第17話 今度は勘違いじゃない。


 バンッ

 

 夜の闇を反射する窓ガラスに衝撃が走り、大きな音が鳴り響いた。シシュウは身構えていたものの、その作り物の肩がビクリと跳ねる。オーに至っては座席と床の隙間に頭から潜り込む始末だった。その黒の尻尾がフサリと揺れる。


 ハルシネはそんな周りの様子を気に留める素振りも見せず、窓に突っ張った片腕と自身の体に挟まれた座席……そこに澄まし顔で座る駅員へと氷の表情をにじり寄せた。そして、もう片方の手に持つソレを駅員の目の前へと突きつけたのだった。


「……で。何これ?」

「オオカミが描かれたカード、でございますね」

「そんな事訊いていない。何故このカードを新たに寄越したのか、また理不尽に迷惑を掛けるのかを訊いている。 ……いい? 絶対に逃さないから」



 ………………。



「「こっっっっっっっっっっっっわ」」


 シェーデルと共に率直な感想を漏らしたシシュウが後退あとずさりをしようにも、すぐ背後は壁だった。ゆえに否応なく見えてしまったハルシネの目、とにかくその目がヤバかった。メデューサのような人ならざる者の……いや、ハルシネはサキュバスなのだが。


 そうやってすっかり気圧けおされているシシュウの袖元がちょいちょいと引かれた。


「な、なぁシュウ。お前たちが汽車に乗った経緯は教えてもらったけどヨ……ハルってあんなにも駅員のことを目のかたきにしていたのカ?」

「……まぁ、愉快魔と魔法捜査官は色々あったみたいだからさ」

「だからっテ、届いたのがオオカミカードとあの写真だけだからなァ。ちと大げさすぎないカ?」


 シェーデルがその首をカランとひねる。それとほぼ同時に、だんまりを決める駅員へハルシネが追撃を行った。


 今度はセピア色に染まった一枚の写真を突き付ける。


「この写真に写っている男性と女性、あとは帽子をかぶった女の子。三人家族かな、みんな幸せそうに笑ってる。 ……ねえ、この人たちに何をするつもりなの?」

「そのように仰られましても、お答えしかねますね」

「なぜ?」

「わたくしはただの雇われ駅員でございますから」

「駅員だから答えられない?」

「申し訳ございません。守秘義務がございますので」

「あ、そう。なら分かったよ」


 淡々と。緩急無く交わされるそのやり取りは確かに殺伐としていたが、この場を仲裁する力や勇気なんてシシュウにはある筈がなかった。強いて出来ることと言えば、この一触即発の空気をただゴクリと飲み込むことだけだった。


 そう、ただ空気を。


 …………

 …………?


「なんか……」

「? シュウどうしタ?」

「なんか、なんだっけこの臭い」

「ニオイ? いつもと変わらないゾ」

「シェーデルには分からないのか? いや、確かにどこかで……」


 ぺちゃんこの黒い鼻に肉球を押し当てる。緊張のせいで頭が上手く働いてくれない。でもこの独特の臭いは確かに嗅いだことがあった。そう、まるで雨が上がったあとのような臭い……。


 …………!


「魔法を、推する」


 どこからともなく降ってきたドーナツの記憶とともに、シシュウはその顔をバッと上げた。


「駅員だから話せないなら、として答えてよ」

 

 吐息混じりに囁くハルシネの右手は、既に駅員のネクタイへとかけられていた。しかしそれだけでは飽き足りず、もう片方の手が駅員の頬へと添えられる。


「ハル、シネ……?」

「ねぇ。夢の中なら、私の言うこと聞いてくれるよね」

「おい、ハルシネって……」


 シシュウが問いかけても、ハルシネの手は止まらない。慣れた手つきで駅員が着用するネクタイをシュルシュルとほどき、自身の体をにじり寄らせてゆく。その頃になるともう、ほんのり香っていた雨の臭いは消え失せており、代わりに生温かな甘ったるい香りが鼻腔をくすぐった。 ……その瞬間、路地裏で見たあの光景が再びフラッシュバックし、そして確信をした。



 サキュバスが男を捕食しようとしている。今度は勘違いじゃない。



「やめろ……やめろハルシネ! もうこれ以上は…………ぁ」


 と、シシュウがそこまで叫びかけた時だった。そんな甘ったるい香りの中心に居たはずの駅員がピトリとハルシネの唇に人差し指で触れたのだった。


 駅員は異常なほどに落ち着いた声色で、さとすように言う。


「ハルシネ様、どうかお止め下さい。わたくしに魅惑魔法チャームの類いは効きません。そしてそれ以上に、この魔法はハルシネ様にとって不本意な行為であるはずです」

「ハァ、ハァ、ハァ……愉快魔に指図される覚えなんて……」

「わたくしは愉快魔ではございません」

「いい加減に……ハァ……しらを切るのも……」

より」


 …………。


「愉快魔様より伝言を預かっております。”報われない少女を救いなさい”と」

「愉快魔、様? 何を……言って……」


 耳まで紅潮させたハルシネが唾液塗れの舌を見え隠れさせつつ問いかける。そんな様子に対してではないだろうが、駅員は喉の奥で「フフフ」と笑った。


「秘密が多いものでございまして。そうですね……あとお伝えできることでございましたら」

「あ」


 駅員が肩に手を添えると、ハルシネの体が呆気なくストンと落ちて、背後の座席へと崩れるように座り込んだ。駅員はそんなハルシネの手から写真を奪い取ると、静かな足取りでシシュウの目の前へと立ったのだった。


 シシュウは無い唾をゴクリと飲み込む。


「お連れ様に手荒な真似をしてしまい申し訳ございません。少しだけ眠っていただくことにしました」

「……いや、よかった。安心したよ。危ないところだったんだろう?」

「フフフ。その安心とはわたくしの身を案じての言葉なのでしょうか?」

「っ……! そ、そうに決まっているだろ」

「左様でございますか」

「それより、さっき言っていた伝えることってなんなんだよ」

「ええ、シシュウ様。別に大したことではないのですが」


 駅員が写真をテーブルの上に置いた。淡いセピア色のソレは、袋とじ状のオオカミカードの中に忍ばされていたものである。大きな家を背景に、一組の家族が写っていた。父親と母親らしき2人に手を繋がれている帽子をかぶった少女が写真の中央でとりわけに満面の笑みを浮かべている……。



 ”報われない少女”。



 …………。


「シシュウ様」


 嘘のような静寂に襲われた後、駅員が柔らかに呼びかけた。


「以前にサイシキ号を彩っていただきたいとお願いいたしましたが、ちょうど良い機会だと思います。 ……お伝えしたかったこととは、この事件の鍵を握りますのは紛れなくシシュウ様であるということです」

「は? なんだよそれ……何を適当なこと言って……」

「フフフ、そうでしたね。適当となるかどうかはあなた様次第でございました」

「……やっぱりお前とはどうにも喋りにくいな。 ――シェーデル、さっきから窓の外ばかり見てどうしたんだよ」

「ン? ああ、街が見えてきたからヨ」


 先ほどまでハルシネと駅員との間でいざこざがあったにも関わらず、この骨男は実に肝が据わっているものである(ガイコツだから肝はないが)。確かにシェーデルが骨指で差した先には、ぽつぽつと明かりが灯っているのが見えた。次第に近づいてくるその街灯りが、つややかなテディベアの目を反射する……。



 ――翌日シシュウは、”ブラン”という名のさとい少女と2本の尻尾をあやしく揺らす三毛猫に出会ったのだ。

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