口角上がりっぱなし

「トニー、見たか?今朝のアリス嬢のあの顔…!」


「ウィル様、授業中ですよ!」


側近であるアンソニーにたしなめられ、前を向くウィルだが、やはり、クスクス笑いが止まらない。


今日から新しくクラスメイトになった、ポールという男がクラリスと親しくする様子と、それを般若の形相で睨みつけるアリスを、ウィルとアンソニーも離れた所から眺めていた。


(ポールがクラリスの頭を撫でた時なんて、腕ごと切り落としそうな顔をしてたぞ。本当に、あの少女はアリス嬢のいい顔を引き出してくれる)


思い出し笑いが止まらない王子様に、アンソニーはジト目を向けると、諦めたように授業へと気持ちを切り替えた。


(どうせ後になって、授業を聞いてなかったからノートを貸してくれ、と言ってくるに決まっている)


その時に備えてノートをきっちり取ろうとするアンソニーは、自身の思考が「社畜」と呼ばれる人間のそれにすっかり染まっていることには気づいていなかった。







(あー、12年振りのクラリス、ほんとに可愛かったなあ!)


ここにも、思い出し笑いが止まらない生徒がもう一人いた。ウィルとアンソニーと同じ教室の一番後ろの席に座るポールだ。


編入手続きや住居探しなどに、思ったよりも時間がかかり、新年度初日には間に合わなかったが、なんとか今日から学園に通うことができた。


今朝はだいぶ早目に登校し、各方面への挨拶や必要書類の提出などを済ませた後、クラリスを探すべく、校門に向かう。と、金髪をお下げにして、友人と談笑しながら校舎に向かってくる、懐かしい、愛しい幼馴染の姿が見えた。


最初は訝し気に見ていたが、すぐにポールに気づき、昔と同じように「ポールお兄ちゃん」と可愛い声で呼ぶクラリスに我慢ができず、思わず抱きしめてしまった。


(人前じゃなかったら、あんなもんじゃ済まなかったかもな~。あの、ちょっと怖そうな友人が止めてくれてよかったかもな)








大衆食堂を営むクラリスのメルカード家と、パン屋を営むポールのブランジュ家は隣同士で、家族ぐるみの付き合いをしていた。クラリスの兄のフレデリックとポールが同い年だったこともあり、本当の家族のように親しかった。

二つ下のクラリスは、ポールのことも兄のように慕っており、いつも後をついてまわっていた。一人っ子だったポールはそれが嬉しくて、フレデリックが焼き餅を焼くほど、二人は仲が良かったのだ。


だが、ある雨の日に小麦粉の仕入れに行った父が、馬車の事故で亡くなってしまうと一家の生活は一変した。

働き手を失い、パン屋を続けることができなくなり、母は必死に別の働き口を探した。

だが、ある貴族の屋敷の使用人に応募したところ、その家の主人に乱暴されそうになり、半狂乱になって逃げ出してきて以来、すっかり家に引きこもってしまい、働きに出るのは難しくなってしまった。 


それを見ていたクラリス達一家が、親子二人が飢えないようにと、毎日無償で食堂で食べさせてくれたが、そんなクラリス達も生活に余裕があるわけではなく、家賃など他の生活費を肩代わりするのは難しかった。




とうとう一週間後には家賃滞納で家を追い出されるという、そんな時にポールの家を訪ねてきた男がいた。


「こちらはブランジュさんのお宅で間違いないでしょうか」


初老の、小綺麗な身なりのその男は、礼儀正しくポールに尋ねた。


「…はい、そうですが…おじさんは誰?」


また借金取りか、と身構えるポールの目線に合わせて腰をかがめると、男は優しく言った。


「私はあなたのお祖父様とお祖母様に頼まれて来た者です。お母さまはいらっしゃいますか?」


少し迷ったが、男の柔らかい物腰に悪人ではないと判断し、ポールは母に声をかけた。


家の奥から体を引き摺るようにして現れたポールの母は、男の顔を見ると、驚愕に目を見開いた。


「レット…!ど、どうしてここへ…!」


「ナタリーお嬢様、ご無沙汰しております」


レットと呼ばれた男は懐かしそうにポールの母を見たが、そのやつれた姿に悲しそうに目を伏せた。


「ナタリーお嬢様、旦那様からの伝言をお預かりして参りました。差し支えなければ、お宅にお邪魔してもよろしいでしょうか」


驚きのあまり、返事ができないでいる母に代わり、ポールが男の手を取り、家の中へと誘った。


ドアが閉まる瞬間、フレデリックの驚いた顔が見えたような気がしたが、ポールはひとまず目の前の訪問者に意識を集中することにした。


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