第五三七話 蜘蛛目線で見ると……

 蜘蛛型モンスター、タランテプト。

 それは数あるモンスター種の中に於いても、珍しい特徴を持ったモンスターである。

 体躯は成人男性のそれよりも一回り大きく。

 蜘蛛型モンスターの標準的な特徴に漏れず、糸や毒を備えている。

 一見したなら、さして珍しさもないスパイダー系統のモンスターである。

 が、彼らの誇る最大の特徴は、『常にPTとして動く』ことにあるのだ。


 数は三体。外見は夫々全く同様の黒く不気味な蜘蛛、であるにも関わらず。

 ある者は近接戦に特化しており、ある者は魔法の行使に優れていて、またある者は隠密性に秀でていたりと、極端なまでの役割分担が成されている。

 故に彼らとソロでやり合うのはご法度とされており、冒険者界隈では警戒するべきモンスターとして、広くその名が知られていた。


 当然、元冒険者ギルド受付嬢であるソフィアも、それは既知の情報であり。

 それ故にこそ彼らの存在を感知した瞬間、珍しくその表情を僅かに顰めたのだ。

 が、彼女は踵を返すでもなく、躊躇うでもなく、つかつかと彼らの屯する広間へと足を踏み入れたのだった。

「私も今より強くならねばなりませんからね。蜘蛛ごときに背を向けてはいられません」

 というのがソフィアの言い分である。

 また、

「それに何より、スキルを持つあまねく存在は、私にとって興味の対象ですから」

 とかなんとか。


 斯くして戦闘は、何の前触れもなしに始まったのである。


 先手を打ったのはソフィア。

 技能鏡のスキルを持つ彼女は、全く同じ姿をしたタランテプトを素早く見分けつつ、彼らへ向けて得意の閃断を放った。

【閃断】は対象の魔力に働きかけ、体内で薄く鋭利な物理障壁を生成し、体の部位を切断してしまうという恐るべき特殊な魔法である。

 何よりソフィアがこれを多用する理由は、そのコスパの良さにある。

 ダンジョンへ挑む冒険者たるもの、MP管理は命題と言ってもいい程の重要事項だ。

 MPを使わずにモンスターを倒せるのなら、それに越したことはなく。使うにしてもなるべく消費を抑えて、不測の事態に備えたり、ボス戦にまで温存するのがベターな運用と言えるだろう。

 その意味に於いて、閃断は少ないMPで大きなダメージを狙える、強力無比な魔法であることは間違いない。


 が、しかし。

(む、さすが特級ダンジョンのモンスター。魔力制御もなかなかのものですね、狙えるのは精々が脚くらいですか。魔法型に関しては通じませんし)

 閃断は、緻密で強固な魔力制御能力を持った相手には通じ難い。

 タランテプトのうち魔法特化型の個体は、当然というべきか魔力制御に長けており、閃断の発動をキャンセルされてしまった。

 他方で近接型と隠密型は、八本ある足のうち、それぞれ五本が一気に断たれた。

 いや、一気にというのは少し違うだろうか。厳密にはそれぞれの足が切断される際に、僅かなタイムラグがあった。


 それというのも、閃断の対象となる者にとっては当然、その発動時には一瞬なれど強い違和感が生じるのである。他者に自身の魔力の制御権を、一瞬一部とはいえ掠め取られるのだから、当然のことだ。

 すると、大抵の者はその違和感に対して無力だが、力の強い者になるほど反射的に抵抗を示すし、同時に危機感を煽られる。意識がどうしたってそこへ向く。

 ソフィアはその瞬間を巧みに狙うのだ。

 意識が一つ所に向けば、その間他が疎かになるのは必定。

 これを利用し数本の脚を一気に断つという、閃断の基本なれど、恐るべき技巧を披露してみせたのである。


 当然、蜘蛛たちは狼狽え、警戒した。

 だが反応も速い。魔法を操る個体は即座に他二体へ治癒魔法を行使し始め、隠密蜘蛛は濃厚な毒霧を拡散させたし、近接蜘蛛は霧の中に細い糸を素早く張り巡らせた。

 見事な対応の速さである。回復の時間をそうやって稼ごうというのだ。


 しかしてソフィアは、掴んだ優位を手放さない。

 タランテプトを相手に優勢を取られては、勝ちの目はほぼ失われると言っていいだろう。だから流れを掴んだなら、決して手放してはならないのだ。

 もとより、それは鏡花水月の常でもあるため、ソフィアにとってはわざわざ意識するほどのことでもないのだけれど。


 広い部屋の中に、一気に広がる紫色の煙。目にも分かりやすい毒霧だ。

 タランテプトらには何ら害の無いそれだが、他の生物が触れたり吸い込んだりしようものなら、最悪死に至るほどの強烈な毒である。

 僅かに吸うだけでも身体の自由を奪われ、その時点で形勢は覆らぬものとなってしまうだろう。

 だが。

 ソフィアが最も得意とする魔法属性は、『風』である。


 隠密蜘蛛が毒霧を吐き始めた瞬間だった。紫色をしたそれは蜘蛛の目前にて一点に収束し、一切の拡散を許さなかったのである。

 無論それを成したのはソフィアであり。行使されたのは全方位から一点へ向けて空気を集めるという、初歩的な風魔法だった。

 さりとて効果は覿面。

 霧の拡散を防いだことにより、近接蜘蛛の張り巡らせた糸は顕となった。

 しかしながら、細い糸である。遠目から目視で捉えるのは如何にも困難であり、近接戦の間合いに踏み込むのは自殺行為とすら言えるだろう。

 しかしソフィアの得意とする間合いは遠距離。なれば当然、巧みに張り巡らされた糸も、さしたる驚異とは成り得ない。

 優位は依然としてソフィアにある。


(回復速度が速いですね……ここで一気に畳み掛けますか)


 恐るべきことに、魔法蜘蛛の治癒によって、断たれた脚が早くも修復されつつある様子を認めたソフィアは、次の攻め手に打って出ることに。

 現状、素早さが売りである、近接蜘蛛と隠密蜘蛛の脚を奪ったソフィア。

 彼らの選択肢は一気に狭まり、切れる手札も殆ど持ち合わせがなかった。

 そんな彼らを次に襲ったのは、思いがけない一撃だった。


 ソフィアは、素早くマジックバッグの中に手を突っ込むと、そこから愛用の弓と矢を取り出した。

 洗練された流麗なる動作。しかも尋常ならざる速さで構えを整え、引き絞られた弓にはギリギリと一本の矢が番えられており。

 気づいた時には、鋭い発射音だけが手元に残っていた。


 それを攻撃と認識した時には既に、魔法蜘蛛の身体には大きな風穴が空いていたのである。


 当然、こうなっては治癒魔法の行使どころではない。

 一瞬遅れて、激痛に悶え苦しむ魔法蜘蛛。

 恐るべきは、高いステータスからなるその驚異的な反射速度をもってしても、まるで捉えられず直撃を許したという事実であろうか。

 或いは、幾ら他のモンスターに比べたなら些か低いとは言え、強固な防御力を持つその体を、簡単に穿ってみせたその威力か。


 しかし彼らの不幸は寧ろ、ここからだった。

 動揺すれば魔力制御は乱れる。

 魔力制御が乱れたなら、閃断が通りやすくなる。


 瞬く間に、すべての足が断ち切られた蜘蛛たち。

 それでもめげず、苦し紛れに毒や煙を吐き出そうとした彼らの身に、しかし突如驚くべき現象が起こった。

 なんと、身体が内側から爆ぜたのである。


 ハイエルフの魔法は閃断だけにあらず。

 他者の魔力制御に干渉し、特殊な事象を生じさせる。それこそがハイエルフのみに許された、特別な魔法の本質だ。

 故にソフィアは、閃断以外にも凶悪な魔法を幾つか扱うことが出来る。

【種火】はその一つである。

 対象がスキルないし魔法を行使しようとした瞬間、それをトリガーとし発動する魔法。

 その効果は、発動するスキルの強制書き換え。

 対象のMPを使って自爆させるという、世にも恐ろしき魔法である。

 しかしその難度は閃断以上に高く、対象が油断している時、或いは動揺しているようなタイミングでなければ成功率は低い。


 今が正に、好機だった。


 蜘蛛たちはいよいよ、スキルを発することにすら躊躇いを覚えるようになり、かと言って戦う術も逃げる術も封じられてしまった。

 実質的に勝負は決したのである。

 ソフィアは何も言わず、ただ粛々と止めを刺した。

 タランテプトたちが一矢報いる事は、とうとう叶わなかった。



 ドロップアイテムをマジックバッグへしまいながら、静かにぼやくソフィア。

「弓はオルカさんと被っちゃいますし、矢は消耗品で撃てる回数にも上限がありますからね。あまり好きではないのですけれど……」

 そう言いながらも、ふとビンビンと弦を弄びながら、思案するソフィア。


「しかし、弓ですか……ふむ。もしかすると魔術と組み合わせて、強力な火力を実現できるかも知れませんね。新しいテーマとして取り上げるのも面白いかも……」


 独りごちたソフィアは、うんうんと頷きながら弓をマジックバッグへしまい込んだ。

 そうして、何事もなかったかのように歩みを再開する彼女。

 鏡花水月に於いて、唯一の『特級冒険者』という肩書を持つそのハイエルフには、まだまだ余裕があるらしい。




 一方でその頃、同階層のとある部屋の中を、クラウは一人探索していた。

 甲冑が部屋の端に、等間隔に並べられており、なかなかに荘厳かつ不気味な雰囲気を醸し出している。

 そんな甲冑たちを、睨みつけながら歩むクラウ。

「し、知ってるんだからな……どうせ動くんだろう? 見え透いた罠だ!」

 などと吠えるが、完全に虚勢である。

 ホラーは苦手なクラウであった。


 すると案の定、ガシャンと。

 一際品の良い鎧が独りでに動き出すと、列を抜け出しクラウの前へ歩み出てきたではないか。

「ひっ」

 と、最初こそ小さな悲鳴を上げた彼女ではあったが、甲冑のその堂々たる振る舞いに、自ずと背筋が伸びる。


 洗練された動作による、抜剣。

 正眼の構えを取り、相対する甲冑騎士。

 すると対するクラウも、これにはスイッチが切り替わる。


 へっぴり腰はスッと伸び、眼差しには刃が如き鋭さを宿し、美しき所作で聖剣を構えた。

 そこには既に、怯えの類は微塵も無く。


 次の瞬間、剣戟が開始されたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る