第9話 賢明だと思っていたよ

「なんとなく、君は矢のように駆け出していきそうでさ。そうしたら本当に出ていこうとしているんだから笑っちゃうよ」

「……見張っていたのね」

「まぁね。ルーフェンの坊やが入り口で見張ってたよ。怖い怖い」

 ははとシリウスは静かに笑う。

 窓からなかにはいると、しぃーと唇に指をあてて、ドアにしっかりと鍵をかけてわたしに向き直った。

「逃げるって顔じゃないな」

「……あの荷物をもってた人、ギルドに突き出したけど、それって数人でしょ。きっと仲間がいると思うの」

「うん?」

「そいつらを見つけ出すの」

「見つけ出してどうする」

 シリウスの問いは慎重だった。

「旦那様が加担していたらその証拠を洗いざらい盗んで逃げるわ」

「おいおい、アンタは賢明だと思ってたんだが」

「賢明よ。ここで旦那様が捕まったらわたし、わたし、牢屋にぶちこめられるわ」

「取引だ」

 シリウスが腕を伸ばして、わたしの鼻先に指先をおしあてた。

 ふにゃ。

「ブツを持ってるやつらを捕まえる。かわりに逃がしてやる。あの奴隷も含めてだ」

 それは破格な待遇だ。けど、そんなの流れの薬師であるシリウスにできるはずがない。

「俺はこの国の影だ。ああ、影っていうのはスパイってことだ。王のために情報を集め、ある程度のトラブル対応している」

「そんな地位の人だったの。じゃあ、昼間のあれは」

「あいつらを調べるためにわざとドジ踏んだふりをしたんだ」

 そうだったんだ。

「わたし、いらないことをした?」

「すごいもんを引き当ててくれたから感謝してる。この本だ。これは国を、この世界を変える」

「どういうこと?」

「異世界のもんは俺らには毒だ。あの本の内容、文字はわからなくても絵はわかるな? あんなのがあれば絵描きはいらなくなる。今回はなかったがもっと男と女のあれだ、やらしいもんがあったりするんだ」

 もごもごと最後だけ言いづらそうにシリウスは口にする。けど、それはなんとなくわかった。

 あんなにもきれいな絵で、もし、もっと……考えると心が恐怖に震える。

「アンタの旦那は見逃せなくても、アンタぐらいなら俺の権限で見逃せる。東の島国までの船を用意してやる」

「シリウス、それはだめ」

 わたしは言い返す。

「あの人を置いていけない、だってわたしと彼は夫婦なんだもの」

 たとえ放っておかれても。

 わたしは彼のこと好きになりたい。

 わたしのことを見つけて、花をくれたあの素朴な大きな人。思い出すたびにわたしは胸の奥がきゅんとする。

 わたし、わたしの夫のことを好きになりたい。

 今はまだ好きになりそう、という具合だから、好きになっていくのはこれから。もしかしたら彼のことを知って失望して嫌いになるかもしれないけど。

 それでも今は、この気持ちを大事にしたい。

「ありがとう。シリウス」

 わたしはあわく笑う。

 シリウスが困った顔で両肩を竦めた。

「わかった。付き合うよ。アンタの旦那も連れて逃げられないか、考えてみよう」

「うん!」

 わたしが返事をした瞬間、どーんと勢いよくドアが開いた。

 え、えええ?

 振り返るとルーフェンが剣を構え、シャロンが唸ってる。

「音がしたと思ったら、貴様っ」

「がうっ!」

「え、あ、やばっ」

 ルーフェンとシャロンがシリウスに襲い掛かるのにわたしは悲鳴をあげた。

「やめなさーい」

 誤解よ、誤解!

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