタンを一つずつ開ける。あらわになった肌を見つめる茉莉花のハシバミ色の瞳に、背筋がぞくぞくとした。
指先につけた白の絵の具で、私は左胸に花を描いていった。
白で五枚の花びらを。緑で茎と葉を。
「これが、茉莉花の花」
茉莉花は私の胸元に顔を近付けた。鼻先が肌にかすかに触れてくすぐったい。
「甘いにおいする」
「制汗剤じゃない?」
「ちがうよ。この花のにおい」
茉莉花は香りを吸い込むように、すうっと大きく息を吸った。
そして、顔を上げると、茉莉花も自分のブラウスのボタンを外し、胸元をぐっと開いた。白いブラジャーに包まれた胸は、サイズこそ違えど、私と同じものでできているはずなのに、もっとずっと柔らかそうに見えた。
「その花、私にちょうだい」
茉莉花が私を抱きしめた。茉莉花の大きな、そして想像の百倍柔らかい胸が、私の控えめなふくらみの胸に描かれた白い花を押しつぶした。
茉莉花の肌は、暑さとかすかな興奮で汗ばんでいるのに、どこかひやりと冷たかった。
茉莉花が離れると、私の左胸に咲いた花が、茉莉花の右胸にも咲いていた。ぺちゃんこにつぶれて歪んだ花は、ちっとも美しくなんかなかった。
けれど、これは私たちだけに咲いた、特別な花。
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