第五五九話 キリが良いから

 ミコトたちがリィンベルを出発した日の夜。

 遠く離れた特級危険域、とあるダンジョンの三一階層入り口では、オルカたちがいつものように晩ごはんを囲っていた。

 彼女らの表情に明るさはなく、活気もない。

 それもそうだ。かれこれ二ヶ月近くもダンジョン内に籠もりっぱなしでは、精神的に参ってしまって当然である。


 しかしながら、全く会話が交わされないということもない。

 殊更今日は、一週間掛かりで攻略を続けた三〇階層目をようやっと突破したのである。

 必然、皆の口数はいつもより多かった。


「ようやっと明日からは三一階層だな……」

「一階層に一週間……流石に長く感じる」

「でもでも、そうでもしないと次の階層では力不足に悩まされちゃうのです……」

「現に三〇階層に挑み始めた当初は、苦戦を強いられましたからね……」


 今から一週間前。二九階層を突破し、三〇階層へ挑戦を始めた皆は、先ずそこがボスフロアでないことに絶望した。この生活がまだまだ続くのかと思うと、ショックはなかなかに大きかったのだ。

 それでも嘆いていても仕方がない。まだまだ強くなれるのだと前向きに捉え、モンスターと戦ってみれば、ぐっと上昇した奴らのステータスに手こずり、階層攻略に手を焼く羽目になったのだ。


「しかし一週間粘った甲斐はあった。今では苦戦することもないし、その分成長も実感している……」

「実際、リズムとしては悪くない。しっかり戦って、確実に強くなっていってる……」

「でも、同じようなことの繰り返しですからね……ココロたちって、どのくらい強くなったんですかね……」

「確かに、それは気になるところですね。目の前のモンスターを屠ってばかりの生活では、自身を俯瞰することもままなりませんし……」


 自然と、気づけば話題がそこはかとなく、ダンジョンから外に出る流れに向きつつある。

 日を追う毎にその傾向は強くなっていっているのだが、当の彼女らにその自覚はなく。

 しかし三〇階層突破というキリの良いこのタイミング、その傾向は普段より一層強く出た。


 すると、ここでオルカがすっと小さく手を挙げる。

 何事かと、皆がそちらへ視線を寄せれば、彼女は満を持してそれを告げたのだ。

「実は、そろそろ残りの食料が心許ない」

「「「!!」」」

 オルカを除く三人に、衝撃が走る。


 鏡花水月のお料理は、オルカが一手に請け負っていた。

 それ故食料に関する管理もおおよそ彼女が行っていたのだ。

 昼食は各自、手持ちの保存食を食べるため、各々のマジックバッグにも確かに入ってはいる。

 が、朝晩はオルカが調理を担当するため、食材の大半は彼女が管理していた。

 そんなオルカが、いよいよ警鐘を鳴らしたのである。


「調味料類も随分減ったし、このままじゃ出せる料理のレパートリーはどんどん無くなっていく……」


 今、それを言うのである。

 努めてしょんぼりした調子で、オルカは三〇階層を攻略したこのタイミングで、皆にそれを伝えた。

 ささやかな彼女の策略。

 そしてそれは、まんまと皆の危機感とホームシックに火をつけ。


「そ、そそ、そう言えば、あれだな……ミコトも、いい感じだったよな?」

「で、ですね、丁度今日リィンベルを立たれるご予定だったかと……!」

「へ、へぇ、それはなんとも、キリの良いタイミングじゃないですか……」

「キリが良いと言えば、私たちも三〇階層を突破した」


 数拍、沈黙が場を支配する。

 皆が視線で各々の出方を窺い、無言の駆け引きが発生していた。

 そんな何とも言えない空気の中、とうとう口火を切ったのは、ソフィアだった。


 すっくと静かに立ち上がった彼女は、何を思ったのか世迷い言を口走る。

「私もいい加減、ミコトさん成分を切らしていたところです。補充しないと死んでしまいます……!」

「「「!!」」」

 これには、バッと立ち上がって応えるココロとオルカ。

 目と目で通じ合った三人は、力強く頷きを交わし。

 その様子を半笑いで眺めていたクラウは、一つため息をつくと静かに言うのだった。


「それじゃぁ、メッセージ写真を撮るか。明日迎えに来てもらうとしよう」


 斯くして、突発的にと言うべきか、必然的にと言うべきか、急遽『中間報告会』の予定がぶち上がり、皆は元気よく写真撮影の準備を始めたのだった。



 ★



 時刻は夜一〇時を回り、今日の修業を終えて寝室へと引き上げてきた私。

 後は既に日課として馴染んだ、アルバムのチェックと日記をつけるだけ。

 あくびを噛み殺しながら机に向かうと、早速マジックバッグから二冊の本を取り出した。

 一冊はアルバム。ソフィアさんに持たせているカメラで撮影された写真が、自動的にこのアルバムに追加されるという特殊な代物だ。

 そしてもう一冊が日記。私が書き込んだ内容が、オルカたちの持つ受信用の日記に追加されていくっていう、まぁある意味ブログみたいなものである。アナログなのか何なのかよく分かんないけど。強いて言えばマジカル?

 兎にも角にも、普通ではない不思議な本たちだ。自作だけど。


 先ずは、机の天板にアルバムを乗せる。

 少しだけ気分が暗くなるのを自覚した。

 それというのも、この本の中には私の愁い事があるからに他ならず。

 そもそもが、私の目の届かないところで頑張っているPTの仲間たち。それだけで心配事は尽きないのだ。

 だというのに、最近は彼女たちの顔に元気がなくなっており。何なら窶れてすらいる。

 アルバムの一ページ目と見比べると、それがよく分かった。

 何せダンジョンに籠もったまま、もう二ヶ月近くも経過するのだ。そりゃ顔に疲れも浮かぼうというもの。

 そんな状態で危険な戦闘を繰り返しているというのだから、何時思いがけない深手を負っても不思議ではない。それがとても恐ろしかった。


 アルバムを開くのが、少し恐い。

 もしも新たに追加された写真に、痛々しく傷ついた彼女らの様子が映っていたなら……。そう考えるだけで、ずんと気分が重たくなる。

 まぁ、緊急連絡は未だに送られてこないので、大丈夫だとは思うのだけれど。

 それでも心配なものは心配なのだ。


 恐る恐る、アルバムを開く。

 パラパラとページをめくり、更新された今日の写真を探した。

 すると。

「えっ」

 思わず、声が出た。


 今日新たに追加された写真。

 そこに映っていたのは何と、妙に生き生きとした皆の表情だったのだ。

 相変わらず窶れ気味ではあるけれど、昨日までハイライトの消えかけていた瞳には、確かな光が戻っており。

 なんなら笑顔すらその表情に浮かべている。

 ど、どういうことだろうかこれは。

 もしかして変なキノコでも食べた……? 大丈夫なの?!


 なんてとてつもない不安と混乱が胸中に渦巻いたが、それも束の間のこと。

 すぐに他とは様子の異なる、一枚の写真に目が行った。

 それは、彼女らが私に伝えたいことがある際に撮影される、メッセージ写真であり。

 オルカの持つ黒苦無。これの『増殖』と『変形』の特性を活かし、文字を作って床に並べ、メッセージを作ってからそれを撮影するという技法で文章を送ってくるのである。


 そして肝心な、その内容なのだけれど。

「『三〇階層突破。キリが良いので、一度中間報告会をしたい。よかったら明日迎えに来て』」

 目を見開き、思わず口に出して読んでいた。


 と同時、得心が行く。

 実はイクシスさんに付けているコミコトが、今日の夜になって突然様子のおかしくなった彼女の様子を目撃しているのだ。

 何事かと訝しみ、どうかしたのかと尋ねてはみたのだけれど、彼女はニチャァっと笑うだけ。

 かと思えば興奮した様子で、明日は宴だー! なんて叫んでいたけれど、ようやっとその理由が分かった。

 愛娘であるクラウが戻ってくるのである。そりゃ親バカのあの人が落ち着いてなんて居られないか。


 っていうか、かくいう私だってそうだ。

 こうしちゃいられない、了承のお返事を書かなくちゃ!

 急ぎ日記を開いてペンを執る。

 明日の朝迎えに行く旨と、それに折角だから、私たちが開けた仕事の穴を埋めてくれている蒼穹の地平も呼んで、宴とやらに参加してもらうとしよう。

 イクシスさんが大張り切りしていることも日記に記して、ふんすと鼻息を一つ。

 静かにペンを置き、パタンと日記を閉じた。


 ど、どうしよう。どうしよう。なんかテンション上がって落ち着かない。

 取り敢えず立ち上がり、何をするでもなく部屋の中をウロウロウロウロ。

 それに飽き足らず、飛行スキルでビュンビュン。


「ひ、久々に、みんなに会えるんだ……!!」


 結局、その日ようやっと寝付けたのは丑三つ刻をとっくに過ぎてからだった。

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