第29話 希望を乗せて〈ライム〉

 チャイミさん、キャドさん、僕。


 皆、変わって行く。



 僕たち3人が船上でがむしゃらに働いた、少年だった遠い日々───


 あの焼けつく日差しの中の苦難の日々を懐かしく思う日が来るなんて。



 ‥‥いけない。僕は集中力散漫だ。





「本日、やっとここにてお話出来る段階まで来られたこと、私は嬉しく思います。ルトーナ所長、ライムさん。‥‥キャドさんまでもいてくれたのは僥倖ぎょうこうです」


 チャイミさんが切り出し、二人揃って軽く会釈した。


 なんだがすごく改まってて、僕はソワソワしてしまう。チャイミさんのお願いと相談とは‥‥‥? 



「‥‥俺が、ぎょうこ‥‥? キャドさんが凝固‥‥とは‥‥‥?」


 キャドさんの回りにクエスチョンマークがくるくるして、眉間にシワが寄ってる。本当に凝固してる。とりあえずキャドさんはこのままに。



「ルトーナさん、ライムさん、御社の慈善組織の活動には頭が下がります」


 チャイミさんから『ライムさん』、なんて呼ばれるのはなんか落ち着かない。きっとキャドさんもそれで戸惑ってるんだろうな。


「あの‥‥今日はすごく改まって何の要件でしょうか? チャイミさん、リリーさん‥‥‥」


 僕の不安げな気持ちが顔と言葉に現れていたようだ。


 口許に微笑みを浮かべたチャイミさんと顔を見合わせて、リリーさんがクスッと笑った。


 彼女は見かけと違ってわりとハッキリものを言う。そして密かに気は強い。



「ごめんなさいね。だって私たちはお願いに上がったのだから改まるのは当然なのよ。うふふ、ライムさん相変わらずかわいい♡ ‥‥その心の中、丸出しの困惑顔はNGよ?‥‥ライムさんはチャイミと違って政治家には向かなそうね」


 リリーさんが出した『政治家』というワードが僕に刺さる。

 

「済まない、ライム。これは俺から正式なお願いに上がってるのだから、暫くはこのスタイルで行かせてくれ」


 ルトーナ所長と僕の目線がパパッと合った。

 


 ───これって、僕らの期待通りの展開かも?



 チャイミさんがルトーナ所長を真っ直ぐ見た。そして、キャドさん、僕と一拍づつ視線を合わせてからルトーナ所長に戻した。



「私は決心したんです。私ではまだ力不足ですので、先のことになりますが。根回しに3年。これから種をまき、草の根を生やします」


「‥‥3年」


「はい。カナル区はプラヤーマーケットと漁港を擁する要の場所。まだ内密に願いますが、今のカナル区区長の任期の切れる3年後に、私は区長選に出馬しようと思うのです。既成勢力に切り込むのは大変難しいのは分かっておりますが」



「ええっ!! それ、本当ッ!! お前選挙に出んのッ!?」


 内密にと言われてるそばから、キャドさんが大きな声を出した。 


 僕の心は急速に高ぶり、頬を熱く感じながら、おずおずとチャイミさんの顔を伺う。


「その心は‥‥その‥‥やっぱり‥‥‥?」


「ああそうさ、ライム。ファーランさんを失うという悲劇をもたらした、ルトーナさん襲撃事件で俺は決心した。悲劇を繰り返さぬために、俺には俺の出来ることで貢献しようと思う。奴隷狩り被害者の1人として」


「そうよ! 負けたくない! 私たちは、負けないわ!! 3年後、必ず勝ってみせる! そしていつの日か、私からチャイミを奪った、国会にのさばるあの悪の元凶を追い落として見せるッッッ!」



 わっ、リリーさんの原動力の源はいつもチャイミさんなんだね‥‥‥


 恋の力ってスゴいかも。



 リリーさんの力のこもった力説は続く。



「シビルリバティック党が政権を奪えば労働者保護にまつわる法案も、今まで潰されて来た利権者への規制法案も通るはずよ! 私たち、今日はそのための協力をお願いしに来たの。私たちの代で、正しい治世を取り戻すのよ!」


「はい、そのためのご支援を頂きたく、本日は参上いたしました。私どもを支援して頂けると信じて」



 チャイミさんが、キリリと僕たちを見回す。


「‥‥まあ! 本当ですか! それがもし実現すればなんという朗報でしょう!」


 ルトーナ所長は、期待通りの展開に目を輝かせてる。


 それは、僕も同様で。



「‥‥ただし、とても危険で険しい道だわ‥‥‥」



 この事実が向こうに知れれば、妨害されるのは分かりきっている。汚い手を使って来るだろう。身をもって知っているルトーナ所長は、喜びながらも憂いを滲ませた。


 悪意の噂を工作流布されたり、あるいは街のチンピラを雇って刺客を放って来る可能性だってあり得る。最悪の場合はファーランのような悪夢が再び‥‥


 チャイミさんが、不安を浮かべてるルトーナさんの目を見て言った。


「ええ、危険は伴いますが、向こうもそこまで愚かでは無いでしょう。知名度のある私たちが傷つけば、あちらは批判され、世間の同情票は一気にこちらに集まりますからね」


「だからと言って、本当に何かあったら大変ですもの。キャドさん! そこであなたの出番よ! でもね、これから顧客層を広げるためには、そのままではよくなくてよ? フィジカル以外もスキルアップが必要です。早急に更なる部下たちへの教育をお願いするわ。あなたも含めて社交のマナーも向上させておいてください。あ、これからは公式な場面では言葉使いも考えて下さいね。きっとそれが、今後の経営に、良い影響を及ぼすわ」



 リリーさんがキャドさんに、さらっとあれこれ注文を‥‥‥


 僕は、キャドさんにこんなにズケズケものを言える人はリリーさん以外知らないよ。


 ちょーっと冷や汗の僕。キャドさんの反応は‥‥‥



「そう? じゃ、マナー講師呼んでみっかな。‥‥‥これは我が社にも大いなるチャンスだし。オッケー! じゃあ、俺は内部改革するわ。+裏情報収集用心棒バウンサー部門と、+エレガンス警護人ボディガード部門とか創設しちゃう‥‥?」



 リリーさんのマネジメントぶりとハンドルさばき。僕は彼女に、チャイミさんに劣らぬ大物感を感じてる。



「よーし! 俺に任せとけ。リリー! そこまで言ったからには絶対俺の会社に依頼しろよな!!」


 キャドさんはリリーさんを指さして煽る。


「それはその方向ですけど、‥‥最終決定はそちらの仕上がり次第ね?」


 リリーさんが片眉を上げた。



「チッ‥‥チャイミの嫁は一筋縄じゃいかねーな?‥‥ふふん、待ってろよ? 俺は俺で顧客満足度100%目指してがんばるから、お前ら夫婦もどんどん進め!」 


 キャドさんは鼻の上にシワを寄せて見せてから、ニカッと笑った。



「‥‥ありがとう、キャド。期待してる。俺もキャドに護られるだけの価値のある男になれるよう、これまで以上に努力する」


 口許を引き締め、チャイミさんは軽く頭を下げた。



 時にこの3人には、他が入り込めない特別な空気を醸してる


 この3人は同年同士だからかな‥‥‥?


 ‥‥ううん、きっと彼らは対等な友情関係を築いてるからなんだ。僕が彼らを仰いで見てるのとは違って。


 けど、僕だって仲間だ。彼らも僕らも今、見ているのは同じ方向だ!



「なんだか僕、全てが良い方向に回り始めたような気がします! 素晴らしいです、ファーランさんも天国で喜んでくれます。僕たちは全面的に協力を惜しみません!! ねっ、ルトーナ母さん!」


「ええ、ライム。そうね‥‥‥」



 今度はチャイミさんとリリーさんがびっくりして顔を見合わせた。


「ライム‥‥今、ルトーナ母さんって!?」


「ライムさん、やっぱりあなた‥‥‥」



 ‥‥‥あれ? 二人ともまだ知らなかったっけ?




 ***




 ────3年後



「おめでとうございます! チャイミ氏、当選確実です! ここに史上最年少のカナル区区長誕生です!」


 選挙事務所には、目映いフラッシュを浴びながら、インタビュアーにマイクを向けられてるチャイミさんがいた。




 ───ファーランさんの思いもかけない死が、周りの人々の運命を急かした。



 僕はルトーナさんの養子となり、エマンシペーターの代表となった。


 チャイミさんはついに決心し、カナル区区長立候補、そしてみごと当選した。


 強力な権力に歯向かう僕たちを、キャドさんが部下を引き連れ護ってくれてる。



 大きな拍手と共に花束を渡されたチャイミさんは、壇上から会場の支援者たちに向けて、大きく頭を下げてから皆に笑顔で手を上げた。


 選挙事務所は喜びの喝采に溢れた。会場から溢れるほど集まった報道のカメラのフラッシュで、辺りが眩しく白くチカチカ照らされてる。


 袖から笑顔の夫を見ているリリーさんは、ハンカチで目尻を押さえ、そのチャイミさんの後ろでは、キャドさんがボディガードとして周りに目を光らせてる。


 

 ───僕たちの思いがチャイミさんに集結し、具現化した瞬間。



 ルトーナ母さんと僕は選挙協力スタッフとして、その会場の隅で喜びを分かち合っている。


「母さん! やりました! シビルリバティック党、33才の若きカナル区区長の誕生です! 僕たちは、ようやく希望の一歩を踏み出しました!」


「ああ、なんて清々しく麗しい日なんでしょう!」


「これは始まりですよ! これ以上の理不尽が起きぬために、僕たちは抗い続けなくてはなりませんからね! チャイミさんなら、街から悪行の輩を排除してクリーンな街造りをしてくれます。彼はこれから内部の抵抗勢力との険しい闘いが始まりますね。僕たちも最大の協力をしなければなりません」


「ええ、そうね。これが本当の始まりね。かつては諦めていたけれど、私たちは今、根本的改革への道筋を作るスタートライン立てた。ファーランも空から応援してくれているわ‥‥‥」


 目の前の僕を見ていながら遠い目をして微笑んだ。



 ルトーナ母さんに心から笑って貰える日が来るって、僕は信じてる。



 ───今、この時にだって船上に捕らわれている人たちがいる。


 昔の僕らのように。


 

 でも、いつまでもこのままじゃないって、今、終わりの始まりの闘いのゴングが鳴ったんだって、世界中の海に向かって叫びたい。


 

 フラッシュの光に瞬く壇上のチャイミさんを見ながら、僕は─────








                     満天の星空と波の狭間で 《終》




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