祓い屋稼業 3
翌朝目が覚めると、きぬの言った通りずいぶん落ち着いていた。
そばに父と母がおらず、いつもと違う温度と匂いの中、贅沢な部屋にぽつんといるのは不思議な心地がしたけれど。それでも、昨日のように取り乱すことはない。淡々と布団を畳んで着物を替え、髪を梳いて束ねた。
「あら、早いのねぇ」
包丁の音を頼りに歩いていくと、台所できぬが朝餉の支度をしていた。
「よく眠れました?」
「はい。お陰様で」
「そりゃようござんした。顔色がずいぶんよくなりましたよ。元がいいのに、さらにうーんと別嬪さんになりました」
ひなは赤面してうつむいた。きぬがおもしろそうに笑う。はきはきしゃべってよく笑うこの女中には、一生かかっても敵うまいという気がしてくる。
「あの、何かお手伝いを……」
「あら。じゃあせっかくだから、旦那様のところへ膳を運んじゃくれませんか。どうせまだ寝てらっしゃるでしょうけど……。まあ、あたしが運ぶより可愛いおひなさんが運ぶほうがいいでしょう」
「そんなことはないと思いますけど……。あの、黒埜様のお部屋は?」
「一番奥の渡り廊下の先にある、離れですよ」
「わかりました」
つやつやと輝く白いご飯に、豆腐の味噌汁、刻んだ菜っ葉と焼き味噌をあえたもの、蕪漬けという豪勢な献立である。きぬがてきぱき用意したそれらを膳に載せ、朝日のまばゆい廊下を歩く。
この屋敷では、家人が集まって食事をする習慣はないらしい。昨日、ひなの部屋に夕餉を運んでくれたきぬがそう言っていた。部屋も一人ひとり離れているし、なんとも寂しいところだな、と思う。見た目は御殿のように立派なのに、どことなく陰がある、この屋敷の雰囲気はそのせいかもしれなかった。
奥の渡り廊下を抜け、襖の前に坐して「おはようございます」と声をかけた。けれども返事がない。やはりまだ寝ているのだろうか。
「入りますよぅ……」
そうっと襖を開ける。
朱色の家具がぽつりぽつりと置いてある、広々とした離れであった。しかし、畳の上にはこれでもかと書物が広げられており、ほとんど足の踏み場もないほどだ。仕方なく、わずかな隙間を見つけて膳を置く。
奥に敷かれた布団に人の影はなかった。おやと思って見回すと、文机の横、仰向けに寝転がった黒埜を見つける。
──まあ。
ひなはきょとんとその姿を見下ろした。風邪をおひきにならないのかしらと思うけれど、声をかけるのも憚られる。
人が入ってきたのに気がつかないほどよく眠っているらしい。仰向けの胸が規則正しく上下している。片手には巻物を握ったままだ。遅くまで調べ物でもしていたのだろうか。
──あれは……。
顔のすぐ横に眼鏡がずり落ちていた。あれは危ない。
そろりと近寄って眼鏡を取り上げ、文机に載せた。怪我でもしたら大変だ。それに、眼鏡は高価なものと聞く。寝ぼけて割ってしまったら、きっと泣くに泣けない。
いいや──
このようなお屋敷の主人ともなれば、そのくらいどうということもないのだろうか。
つい、自分の膝元で眠りこける黒埜をまじまじと見た。
あどけない子どものような寝顔である。
初めて目にしたとき、あまりに堂々とした立ち振る舞いなのでずいぶん年上の男だと思ったが。こうして見ると、同い年の平太より幼く見える。祓い屋なる珍妙な稼業を営み、都の立派な屋敷の主人であるようには到底見えない。
──どのように育ったのかしら……。
両親はいないのだろうか。兄弟は。
そんなことをぼんやり考えていたときだった。
「触んないで」
りん、と鈴の鳴るような。
それでいてツンと冷たい声が響く。
振り向けば、百花が立っていた。
昨夜とあまりに雰囲気が違うので驚いてしまう。大輪の花のように艶やかな出で立ちだったのが、今は洗い髪をひざまで垂らし、化粧を落とした素肌にちょんと小さな唇を尖らせた様子は可愛らしい町娘のような。
唯一変わらないのは、切れそうなほど鋭いその眼差しだ。
「夜一郎様に触んないで」
吐き捨てるように言われ、ひなは思わず「すみません」と言って立ち上がった。別に触っていたわけではないのだが。
「寄らないで、あっちいって、今すぐ出ていって!」
「はい、はい、はいっ」
畳みかけるように言われ、慌てて後じさりしながら部屋を出た。
すぐ鼻先でぴしゃっと襖を閉じられる。
──怒らせてしまった……。
ひなはしょんぼりと肩を落とした。
それに、どうやら初対面から嫌われているようだ。
悲しいかな、厭われることには慣れている。だからそのこと自体は構わない。ただ、百花を不愉快な気分にさせてしまうのが申し訳ない。せめてどこそこが気に食わないと言ってくれたら、改めようもあるのだが。
悩みつつ、自分の部屋に戻ると──
今度は見知らぬ男がいた。
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