人は美しいものを見ているとき、幸せな気持ちになるのと同時に、その時間に終わりが必ず来ることを予期して、切ない心持ちにもなる。
黄昏時にはその要素がふんだんに詰まっていて、更には闇が迫りつつあるために、人間の心に芽生える小さな恐怖心が同居する。
タイトルと冒頭一行目の言葉選びで作者は、これらの全てを少しずつ、読者に植え付けることに成功しており、
――自分はこれを知っている。続きが読みたい。
と、あっという間に思わせてしまう。
とても心地よい文章のリズムと
ひとつひとつ、そっと、丁寧に差し出される情景や感情についての情報が、
読者に心のままに想像する悦びを教えてくれる。
そして少し変わったクラスメイトとの、ひとときの美しい時間にどっぷりと漬けられて、何かを永遠にしてしまいたいという感情を抱く。
黄昏時と同じように。
主人公と同じように。
なんと美しい2,646文字だろうか。
この美しい作品に出会えたことを、幸せに思う。
この気持ちを小瓶に閉じ込めたくてたまらない。
「土手下に立つ桜木のそばに『黄昏』は集められていた。
お気に入りは、豚の貯金箱に貯められた夕方の電車の音。豚のおなかに耳を当てると、町の中央駅から出発した電車が、がたん、となる。」
たまらない情景描写に興奮してレビューを打つ指が震える。
集められていく『黄昏』
そして盗まれてしまう『黄昏』
一日の中からすっぽり抜けてしまった。とある。
最高の恐怖。最高の幻想。
本来『黄昏』は、相対的なものであって、絶対的なものではないとわかる。それはそれぞれの人の心にうつる、心象風景であると思うからだ。
だが、ここでは、沢田こあきによる『黄昏』とは絶対的なもので、等しく皆から失われる存在だ。それだけの数がそれぞれのボトルにおさめられ、等しくそれだけの数が、盗まれてしまったのかもしれないけれども。
私の『黄昏』が盗まれてしまったら。この世は一体どうなってしまうのか。
取り戻された『黄昏』が、たしかにいまここにあるように。
読み終えたその瞬間から、世界が変わる可能性を持つ。
最高の、幻想文学でした。
ありがとうございました。
一生読み続けたい。