月根
月の根っこに転げて落ちた。
くるくると縦にも横にも斜めにも回りながら落ちた。その運動は落ちているとうの本人の凍湖にも制御できるものではなかった。
もう遅い時間だったので木と木の間にはハンモックが張ってあって、そのおかげで大けがをせずにすんだ。かわりに兎たちが何匹も落ちた彼の周りに集まってきていて、そのうち数匹を踏みつぶしてしまった。
月の根っこというのが何であるかについては諸説あって定まらない。
もっともつまらない意見としてはそれは落下するための装置でありそれ以上の意味はないというものだ。まずそんなことを言うやつは無視して構わない。
その人が他に何か言っててもおもしろくはないから取り合う必要はない。寿命に限りがある以上、付き合う人間はある程度選別していかなくてはならないのだ。
凍湖は泣いた。
命はいつか終わる定めであるがそれは確率の問題であり、自らの手によってその確率を変更させることがただしいことなのかわからなかったのだ。
けれども泣きながら考えたところで一向に答えは出てこなかったので、泣くことも考えることもいっしょに切り上げることにした。
その名前の由来はここにあると考えられる。
大量の涙は地にたまって湖になった。その湖の表面はいつでも薄く凍りついていた。氷は消えてなくなることもなければそれ以上に分厚くなることもない。
底には何か巨大なものが生息しているという話もあって、氷の下に何か黒いものが動いていたのを見た人は多い。雲の影が映ってただけなんじゃないかという気もする。
まあ何かいてもおかしくはないとは思う。
月に向かって歩きだした。
その根っこにひっかかって転げ落ちたのだから、まずその地点を目指すというのは道理にかなったことだった。つまりはそこに道があるというのに等しい。
そして道をたどっていけば必ずどこかにたどりつくようになっている。道とはそのようなものであり、そのようでなければそれは道と呼べないものだ。
凍湖は歩いた。歩きつづけた。
しかしどれだけ歩いたところで月までたどり着くことはできなかった。
青白い顔を凍湖に向けて月は笑っていたから、正直に聞いてみることにした。君はいったい僕からどれだけ離れているのですか?
月は答えた。あなたが思うよりはずっと遠くにあります、がそれは決して無限ではありません。歩いていればいつかは到達できる場所に存在しています、がいつになるかははっきり言えません。
そういうことならよくわかったと、凍湖は歩きつづけることにした。ほとんど永遠の存在である彼にとっていつかとすぐというのにはたいして違いがなかったから。
つまり凍湖にとってこの話はこれ以上意味のないもので、すべての過程をすっとばしてしまっても構わない。ただ残りはひたすら同じ作業を繰り返すだけだ。
ただしその凍湖が天に帰っていく過程の部分は地上に住んでいるものたちにたくさんの影響を与えた。
まず兎たち。
潰された兎たちの血と肉は泥と混じり合って再びぼんやりとした形を作って、大きく大きく膨らんでいった。それには7つの脳があっていつもケンカばかりしていた。
それで進むにしても明確な方向を定めることができなくて、いつも右に左にあちこちに動き回っていた。だから空腹でなんでも食べることができた。
生きものたちはその塊に取り込まれるか、それともその塊から逃げるかしなくてはいけなかった。そしてあるものは死んで、あるものは形を変えて、あるものは変わらずにすんだ。
それから道が生まれた。
凍湖はそこに道があると考えていたが厳密にはそれは正しくないことだった。そこに道があったのではなくて凍湖が歩いたことで道ができた。
これは言葉遊びにすぎなくて凍湖にとってはどっちでもよかったから誰も間違ってはいない。時間的な前後関係なんてあんまり意味がないものだ。
道のおかげで少しずつ場所のことがわかってきて、途中という状態についても理解されるようになってきた。まだその途中だけど。
最後に月以外の星がみんな月に遠慮することを覚えた。
ずっと昔の話、星たちは月がちょっとでかいからって、でかい面するのはなんかおかしいだろと考えてた。でも凍湖が歩いている間、目印の邪魔になんないよう月の周りに行くのはやめていた。
それがあんまりにも長い時間つづいたものだから、いまだに星たちは月に近づくのをやめている。また長い時間がたったら古い状態に戻るかもしれない、戻らないかもしれない。
光は底の方に冷たくたまっていて身動きがとれないでいる。少し手を貸してあげれば彼らは自由に動けることができるだろう。もといた場所に帰ることが。
同じところをぐるぐる回っているのが好きだ。安心する。前にも後ろにも進めないくせに。君は臆病なだけなんじゃないか。いや堂々巡りが好きなんだよ。
私は私の思考すら同定することができないでいる。
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