第21話 10歳にもなって人形遊びなんて
「ク、ク、クマが……しゃべっ…………キュッ!」
この世の中で類を見ないほど決まりの悪い空気がチル風味のクラシック音楽を飲み込んだその時、ブランは震える声で叫びかけたが、それは未遂に終わった。勢いよく体を前傾にして声を抑え込んだからである。それでも喉の奥から素っ頓狂な音は漏れた。
一方のシシュウはというと、目を閉じてただひたすら来世へ思いを馳せていた。
「次はごくごく普通の父親だといいな」
「な、なんの話……?」
「ねぇブランちゃん。長く苦しいのは嫌なんだ。一思いにこう……たとえばギロチンとかさ……たぶんフォークやナイフで代用効くと思うから」
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってよ! 急に死なないでね!」
「ああ。煮るなり焼くなり……わぐっ!?」
突然に両頬が
シシュウがぎこちなく頷くと、ブランの小さな手から解放された。自身の顔に凹みが出来ていないかを確認しつつ、シシュウはため息を吐き出す。
「ごめん。ちょっとどうかしてたよ。情けない」
「あの、君は、何なの? お菓子化と関係があるの?」
「いや、そのこととは……どうだろ、部分的には関係するのか」
「部分的? たとえば、この家をお菓子にした犯人と言葉を話す君には何か関係があるみたいな……?」
「あぁそうそう。 ……君はすごいな」
”部分的”という言葉だけでまさかそこまで辿り着くとは。やはりこの子は10歳にしてかなり賢い。行間を読むというか、察しの良さに長けていると思った。
そう思うと同時にシシュウの中で骨董商の”先生”が思い出された。置き物店長のシシュウが管理していた骨董品の大部分に値を付けたのは、同じ街で骨董店を営んでいた老紳士だった。商談に立ち会ったときも、言葉の端々から相手の意向や志向を汲み取っていたことは印象に残っている。
まばたきを繰り返したシシュウは改めてその顔をブランへと向け、自己紹介をした。その流れで自分自身の成り行き――目覚めるとテディベアになっていたこと、その犯人である稀代の大魔法使い”愉快魔”に元の姿に戻してもらうために汽車旅をしていること、ついさっき同行者に見限られたこと――それらを掻いつまんで語った。
そんなシシュウの話を聞くブランの表情は実に難しいものだった。眉間に皺を寄せて「むむむ」と唸っている。無理もない話だろう。なにせ小説の設定にしたって突拍子のない方なのだから。そしてこれは紛れなく現実の話だ。
ブランは間もなくして「あ、あの」と辿々しく尋ねてきた。
「シシュウさんのお話が本当でしたら、シシュウさんは歳上の男の人ということに?」
「え? あぁうん。もう少しで17歳になるけど」
「おにいさま……」
「……は?」
「ううん! なんでも! なんでもないの……ではなくて、ございません」
「さっきの呼び方は……まぁいいか。ブランちゃん、別に無理して敬語にしなくたっていいよ。ほら、こんな
(以前とは立場が逆だが)このやりとりのデジャブ感に苦笑いしつつ、シシュウが軽く腕を広げると、ブランはぎこちない調子でコクリと頷いた。何はともあれ、突拍子のないこの話はまともに受け止めてもらえたらしい。少なくともその事実にシシュウは胸を撫で下ろした。
ところが一方のブランはむしろ落ち着かない様子で扉と窓の方へと視線を行き来させた。
「その、シシュウさんの事情は分かったよ。――次にわたしの方だけど」
控えめに自らを指差したブランは小さな口をもごもごとさせた後に、その手をペチリと合わせた。
「お願い! わたしが隠れて人形劇なんてやっていること、おかーさんとおとーさんには内緒にしておいてほしいの!」
「……内緒にしているのか?」
「10歳にもなって人形遊びなんて、おかしいから」
確かに、一般的な10歳の女の子にしては嗜好が少し幼いかもしれない。ただ、直感的にシシュウはブランの言うところの“おかしい”が年齢的なもの以外の含みを持っているような気がした。そして、現にそうであった。
ブランは握りこぶしを小さく作り、ぽつぽつと語る。
「おかーさんとおとーさんに余計な心配はかけさせたくないの。ちゃんと正しく育っている良い子で居ないとダメなの」
「……ブランちゃん、もしかしてだけどさ、今日ハルシネと話していた時の……両親と会話する時もあんな調子なのか?」
「うん」
「それは――」
と言いかけたところで、次に続くはずだった頭ごなしの否定が喉元の綿に引っかかった。シシュウはソレを必死に飲み込んで、できる限り柔らかな声色で尋ねる。
「どうしてそんなに心配をかけたくないのかな?」
「……おかーさんとおとーさん、あんまり仲が良くないから」
「仲が良くない?」
「わたしが寝る時間になったらお仕事とかお金のことでよくけんかするの。おかしいよね、大人なのにけんかなんて」
「……ブランちゃんはその事を知っているんだね」
「本当はわたし悪い子だから、聞こえる会話は聞いちゃうの」
そう言うとブランは、先ほど床や扉に押し当てていた空のコップを指差した。「うへへ」とブランは小さく笑ったが、その表情を得意げと呼ぶにはあまりにも陰りを帯びていた。
当然、シシュウなんかには気の利いた言葉を吐けるはずがなく、ぬいぐるみのようにただその場に突っ立っていた。
「わたし、人形劇が好きなの。おうちの中だけで遊べるし、わたしの願いを叶えてくれるから。うへへ……いつかおかーさんとおとーさんと3人でやってみたいな」
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