第26話 僕のそれから〈ライム〉
キャドさんがフラッと僕んちに住み着いて、半年後、子分を引き連れて去って行き、僕は落ち着いた独り暮らしに戻ってからおよそ2年半が過ぎた頃にその悲劇は起こった。
僕は仕事では中堅となり、拉致被害者の生活費相談や、これ以上被害を出さぬための啓発活動を精力的にこなしていた。ただ、それでは根本的な解決にはならず、組織内部では我々はもっと政治に働きかけるべきだとの意見が強くなった。
労働者階級目線のシビルリバティック党の見込みがありそうな議員に、ピンポイントで積極的に働きかけるべきだとの意見を重視し、運営の方向転換を模索した上でついに実行に移した矢先の出来事だった。
───それはまさかの事件だった。
「うっ、うっ、ううっ‥‥‥ライム、大変なの‥‥‥」
もう、夜の10時を過ぎていた。
僕は定時に仕事を終え、キャドさんと待ち合わせしてちょっと飲みながらお喋りし、アパートに戻りやれやれした所だった。
ルトーナさんから嗚咽を漏らた電話が僕に入った。
「‥‥ルトーナ所長? どうなさったのですか? 大変って‥‥‥?」
あのルトーナさんが感情的になって泣きながら僕に連絡して来るなんて尋常じゃない。この時点で嫌な予感しかしない‥‥‥
「‥‥‥ファーランが、ファーランが暴漢に撃たれたの! 今、病院なのよ。あの人‥‥助かる可能性は低いって‥‥言われて‥‥‥」
「どこにいるのですかッ! ルトーナ所長。僕すぐ行きますから!」
───僕たちの願いは届かず、ファーランさんは亡くなった。
彼はルトーナ所長が組織結成時からの古参で、彼女の右腕であり、護衛を兼ねたスタッフで、入籍はしてはいないものの、プライベートでもルトーナさんのパートナーであった。
ルトーナさんの嘆きは大きい。
ファーランさんは暴漢からルトーナ所長を守って殉職したんだ───
その日の夜、9時過ぎに外回りから帰ったルトーナさんとファーランさんは、事務所の駐車場で車から降りた直後に物陰から突然現れた何者かに襲われたそうだ。
ナイフを構えてルトーナさんに突進して来た犯人を、ファーランさんは手刀でナイフを飛ばし、地面にうつ伏せに倒して身柄を取り押さえた。
うつ伏せでひねり上げられた左腕に苦痛のうめき声を漏らしていたその若い男は、密かに小さな拳銃まで持っていた。右手を背中側に出し、狙いもつかぬまま適当に撃った弾丸がファーランに当たった。それはファーランさんの頭を‥‥‥
犯人はすぐに捕まった。
それは驚いたことに、僕とも因縁深く、かつてより知っている人物だった。
僕と同じ漁船のメシを食べた奴隷労働者だった。僕より一つ年上のヤーン。
衝撃だった。
最後に見た姿は、僕は波間から、彼は船のデッキで僕を見下ろして。
お互い、まだ少年だった頃‥‥‥
末端の実行犯のヤーンを捕まえただけで警察の捜査は終了した。
『殺らなきゃ俺が殺られるんだ。仕方なかったんだ‥‥』
彼は供述ではそう言っていたらしい。闇の組織に縛られて、使い捨てのコマにされたんだね。
『今は捕まってホッとしてる。助けてくれよ‥‥俺の人生、あの船に乗せられた時から狂っちまったんだ‥‥逃げられねーんだ。アイツは逃げても、逃げても‥‥‥しつこく追って来やがるんだ』
反省とも言えぬ反省を述べていたヤーンは、刑務所に入れられて間もなく誰かに殺されたらしい。自殺と発表されたけれど、たぶん違う。ヤーンは自殺するような男じゃない。自分のために他人を平気で犠牲にする男だって僕は知ってる。
キャドさんもソムラータさんも、ヤーンは漁船と一緒に海に沈んだはずだと言って、彼の出現にはすごく驚いていた。
チャイミさんは今回も何も言わなかったけれど、チャイミさんの致命傷ともなり得たあの刺し傷の原因を、僕はここに来て知ったような気がする。
ただの僕の憶測に過ぎないけれど‥‥‥
───闇は深い。
ルトーナ所長が狙われたことは、我々の組織が政治的にシフトして行く活動方針に対する報復だったと見てる。
僕たちはかけがえのない仲間の1人を永遠に失った。
この悲劇に対し、僕たちが出した結論。
───それでも僕たちは理不尽に抗う。
僕たちは無関係の人が不本意に巻き込まれる犯罪や強要行為をこのまま放置してはいけないんだ。誰かの利益を生み出すために、誰かの人生を搾取して歪ませる理不尽───
ファーランさんを殺害したこの男を僕が憎くないわけがない。だけど、これはヤーンだけの問題じゃないって僕は痛いほど知っている。
僕が言えるのは、ヤーンだって奴隷狩りにさえ遇わなければ、このような不本意な人生を送らなくて済んだってことだ。
気丈にはしているが、仕事上で最も信頼していた長年のパートナーであり、恋人でもあったファーランさんを、いきなり失ったルトーナさんの悲しみは海の底のように深いのは誰の目にも明らかだ。
ルトーナさんは50代の半ばで、このことをキッカケに、慈善組織 エマンシペーターと自分の行く先を考え始めたようだった。
彼女は、半分仕事で半分プライベートな相談を僕に聞いて欲しいって言って、それは事務所では話さず、僕のアパートをわざわざ訪ねて来て、思いもかけないことを言った。
「‥‥‥これは決して無理にじゃないのよ? もちろん断ってくれても全然構わない。‥‥‥ライム、あなたに私の養子になってくれって言ったら困るかしら? そして、このエマンシペーターを私亡き後、背負って欲しいって言われたら?」
いきなり言われてビックリした。
養子になんてならなくても、僕はルトーナさんの下、この組織を守って行くつもりでいた。
ふと、気がついた。疲れたその顔。いつの間にか増えて来たグレーヘア。これまでの苦難を現す眉間に刻まれたシワ。
初めて僕が出会った時の、エネルギッシュなルトーナさんはここにはいなかった。
僕が命からがら助かった約10年前、僕たちは赤の他人だった。
慈善組織の所長と相談者。
にも関わらず、新たな寄る
いつか何倍にもして恩を返そうと思っていた。
今こそ僕はルトーナさんに恩返し出来る時が来たんだと思った。
「ルトーナさんが望むなら、僕は喜んで。ただし、もうすぐ27才の子どもになりますが」
「ライム‥‥‥本当に? でも私、ライムの本当のお母様を悲しませてしまうわね」
「僕には兄弟はたくさんいますから。僕の家族たちは皆優しい人たちだけれど、僕の居場所は無くなっていたのは知ってますよね? それに僕はもう大人です。身の振り方は自分で決められますよ。僕は母さんと呼べる人が二人も出来て幸せです」
「‥‥本当に、本当にそれでいいの? よく考えてからでいいのよ?」
「‥‥僕は、父と僕が行方不明という逆境でも必死で家族を支えた母親を尊敬しています。そして、それ以上にルトーナさんを尊敬しています。他人にも向けられるその愛情に。それはこの僕も包んでくれました。僕がここにあるのはルトーナさんのおかげですよ」
震えるルトーナさんの背中を抱いた。
「‥‥‥ごめんなさいね‥‥私、勝手よね‥‥」
僕の胸で涙を流す、僕のもう1人の母親。
「いえ、僕はあなたを母と呼べることを誇りに思います。‥‥‥泣かないでください‥‥‥今度は僕がルトーナさんを支える番です」
「ライム‥‥‥ありがとう‥‥本当に、ありがとう」
**
その頃、チャイミさんは、父親が元パラヤイ区長だった縁で、州の同政党であるシビルリバティック党のサラータ議員の秘書として働いていた。
チャイミさんがルトーナ所長と僕に、夫婦二人揃ってご機嫌伺いをしたいのでアポイントメントを取りたいと、新妻のリリーさんを通して連絡が入った。
忙しいチャイミさんが、こちらの都合に合わせた時間で面会を申し込んて来るなんて?
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