第14話 全ては海の藻屑となる〈チャイミ〉

 

《アーバヨッ!! ハッハー! お前ら、船もろとも海の藻屑となれ!》



 ───嘘だろ? 仮にも船長ともあろう者が、乗組員を残したままで逃げるなんて! 


 皆、まだ船内に閉じ込められてる!!!


 キャップは俺たち全員海に沈める気だ! 密漁の証拠ごと。


 ここまで大きな事故になったら世間に知れ渡りバッシングされるのは必至。バックの利権を持った大物権力者だってもみ消しきれず、世間から責任を追及するムーブメントが起こる可能性がある。



 俺はこのまま死ぬわけにはいかない! 今この時、この俺しか皆を助けられない。



 鍵束を拾ってベルトに付け、残された救難ボートのロープを回収し、肩にかける。


 その間にも船は船尾へと、しずしずと傾きを増しているのがわかる。



 船上に散乱してぶら下がる網やロープに掴まりながら、斜めって滑る床をよじ登り船室に向かう。震える腕に力を込めて。指先が冷えて思ったように動かない。


 泣き言を言っている場合じゃない!


 キャド、ソムラータさん‥‥苦難を共にして来た。そう、彼らは仲間だった。



 ───ここでは仲間意識を持つな。身を滅ぼす。



 いや、俺は仲間を助ける。キャップがいなくなった今、その警句は無用だ。



 俺はライムの時のような思いは二度としたくはなかった。繰り返せば自分で自分を許すことは出来はしない。


 体の痛みはなぜか耐えられた。気力が、現実以上の力を引き出してるのを感じてる。


 人っておかしなものだ。自分のためにはもう体は動けなかったのに、他人ひとのためには気力をふり搾れるなんて。


 これは、本能なのだろうか?



 操舵室に入り、船室への階段への扉を開くと、異臭と白く煙った空気が流れ出た。


「ゲホッ‥‥早く来いッ! 聞こえるかッ!! ゴホゴホッ」


 無反応。


 とてもじゃないが、入れたものではない。一旦扉を閉めた。


「ウワッッ!」



 ガクッと全体が大きく傾いた。体が壁にすべち落ちて行く。


 船尾から沈みつつある。船首が空を向き始めたようだ。船体が海面に垂直になれば、もう時間が無い。


 ガタガタガシャンと、内部でモノが散乱する音が数秒続いた。


 ううっ‥‥‥俺の体にも痛みが耐え難く響く‥‥が、使命感が俺を突き動かす。急がなければ、みな船もろとも海底へ沈んでしまう!


 床が壁に変わった。扉は床下に空いた深き穴と化した。



 隣の船長室の扉から、誰かの気配がする。


 異臭で声を出すのも辛い。代わりにドンドンと、扉を叩いてみた。



「おーい! ゲホッゲホッ‥‥そこに誰かのいるならッ‥‥船長室の扉を開けてくれッ!!」


 これは、キャドの声?


「ゴホゴホッ、了解!」


 返す声は掠れて向こうに聞こえるような返事にはならなかったが、ゴンゴン叩いたら同様にゴンゴンと戻って来た。


 渾身を込めて扉を開く。


 斜めになった部屋の奥底にキャドとソムラータさんがいた。幸いこの部屋には、そこまで煙はたまってはいないようだった。


「おーい! ゲホッゲホッ‥‥高くて上れない。ロープをくれッ!」



 船が大きく傾いたせいで、扉口は部屋の中からは手の届かない天井状態となっている。



 俺は巻いて肩に斜めに下げて持ってきたロープをドアの取っ手に結び、いくつか結び目を作ってから下に投げ入れた。


 俺が担いで来たこのロープは細いから登りにくいだろうけど、ロープというものは実は見かけよりとても重くて、これが今の俺には精一杯だった。途中に輪を幾つか作れば手足が掛けられて何とかなるはず。



 やがて、片足の不自由なソムラータさんを背負って、煤だらけのキャドの手が扉の枠にかけられた。そして煤黒くなった顔が2つ、にょきっと穴から出て来た。


「ハァ、ハァ、ハァ‥‥サンキュー、チャイミ。ん? どうしたその顔? イケメンが台無しだぜ?」


 ふっ‥‥こんな時なのに、キャドはキャドのまま。俺の親友、キャドが無事で良かった。ライムが助けようと一生懸命看護したソムラータさんも救えた。


「‥‥あーん? 整い過ぎてるのも罪だからね‥‥お二人さんも同じ感じ?」


 努めてふざけた。鼻がズキズキして腰の感覚も無くなって目も眩んでるのに。

 

「‥‥ったく。愛してるぜ! さすがチャイミ! サンキュー!! ソムラータさんを引きあ────」


 ニカッとシニカルに笑ったキャドの顔を見た途端、俺の電池は切れてしまった。



 目の前に黒い幕が押し寄せて‥‥‥


 覚えてるのは、焦るキャドの顔。ソムラータさんの俺の名を呼ぶ叫び。



 ───それからのことは虚ろで、切れ切れで‥‥‥



 気がつけば救命艇に乗せられ、どんな時も陽気で勝ち気なキャドが『神様、チャイミを助けてくれ』って、俺の横で泣いていて、ソムラータさんになだめられてる‥‥‥


 ありがとう、キャド。俺のために泣いてくれて‥‥‥


 どうしてだろう‥‥‥目頭が熱い‥‥‥これは、涙‥‥‥?



 **



 港に近かったのが幸いした。


 回りに他に入港待機している船はいなかったものの、火事に気がついた港の船舶が、救命艇を出してくれて、俺たち3人は奇跡的に助かった。



 最初に火災が起きたのは機関室だったそうだ。


 こちらは広がること無く消火器ですぐに消し止められたが、キャップの怒りは相当だった。


 ソムラータさんが、逃げて来た他の乗組員から又聞きで聞いた話は酷いものだった。


 機関士たちは火災の落ち度をキャップに責められ、しかし『どう見てもここで失火する要素はなかった』と弁明したため更に怒りを買い、役立たずだと全員その場でいきなり射殺されたという。


 そう言えばデッキでそんな音を聞いたような‥‥‥



 更に気づけば厨房からも火の手が上がっていて、乗組員らは懸命に消火に当たったが、酷い臭気と煙で思うように消火出来ずにいた。


 火の手が収まらないのを危惧したキャップは、片足が不自由なソムラータさんはここでは足手まといだからと、船長室に残された荷物をキャドと共に、スーツケースに詰める作業を指示した。


 キャップはキャドに持ち出すもののリストを伝え、キャドは先手で、疾風のように出て行った。足の遅いソムラータさんが遅れて食堂を後にする頃には、煙がすごくて、もう皆逃げた方がいいのではという乗組員同士の会話が聞こえていたそうだ。


 ソムラータさんは船長室に向かいながら、とても嫌な予感がしたそうだ。どうにも気になって立ち去り難く、途中で振り返って見ていた。


 そしてその予感は当たっていたことを知った。


 銃撃音が連続した後キャップが出て来て、食堂の外側から扉を閉め、その場に残っていた全員閉じ込めたのを密かに目撃し、逃げるように船長室へ行ったそうだ。



 それからすぐに船長室に現れたキャップ。


 ソムラータさんは、自分が目撃したことがばれているのではと、恐ろしくてたまらなかったそうだ。


 

 それは杞憂だった。なぜならキャップは自ら話したからだ。


『もう奴らは皆くたばった。‥‥‥残るは俺とお前ら二人と、デッキで待機してるヤーンかな?』と、ニヤニヤしながら言ったそうだ。


 ソムラータさんは、キャップは狂ってるのを感じて、恐怖の余り、荷造りしながら自分が何をしているのか、わからなくなった。ただただ手だけ自動的に動かしていた。


 消火活動をしていた乗組員たちは皆、銃に撃たれ、もしくは煙に巻かれて今この時に、虫たえだえになっているであろう事実を受け止め切れなくて。


 

 銃口を向けられながらキャップの脱出の荷造り作業をさせられていたソムラータさんとキャドは、あれこれ詰め込んだスーツケースをキャップに手渡した。


 キャップは、銃口を二人に向けたまま部屋を出た。扉が閉じられホッとしかけた、が。


 閉まる直前、扉の隙間から銃口が差し込まれたのが見えて、もうダメかと覚悟した。


 引き金は引かれたが、それは空撃ちだった。銃の銃倉マガジンがカラになっていて、助かったそうだ。


 キャップは急いでいたせいか、次の弾を装填せずに立ち去り、撃たれずに済んだが、そのまま船長室に閉じ込められていたそうだ。




 なんて、世の中なんだろう。


 日常とはほんの少しズレただけで、こんな世界が海の上に点在している事実。



 世界中の人に知って欲しい。


 その食卓に並ぶ魚のために、こんなリアルがあるってことを────

 




 漁船からの脱出を計画していたのは俺だけでは無かった。


 そう、これらは誰かが意図的に起こした火災だろう。


 俺はヤーンが全てを算段していたのではと思うけれど、証拠も無いし口にすべきでは無かった。


 ヤーンを疑っている者は誰一人いない。



 ───俺以外は。





 白い天井の薄茶色のシミが次第に変形し、無表情で俺を見つめている。


 それは、俺が海に置き去りにしたライムの顔。


 知っている。これは心が見せている幻。これは俺の罪悪感が作り上げる白昼夢。



 俺は幻に語りかける。



 ──今回俺は出来るだけのことは出来ただろ? ライム。天国で見ていたか?



 病院のベッド上で思い返す船上のエマージェンシー。



 あの船は沈没した。


 キャップの言葉通り、これから長い年月をかけて海の藻屑へと朽ちて行くのだろう。



 ただの漁船の沈没に、本当の名も、国籍さえ分からぬ亡骸のために巨額費用を負担し引き上げるなど、この世ではあり得無い。



 この利益至上主義の世界、金の前で人の命の尊さなどはかなき大義名分。



 失われた命ごと、元から無かったかのように。


 あの船で起きた数々の出来事。俺たちの働きも、犯罪も罪も何もかも───



 俺たちの証言など、どこにも届かない。


 全ては海の藻屑となって消える。



 船は深き海の底に────





                  第2章  海の藻屑となれ   《終》



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