奥の間の怪異 1




 それから一週間ばかりたったある日。



「ひな、おひな」



 童の呼ぶ声がした。

 鴨居の埃を払っていたひなはハッとして、大急ぎで廊下に出た。屋敷に来てから童の声を聞いたのはこれが初めてだ。 

 黒埜にあの話を聞かされてからも──初めてだった。



「ひな、おひな」



 また聞こえる。

 今度はさっきよりも遠い。廊下の奥から聞こえてくるようだ。



「待って」



 思わず口走りながら、駆け足で廊下を進む。空はにわかに雲に覆われ、辺りは薄暗い。廊下の奥へ行くほど闇が濃くなっていく。

 童が花婿を殺した──

 黒埜はそう言った。

 ひなにとって童とは、この声の主以外に思いつかない。

 その声が今、ひなを暗がりへと誘っている。不思議と怖くはない。黒埜の話を信じていないわけではなかった。信じるからこそ、ひなはどうしても尋ねたかったのだ。


 ──なぜ、あんなことを。


 物心ついたときからずっと一緒だった。いや、ひなが勝手にそう思っていただけだ。父母が畑仕事に出て、家に一人で残されているとき、よく慰めるように声をかけてくれた。蜻蛉を追いかけようとして転び、膝をすりむいて泣いたときも、励ますように名を呼んでくれた。迷い込んだ森から、救い出してくれた。

 それが、なぜ──

 ひなの大切な人を殺めるのか。

 教えてほしい。

 聞いて何ができる、何が変わるというわけではない。

 それでも、理由が知りたい。



「ひな……」



 とうとう廊下の突き当たりまで来て、声はかすれるように消えていった。引きとめる手立てがあろうはずもなく、暗がりにへなへなと座り込む。

 突き当りの壁を触ったが、しんと冷たさが伝わってくるばかり。童には形がないのだ。ただ、声だけの存在なのだ。


 ──消えてしまった……。


 置いていかれたような気がして鼻がツンとしたが、泣くまいと拳を握りしめた。自分を憐れむのは容易いことだ。

 もっと強く、強くならなければ。



「どうした、そんなところで」



 振り向くと、黒埜が立っていた。さっと体を返してそちらを向く。とっさに背後の壁をかばうような格好をしていた。



「………何かあるのか?」


「い、いえ、何も。掃除をしていたんです」


「……?」



 黒埜は首をかしげ、手にした煙管をくるりと回した。



「それより、出かけるぞ」


「え?」


「支度しろ」


「どちらへ……?」


「仕事だ」



 それだけ言い、すぅっと角に消えてしまう。

 ひなはぽかんとしたが、すぐに立ち上がって後を追いかけた。



「黒埜様!」


「……なんだ」


「仕事とは、祓い屋の……ですか」


「他に何がある」


「私は、どのような支度をすればいいのでしょう?」


「まともな格好をしていればいい。相手は商家だ。わからなければきぬに聞け」



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