第五五七話 旅立ちは苦手
ミトラさんとの話を終え、ギルドを出る直前。
私は不意に、冒険者の一人に声を掛けられた。面識のない、がっしりした背の高い男だ。顔も厳つくて、大型の武器が似合いそうな見てくれをしている。
男は、のっしのっしと近づいてくるなり、不躾に問いかけてきたのである。
「あんたが噂になってる仮面の冒険者だろう? なぁ、今囁かれている噂話ってのは本当のことなのか?」
見れば、ロビーに居る他の冒険者もこちらの様子を窺っている。聞き耳も立てていることだろう。
一先ず、肯定するにも否定するにも、その噂とやらが具体的にどのようなものなのかを確認してみないことには何とも言えない。
そこで、はたと気づく。そう言えばその『仮面の冒険者の噂』とやらが、現在どんな内容として広がっているのか、当の私はよく知らないのだ。
小耳に挟む機会はあれど、気まずいのでなるべく耳を傾けないようにしていたし、そのため噂の全容っていうのは把握していない。
いい機会なので、その内容をここで確かめてみようと。そんな思いつきと興味が湧いてきたのである。
どうせ明日にはこの町を離れるのだしね。噂の内容を確かめておくのも一興だろう。
というわけで、
「私、噂話には疎いんだ。よかったら、どんな噂が流れているのか教えてくれない?」
と問い返してみたところ、男は顎に手を当て、嫌な顔をするでもなく答えてくれた。
曰く、その冒険者は夥しい数のモンスターを一人で打ち破り。道に倒れた者があれば、高価な薬を見返りも求めず分け与え、あのハイノーズ(Aランク冒険者)すら凌ぐ実力を持ち、挙句の果てに崖のダンジョンをたった一人で踏破してしまったと。
そして、その冒険者は仮面で顔を隠していたのだ、と。
男はそんな話を、何とも言えない表情で語ってくれた。
どうやら男自身、半信半疑であるらしい。聞き耳を立てていた冒険者たちの中には、鼻で笑う者もあったほどだ。
そして男は、半笑いで再度問うてくるのである。
「で、あんたは仮面をしているだろう? だから噂の冒険者ってのはあんたなのかと思ってな。もしそうなら、噂は本当なのか?」
問われ、私は仮面の下で顔を引き攣らせる。
殆ど事実である。
確かに、エビル何とかっていうお猿の数は凄まじかったし、それを一人で倒したのも本当だ。トロル討伐の帰り、倒れている冒険者を助けたこともあった。薬って言って誤魔化したけど、回復魔法でちょちょいと。そうせざるを得ないくらい重症だったからね。
ハイノーズとやらは、この前の頭のネジが飛んでそうなアイツのことだろう。確かに模擬戦で倒した。その戦利品として譲ってもらったマジックバッグには、とても助けられている。
そして、ダンジョンも確かに私がクリアした。よもや既にこれも私こと、仮面の冒険者の仕業として噂されているとは思わなかったけれど。
目立った尾ひれがくっつくでもなく、結構精度の高い噂が流れているものだ。
感心を覚えながらも、絶対に認めるわけには行かない。これ以上知名度を上げるような真似は極力避けなくては。
なので。
「……確かに、私は仮面をしているけれど。でも逆に訊きたいな。あなたはその噂が真実だと思う? 今語って聞かせてくれたようなことが、この私に出来るって思うの?」
私に出来る精一杯の誤魔化しだ。
おへそに力を込め、努めて冷静に言葉を返した。
すると男は、私のことを頭の天辺からつま先までジロジロと観察し。そして言うのだ。
「まぁ、無理だろうな。あんたのような華奢なやつが、そんな英雄様みてぇな活躍をするとは思えねぇ」
「だよね。きっと私の格好が珍しいから、それにかこつけて誰かが有る事無い事吹聴してるダケダヨ。メイワクダナー」
大げさなほど、肩をすくめてやれやれと首を振ってみせる。ヤバい、ボロが出そう。
しかし男をはじめとした、話を聞いていた面々は納得してくれたらしく。
私は最後に適当な愛想笑いを残し、さっさとその場を後にしたのだった。
私にしては頑張った。これで変な話がこれ以上広まらなければ、花丸ものである。
さて、ダンジョンクリアの報奨金も受け取ったし、後は明日冒険の書をミトラさんから受け取ったなら、いよいよこのリィンベルともさよならである。
最後に町の散策でもしておこうかと思い立ち、私はランニングがてら、いつの間にか雨の上がった町の中を駆け始めたのだった。
視界の端を流れ行く町並みに、ソロ活動を始めた当初のことが思い起こされる。
気づけばもう、二ヶ月近くも前のことだ。あっという間である。
はじめはお金の価値にすら疎く、自分が如何に仲間たちから甘やかされていたのかを痛感したものだ。
しかしまぁ、お財布が過剰に潤ってしまった今となっては、金銭感覚がバカになるのも仕方がないかな、と感じていたり。冒険者は確かに、夢のある職業だったよ。
その代わり、ベットするのは自分の命。危険なギャンブルめいた職業でもある。ハイリスクハイリターンってやつだ。勿論、安全な依頼をこなして生計を立てる、っていう選択肢もあるのだろうけれどね。
一風変わった活動をしている私には、どうしたって安全な道なんていうのは歩めないのだろう。それをしかと理解した。
今でこそ迷ったりなんてしないけれど、マップスキルを封じてからというもの、道を覚えるのにもちょっと苦労したっけ。
町の中はまぁ、少し散策すれば道やお店、地形の把握も出来たけれど。
ダンジョンへの道程とか、ダンジョン内とかはほんとに大変だった。方位磁石と地図が必須だったし、マッピングも手書きだし。
スキルの力って偉大なんだなと、事ある毎に思い知らされた。
折角なので、リィンベルの象徴である時計塔を訪れてみた。
入場料を払えば、結構上の方まで登れるらしい。
早速古い石の階段を一段一段踏みしめ、立ち入りできる最上階まで上ってみた。
開け放たれた窓からは、強めの風が吹き付け。
頭の上ではゼノワが、キャッキャと楽しそうにはしゃいでいる。それもそうだ、眺めが良い。
西洋風の瓦屋根を眼下に見下ろし、遠く町の外、雄大な丘陵の広がる風景にすら視界が及ぶのだ。
こうして改めて眺めてみたなら、今更なれど改めて思う。異世界なんだなぁ、と。
私もゼノワも、飛ぼうと思えば空を飛ぶ事も出来るのだけれど、やっぱり『ここでしか見られない景色』っていうのは存在するものなんだ。
遠くでは雲間から光が差し、所謂天使の梯子ってやつが幾つも見られた。
絶景である。
ふと、懐から手帳を取り出し、開いてみる。
この町に来て、ソロでの活動を始め、いろんなことを書き込んだものだ。ある意味日記よりも日記らしいかも知れない。
過去のページをめくっていると、知らず識らずの内に涙がこぼれた。
そうだった、私こういうの弱いんだよ……。
「クゥ……」
ゼノワが頭を撫でてくれる。だけど自分だって、よく見たら目を潤ませているじゃないか。
私はゼノワを胸に抱き、しばし雲が徐々に晴れ、町が光に照らされていく様をぼんやりと眺め続けたのだった。
★
一夜明け。出立の朝が訪れた。
今日だけはと師匠たちに許可を得て、宿屋で迎えた朝。
恐る恐る部屋の中を見回してみれば、幸い荒れた様子などはなく。ヨルミコトはちゃんと弁えて鍛錬に励んだらしい。
ただしそのせいか、いつもよりちょっぴりスッキリしない朝だった。鍛錬不足かな。
ベッドから降り、ぐぐっと伸びをしていると、どこからともなくゼノワが現れ、恐る恐るといった様子で頭に乗っかってくる。相変わらずヨルミコトを怖がって、どこかへ避難していたらしい。
それにしても、真っ暗である。
普段起きている時間が時間だけに、窓から覗いた空は彼方がようやっと白み始めたくらい。
まぁでも、目が覚めたのなら、朝のルーティーンを始めなくちゃならない。
私は転移でおもちゃ屋さんに戻ると、ゼノワとともにいつもどおりの日課をこなし始めたのだった。
すっかり日も昇り、町に活気が出始めた頃。
宿の食堂にて、最後の朝食を済ませた私は部屋を引き払い、何だかんだお世話になった女将さんにお礼を告げてから、ゼノワとともにギルドへ向かった。
この町での、最後の用事。ミトラさんに冒険の書をもらったなら、お別れを告げて。
そうしたらいよいよ出発である。
この活動を始めた当初に感じていた、わくわく感と心細さが胸中に蘇ってくる。
それに加え、やっぱり寂しさも感じていて。後ろ髪を引かれるような思いも確かにあった。
それでも、迷うようなことはない。
ようやっと見慣れ始めた道を行き、ギルドの扉を潜る。
まだ混み合っている時間帯だ。それでも、昨日のやり取りが幸いしたのか、過度な注目を浴びるようなこともなく。
今日くらいは列に並び、ミトラさんにサクッと挨拶をして出発しようと思ったのだけれど。
「っあああーーー!!」
と、不意に大きな声が上がったかと思えば、わざわざ並んでいた列を抜け出てまで、こちらへやって来る人物が一人。
すわハイノーズかと身構えたが、そうではなかった。
あまり顔をよく覚えていなかったのだけれど、話を聞いて思い出す。以前助けた死にかけのCランク冒険者だった。
彼が大きな声でお礼を言うものだから、余計な注目が集まり。噂が再燃。
私はどうにかこうにか、大丈夫だから気にしないでとその場を離れ、ミトラさんの列に並び。
しばらくして、自分の順番を迎えることが出来た。周囲からの視線が痛い。
「おはようございます、ミコトさん」
「おはようございます。冒険の書は用意できてますか?」
「……本当に、行かれるのですか?」
悲しげな問いかけ。
それに、聞き耳を立てていた周囲の冒険者たちが、ざわめき始める。『冒険の書』が意味するところを察したためだろう。
しかし人の噂も七十五日。噂のもとである私がこの町を去るのだと知れば、自然とその話題も下火になるはずだ。
むしろそれを狙って、こんな時間にやってきたと言ってもいいほどである。
問題は物言いたげなミトラさんだけど、私の後ろにも並んでいる人が居る。これなら彼女も、必要以上の引き止めは出来まい。
お世話になった相手に、素っ気ない気もするのだけれど。とは言え、結構な無茶振りもされたしね。昨日も言ったけれど、あまり親しいつもりはない。
「この後出発します」
「…………」
だというのに、少しばかり声が裏返りそうになった。
だから、お別れって苦手なんだよ。
ミトラさんは物憂げな表情のまま、きゅっと唇を結んで一〇秒ほども黙り込んだけれど。
しかし渋々と、カウンターの上に一冊のノートを差し出してきた。
これが、冒険の書。別名を引き継ぎノート。
他の冒険者ギルド支部で活動を始める際、新たな担当受付の人にこれを渡すことで、余計な探り合いや摺り合せが生じずに済むという、次の担当さんがスムーズに仕事をするためのノートだ。
私はそれを受け取ろうとする。が、ミトラさんはノートの端をがっしり掴んでなかなか放してくれない。
「次は、どこへ向かわれるのですか?」
「……内緒ですけど」
「そのくらい教えてくれてもいいじゃないですか」
「聞き耳を立ててる人がいるみたいなので」
瞬間、ミトラさんからビックリするくらいの殺気が迸り、ギョロリと見開いた目で周囲の人間すべてを睨みつけた。なんて顔だ……。ゼノワもドン引きである。
これを受け、周りの皆はおしなべて目をそらし、自らの両耳に指を突っ込んでみせた。マジか。
私は溜息を一つ吐くと、素直に答える。
「グランリィスですよ」
次の行き先については、色々考えたのだ。
考えた結果、以前のレッカのように、私も自分の足でグランリィスを目指してみることにした。
それにあそこには、越えるべき壁、百王の塔がある。
まずはそこへ、自らの足で至らねばならない気がしたんだ。
私の返答を受け、一瞬目を丸くしたミトラさんは、しかしフッと口元を緩め。
「英雄の街、ですか。なるほど、ミコトさんには相応しいのかも知れませんね」
なんて一人納得顔をしたのである。
ノートを持つ手をようやっと放し、彼女は最後にこう告げてきた。
「あなたの、今後の活躍に期待していますよ。頑張って下さい」
深く、頷きを返した。
果たして、今後私が表立って名を馳せることがあるとも思えなかったけれど。
それでも、ギルド職員の彼女になら、いずれ届く情報もあるかも知れない。
私はミトラさんに一つ、ヘコッと頭を下げ。
「お世話になりました。お元気で」
そのように告げ、ついでに目が合った買取おじさんに小さく手を上げて挨拶し、静かに冒険者ギルドを後にしたのだった。
仮面の下は、不本意ながらダバダバである。
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