第二章 美空ミカエル
始まりの音を
小鳥の囀りが聞こえる。
その囀りに耳を澄ませてそっと微笑む。
木々は紅く色づき始めている。
その美しさに心を打たれながら、ゆっくりと先に進んでいく。
足元に小動物がうろつき、小さな瞳がこちらを見つめる。
その黒い瞳が不安げに揺らめくから、敵意はないよと空の手を振ってみたり。
そうやってから、微笑みかけてから、歌を口ずさむ。
途端に小さな生き物たちが耳を立て、こちらへやって来る。
まどろむもの、興味深いとでも言いたげな視線を向けてくるもの。
人前。
それも大勢の前で歌うより、こうやって小さな観客前や特定の人の前で歌う方が好き。
その方が俺の性に合っている気がする。
国がそんな事許さないのは知ってるけど。
だって俺の歌は特別なんだもんね。
昔の記憶に思いをはせてげんなりする。
だから大人しく従っている。
どうせ抵抗したって無駄だから。
それに一応楽しみにされている。
求められている。
だから仕方なくやっている。
あくまで求められているからやっているわけで。
例えるならそれは奴隷のような物。
脳と心を殺して言う通りに動く人形。
実際人形みたいなものか。
お飾りなんだから。
飾っているだけで素晴らしいほど効果のある置物。
それくらいしか価値がないんじゃないなんて皮肉ったことも思ってみたりする。
でも所詮そんな物で。
世界なんて所詮そういうもので回っているもので。
それは全ての人間に共通している事で。
全人類になんで働いているのかを聞けばお金の為だとかそういう回答が返ってくるようなもので。
そうすることでしか逃れられない事がこの世の中に存在するという事実がそこにあった。
むしろそうした方が楽であるような事実。
見ないふりした方が安心できるような事。
俺が歌うと、みんな元気になる。
だから歌う。
回復の見込みのないような患者も、生きることに絶望した人も。
俺の歌を聞けば生きる気力がわく。
病が治る。
まるで洗脳みたいだ。
しかも、元気になって、力を使い果たして死んでいく。
そんなおまけなんていらないのに。
どうせ無駄なのに。
どんなに長生きしようともがいても。
それで俺の歌に縋る金持ちの奴らも。
病気が治るならと縋ってくる人たちも。
自殺志願者を止めてくれと請う人々も
俺がどれだけ歌おうと。
頭の上のカウントダウンがゼロを刻めば終わるのに。
たったそれだけのお話なのだ。
それだけの簡単な事実なのだ。
けれどそれがわからないからもがくのだ。
石の塔を見つめる。
そこにしか救いがないことなんてとうの昔に分かり切っている。
陶酔に近いこの感情をどう処理して良いのかわからないから近づこうにも近づけない。
陶酔に近いこの感情をどう処理して良いのかわからないから近づこうにも近づけない。
この石の塔の立札を超えて。
棘の巻き付いたフェンスを越えて。
その先にある木製の扉をたたけば。
その先には大好きで仕方が無い人がいる。
愛している人がいる。
あぁ、早く会いたいな。
会うのが怖いな。
その人は俺の事を覚えていないけど。
覚えていないからこの胸を強く締め付けるのだけど。
残り半年を示すカウントダウンだけが、冷酷に俺を見下ろしていた。
お前に逃げ場なんてないんだよ、なんて言いたげに。
それに対して挑戦的な笑みを浮かべる。
そんなの百も承知さ。
それでも良い。
この呪いも、能力も、すべてを利用し尽くせば。
もう一度貴方の元で笑える権利が手に入るでしょう?
アテネの一件があってから、僕は先輩の元に行き辛くなっていた。
顔を見るのが怖くなっていた。
行った所で前回と同じようにアテネと呼ばれたら?
あぁ、あの時の先輩の顔なんて簡単に思い出せてしまうのだ。
脳裏にこびりついて離れないのだ。
だからこそ怖い。
僕がこんなに怖がるのは先輩のことくらいで。
あぁ、いやだな。
僕自身を見てもらえないんじゃないか。
そう思うと不安で。
怖くて。
震えが止まらなくなる。
そんなの嫌だよ。
本当の僕を初めて見てくれたのは先輩で。
それで恋をしたのに。
それなのに、さらに僕の事を忘れて違うやつに重ねるなんて。
壊れてしまいそうだよ。
「早く会いに行けば良いのに。『最強の勇者様』はチキンですねー。まぁ、仕方ないと思いますけど」
「そのあだ名はやめろ。吐き気がする。それにお前が原因だろ。お前が先輩と会わなければ」
アテネが脳内でそう茶化して来たのでそう言う。
舌打ちをしながら。
不快極まりない。
こいつの所為で。
最強の勇者様、なんてふざけた称号もはっきり言っていらなかった。
そんなのいらない。
人じゃないって言われているみたいでいやだった。
苦しい。
勇者なんて期待しないでよ。
今まで散々劣等生なんて馬鹿にしてきた癖に。
アテネの能力と、元からの素質が相まってそう言われているらしいが、努力した結果なので何とも言えない。
なんというか、容姿のおかげだなんて言ってくる人もいるものだから。
そういう人に対しては、呪いにかかっていた僕と同じ状況になってから言ってほしいと思う。
あの頃少しは頑張って。
先輩に認められたいと思ってから、死ぬ気でさらに頑張って。
睡眠時間だって削ったよ。
できる事は何でもやったよ。
その結果が最強の勇者様。
なんだか子供じみていて笑えない。
お前の努力の結果なんてそんなものと言われているような気がして。
まぁでも、いいよ。
勝手に言っていればいい。
本物の怪物に勝てる自信はないから。
だってさ、自分の倍の体格がある怪物が目の前にいたとして。
それをやすやすと倒せるわけがない。
倒せるならば、それはきっと先輩みたいな人。
そういう人が本物の勇者様なのだ。
先輩を人類の希望なんかにするつもりはないけど。
僕みたいに利用しようとするのなら、阻止してやるよ。
仮に先輩が危険な目にあったら?
怪物に襲われて成す術なくて。
そしたら、きっと、死ぬ気で挑むだろうけど。
それだけ。
人類のピンチと先輩のピンチなら、先輩の方が最優先事項だ。
僕にとっては人類なんてどうでも良いことこの上なくて。
だから。
僕の力で敵わなくても、自爆でも何でもしてやるよ、なんて覚悟だから。
「なんで颯太は凪の事をそんなに好きなんですか?」
「僕をさ、初めて綺麗って言ってくれたんだ。それが嬉しくて。そこから恋に落ちたんだ」
初めて認めてくれた。初めて肯定してくれた。それが一番だよ。そう言うと、ふぅん、とだけアテネが言う。
「アテネは?どうして先輩の事を」
「…、初めは颯太が気になってたからどんな人なんだろって。けど、優しい所だったり、一人で全部抱え込んでしまうところに惹かれて」
先輩と過ごした日々を思い出しているのか、目を細めながらそう語る。
先輩と過ごした日々を思い出しているのか、目を細めながらそう語る。
一瞬睨み付けてやろうかと思ったけど、見苦しいのでやめておくことにした。
そうしなければ、自分が惨めで仕方なかった。
それは少し幸せそうで。
そう考えると、自分は相対的に不幸な存在であるように感じてしまって。
...、いや、実際にそうなんだけど。
なんだかそんな自分が凄く嫌だった。
なのに僕を尻目に幸せな記憶に浸っている。
そんなアテネを憎たらしいと思った。
けど、そう思ったところで過去が変わるわけではない。
アテネが目の前から消えるわけではない。
事実も変わるわけでもない。
今から僕がどんなに努力しようとも、アテネの首からかかっている結婚指輪が消える事はないのだ。
その事実が僕に現実というものを強く意識させる。
あぁ、なんてため息をはく。
結局はこんなもの。
これが現実。
残っているのは惨めったらしい自分自身。
どれだけ望もうが僕はアテネに成り代われない。
出来る事といえば、ただ自分自身を磨く事だけなのだ。
それこそ死ぬ気で。
呪いのお陰で多少は人より優れているとは言えども、結局は人間の域なのだ。
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