待ちながら
すべてに片をつけ、やっとこさ靴を履き替えた頃には、時計の針は六時を回っていた。
またしても最終下校時刻まで居残るハメになってしまった。が、それも今日限りだろう。明日からはしばらく、ゆとりを持って帰宅できるに違いない。
もっともそれも、またぞろおかしな事件が持ち込まれなければの話だけど。
背後で見回りの先生が、生徒用玄関に施錠する。どうやら未だに残っている生徒は僕たちだけらしい。
「部長」
先生の足音が十分に遠ざかってから、僕はそっと、独り言のように呟いた。
「優しいんですね」
大胆にも水飲み場の囲いの上に腰掛けていた真ヶ間彩子部長は、ちょっと肩をすくめてみせた。「何のこっちゃ」
「わかってるくせに。さっきのことですよ」
先刻の一連の怪異は、もちろんすべて部長の仕業だ。ゴミの襲撃も開かないドアも、開かれた窓から舞い込んだメッセージも、何もかも。最初に椅子と机が微かに動いたのも、つかつかと入ってきた部長がぶつかったせいである。
一部始終を黙視していた僕には、それは驚くに値しない、ひどく滑稽な茶番じみた出来事だった。が──他の人たちの目には、どんな風に映っただろう。
ひょっとすると次のミドウサマの伝承者は、吉川君になるのかもしれない。
「独り合点が多いやつだな君は」部長はなおもすっとぼけてみせる。「私はただ、あの何某君の物言いが気に食わなかっただけだよ。あの男はあまりに人の気持ちを軽視しすぎる。だからちょいとお灸を据えてやっただけさ」
どうだか。
だったらあんなメッセージまで用意して、須羽さんを勝たせてやることはなかったはずだ。なにしろゴミの襲撃の時点で、部長の言う目的は達成されていたのだから。
「ひょっとして、ミドウサマの儀式の成立にも部長が一枚噛んでるんじゃないですか? 前から気になっていたんですよ。なんでうちの学校だけ、ただのテーブル・ターニングがこれほど独自の進化を遂げたのか」
話し相手ひとりいない暇人で、かつ長年この学校に居座っている部長が黒幕だったなら──そう考えると、納得がいくのだ。
たが彼女は、首を横に振った。
「おあいにく様だ、ワトソン君。後輩たちの占いなんかに関わったところで、どうせ聞かされるのは一山いくらの青臭い願い事だろ? そんなものに素直に耳を貸してやるほど、私は物好きでも親切でもないのだよ」
「はぁ、そうですか」
「そんなことより君、気になったことはないか?」彼女はそう言うと、ひらりと囲いから飛び降りた。「なんでうちの学校のテーブル・ターニングは、ミドウサマなんて奇態な名前をしているのか」
「言われてみれば……」
そういえば以前、そんなことをチラと気にしたことがあったっけ。あの頃は他に考えなきゃならないことが多すぎて、たちまち忘れてしまったけれど。
「三神那月先輩に訊いてみますか? あの人ならその辺りの事情も知っているかもしれない」
しかし部長は、首を横に振った。「それには及ばないよ。くだんの怪異は演劇部発祥なんだろう? それでパッと閃いたよ。あの怪異の名前には、元ネタがある」
「元ネタぁ?」素っ頓狂な声を上げてしまった。「部長にはそれがわかったんですか? ノーヒントで?」
「とりあえず、“ミドウ”を漢字に変換してごらん」
言われるがままにスマホを取り出し、ブラウザアプリの入力フォームに「みどう」と打ち込む。予測変換の欄に「御堂」と出た。
御堂。
どうやら仏像を安置する堂を意味する言葉らしい。それから、大阪には御堂筋なる地名もあるそうだ──が、それとこの怪異に、どんな関係があるのだろうか?
首を傾げる僕を尻目に、部長は人差し指を不器用に左右に振ってみせた。「君もたまには民俗学以外のことにも、広く目を向けてみるべきだよ。たとえば戯曲の古典なんかにも、ね」
「はぁ、ギキョク、ですか」
「じゃ、解説するよ。この“御”の字だけど、音読みにすると“ご”と読めるだろ? それが答えさ。ミドウじゃなくてゴドウ。劇作家ベケットの名作・『ゴドーを待ちながら』が元ネタというわけさ。ゴドーというのは、主人公たちに待たれながら結局劇中に一度も登場しない謎の人物のこと。どうやら
彼女はふと、自嘲するような笑みを浮かべた。
「ゴドーとミドウサマ。原典を鑑みると、なんだか示唆的に思えてこないか? 行き詰まった己の状況を能動的に打開しようとせず、実在するかも怪しい救い主を待ち続ける不毛さ。そして自ら導き出すしかない答えを他者に求める虚しさ……そう考えると、実際にミドウサマを“登場”させてしまった私は、少々野暮だったかもしれないね。
じゃ、私はもう休むことにするよ。お疲れ、また明日」
部長はそう言い残すと、小さく手を振った。そしてゆっくりと、施錠された扉の向こうへすり抜けていった。
放課後は、幽霊部員と謎解きを 濱 那須時郎 @Nasuhama
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