第10話 リフレイン〈チャイミ〉
変わらなくてはいけなかった。以前の俺のままでは通用しない荒っぽい世界だったから。
一人称は『僕』から『俺』になった。使う言葉遣いも今までの礼儀正しさは捨て、意識して変えた。
生き抜くためには、まずは他の乗組員の信頼を得る働きをするべきだった。いつまでもキャドの金魚のフンと目されている訳にはいかなかった。
俺はやがて若手ナンバー1のキャドに並ぶ位置まで上った。
あの日から俺は選択の余地は無くこの漁船で働いている。弟、プラムの行方の手がかりは無いままに。
ここに閉じ込められて死ぬわけには行かない。弟の無事を知りたい。どこかで俺同様に奴隷に? だとしたら、辛くて泣いてるのかも知れない。
最悪の事態は考えたくは無い。
心が疼く。
両親は、プラムと俺の行方不明に心を痛めてることだろう。
俺の女神だったリリーは‥‥‥俺のことはもう忘れた? その方がいい。彼女が愛してくれた俺はもうこの世にはいない。
彼女にプレゼントしたくて買った海ガメのネックレスだけは、俺の上着のポケットに残っていたから、今も手元にある。切ない思い出の品となって。
辛い日は、これを眺めてる。キミを想いながら。もう、叶わぬ恋なのに。
今はちょっと明るい未来は思い描けないから、幸せだった過去にすがるしか心は支えられない。
未だ、プラヤーマーケットの夢でうなされる。
この現在の状況を作り出したのは、すべて俺のせいだった。
プラヤーマーケットで、プラムを一人にしなければ、俺たち兄弟は今こんなことには。両親もリリーも悲しい目に遇わせることなど無かった。
毎日、この結果論で俺の心の黙想は終結し、また後悔を繰り返す。
エンドレスなリフレイン。
あれから6ヶ月。どうすればここから確実に脱出できるのか考えていた。だが、海の上ではそれは容易な事ではなくて。
ここではキャップだけが銃を持ち、上に媚びを売る奴は、怪しい動きの密告をして保身を図る。
俺だって下手に動くことは出来ない。敵は表面上ではわからない。信用できるのはキャドだけ。そのキャドだっていざとなれば俺との友情より、キャップとの密かなる縁で身を護るだろう。
ある日、この船にまだ子どものような細い男の子が連れられて来た。
やって来た小舟から、眠ったままこの漁船に運び込まれて来た。
きっとこの俺もこんな風に。
目覚めるまでの見張りは俺に任された。
キャドは新入りに興味があったらしくて俺に付き合った。同じことの繰り返し。娯楽の少ない船の上で、目新しいことなんて滅多に無いしね。
床に転がされている男の子の寝顔は、弟のプラムを連想させた。この子がプラムだったらどんなに‥‥‥
俺には屈託なくわがままを言って甘えて来てた。時にウザくて、憎らしくも感じていたけど、やっぱり弟は可愛かった。プラムに会いたい‥‥‥
だんだんとプラムの顔も声も、俺の大切だった人たちの記憶が薄らいで そのうち本当に全て忘れてしまうのでは‥‥と、時々怯えが走る。
──目を覚ましたその子は、ライムと名乗った。
少し話したら、お調子者で腕白だった弟のプラムとは違って、真面目で気弱そうな子だってわかった。
こんな子が、田舎から出て来たばかりでまさかの拉致。こんなところに連れて来られるなんて。可哀想に‥‥‥
俺は密かに同情してしまった。
ここで同情は、お互いによい結果を生まない事はわかってはいたのに。
俺がライムを気にかけていたことが不幸な結果を招いた。
彼はここに来て2ヶ月余り過ぎた8月の初旬に、人災と運の悪さも重なって海に転落した。
ライムを助けることは叶わなかった。
キャップの命令により、ライムの命より、イスターン国の巡視船の見回りが厳しいその海域を早く抜けることが優先されたためだ。
この船の上でただ一人、銃を持っているキャップには誰も逆らえはしない。
死にたくない。
俺だって。
死ぬわけにはいかない。弟を見つけ、家族の元へ戻りたい。
ライムはとても優しくて心が清く、人を疑うことを知らない純朴な子だった。
そんな子を、助けてあげられなかった自分の無力を思い知る。
罪悪感が俺を蝕む。
ライムは、波に揺られながら俺を信じて救助を待っていたはずだった。暗く果てしなく広がる海に畏怖し、迫り来る死に恐怖を感じながら。
そして最期は戻らぬ船に絶望し、俺を恨みながら海の藻屑となって消えてしまったに違いない。
俺は‥‥‥どうすれば良かったんだろう? 俺がキャップに歯向かったところで死体が一つ増えていただけだ。不毛だ。わかりきってる。
なんたる無力なんだろう。
胸が潰れそうだ。
ライムが消えてから、俺はつまらないミスを繰り返してる。
つい最近も。
俺は声かけもしないままタイミングを図らず、大量の魚をクレーンで吊り上げた網の口をほどいてしまった。
デッキに散らばった魚。
大事故になるところだった。
幸い怪我人も無く、魚の損失も無かったのでキャップからは叱責と数発の体罰で済んだ。
甲板にいた乗組員には、相当の悪評を買ったが、俺も謝ったし、キャドとソムラータさんのとりなしもあって、なんとか収まった。
その後でキャドから、しっかりするように釘を刺された。次やらかしたら、もう庇い切れないと。
そして、『いつまでもライムのこと引きずってんな』ってドライな一言。
そうは言われても。
脳裏に焼き付いたまま離れない。
ポツンと波間に浮いていたライムの姿が────
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