半夏生

 夕方、幾分涼しくなった頃になって仕事がひと段落した。千影はいつものように、ホワイトボードに献立を書き込んだ。


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【今日の夕食】


・冷やしすだちうどん

さばのみぞれ煮

・タコの唐揚げ

・ひんやりトマトの出汁漬け


※うどんのおかわりあります

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 今朝作ったトマトの出汁漬けと、残りの三品は半夏生に相応しいメニューになった。何が相応しいのかというと、タコと鯖とうどんは、それぞれこの時季に食べると良いとされているものなのだ。


 食堂にある大きなカレンダーを見て、今日が半夏生だったと思い出した。即刻メニューに活かされるのは、日々の献立に苦心している証拠でもある。


 鯖は本来、焼き鯖が良いらしい。若狭地方では脂の乗った鯖の丸焼きを食する文化があるのだと、朝市で馴染みの店主に教えてもらった。


「でも、大根をそろそろ使いたかったしなぁ……」


 食材は最後まで使い切るのが節約の基本だ。そういう事情があり、鯖は「みぞれ煮」となった。ホワイトボードをかけようとして、一瞬考えてから「鯖」のところを書き直すことにした。


 カタカナで「サバ」と書いてから、改めてホワイトボードにかける。


「これでよし」


 うん、と千影がうなずくと、背後から声がした。


「お前のために、わざわざ書き直してくれてるぞ」


「俺ですか? サバくらい、ちゃんと読めますよー!」


 呆れた顔で陽汰を見る貫井と、それに反論する声。帰宅したばかりの名コンビが、ホワイトボードを覗き込んでいる。


「お、おかえりなさい」


「千影さん、ただいま!」


「今日はまた、ぴったりなメニューだな」


 ホワイトボードを見ながら、貫井がぼそりとつぶやく。


「貫井さん、半夏生にタコとか鯖を食べるってご存知なんですね」


「……普通に皆、知ってるんじゃないか?」


 少し前、意気消沈していた貫井は少しずつ立ち直ったように見える。本当のところは分からないけれど、少なくとも食事を抜いたり、暗い顔をしたりすることはなくなった。


「いやいや知らないですよ。やっぱり貫井さんって物知りですね。年の功だなー!」


「年の功……?」


「おばあちゃん的な知識っていうんですか? 俺は皆無なんで、すごいなーって思います」


 陽汰自身は褒めているつもりなのだろうけど、貫井はそう受け取らなかったらしい。軽く後頭部を叩かれ、陽汰は口を尖らせる。


「せっかくすごいですね、って言ってるのに……」


「馬鹿、褒め言葉になってないんだよ」


「それは貫井さんが捻くれてるからですよ!」


 ふたりのやり取りを微笑ましく思っていると、結野が自室から顔を出した。


「もう夕飯の時間かぁ」


 体をぐいぐいと伸ばしながら、今日のメニューを確認している。


「うわぁ、どれもおいしそうだな」


「座ってるだけなのに腹って減るんですか?」


 お腹をさすりながら言う結野に、陽汰が声をあげる。


「頭を使うから減るよ。書くって意外に体力を使うし」


「そうなんすかー!」


 笑顔で納得する陽汰の隣で、貫井が小さくため息を吐く。


「お前、マジで言葉には気を付けろよ」


「何がですか?」


「『座ってるだけなのに』とか、神経質な奴なら気に障るぞ。働いてないのに飯を食う気かって意味にも取れるし」


「え? 別に働いてなくても食べていいですよね? 貫井さんだって普通に休みの日に食べてるじゃないですか」


「……いや、そういう意味じゃなくて」


 眉間に皺を寄せ、貫井は適切な言葉を探している。


「まぁまぁ。たとえ神経質な人間でも、陽汰の人柄を知ったら怒る気もしなくなりますよ」


 苦笑いしながら、結野が声をかける。


「悪気のない奴が、一番厄介なんだよな……」


 そう言いながら、貫井が食堂に入っていく。


 確かにその通りだと千影も思うけれど、陽汰の場合、本当に憎めないタイプだからすごいと思う。いつも元気で、いつでも一生懸命なのだ。最近、新しく仕事を任されたらしく、ときどき残業をするようにもなった。


 もちろん、遅くなる日は連絡をくれる。


「仕事を任せてもらえるのはうれしいです。いつまでも新人のままじゃダメだし」


 にこにこと笑う姿がまぶしい。


 毎日、張り切って仕事に向かう姿を見ると、自分もがんばろうと思える。生き生きと働いているひとを見ると、やはり気持ちがいい。

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