第85話最低


 話が落ち着いたのを合図に私はライトニングさんからは反対側に頭を傾けてそのまま座っていたベッドの上に墜落した。足先から靴をズリ落としたら横向きのまま目を閉じ、長く伸びをしながら深呼吸する。再び目を開けた時には都合よくオデコの辺りに白い小綺麗な枕がある。ひっ掴んで頭の下に滑らせると、ザリザリと蕎麦殻枕みたいな音がした。何度か軽く頭をもたげて丁度いい頭の角度と位置を探り当て、今度は固く目を閉じ、鼻息荒く決意する。

 !今日はもう寝る!(頑固な意志)

ライトニングさんには一言も声などかけずに、もう好きにさせてと言わんばかりに起きなかった。正直しんどい。自分なりに一生懸命考えたのに、話が深く踏み入る程に他人事に思えてしまう。

そういう人もいるんだな、そんな事もあるんだな、なんて程度にしか思えないのは薄情なんだろうか。つい昨日までお世話になった人が亡くなったというのに。

 …嫌だ。…怖い。……なんで怖いんだろ…。

 自分が狙われていたかもしれないから?

 人が簡単に死んでしまうから?

 それに何も気が付かなかったことが?

思い返したら結構な理由が次々と見つかってしまった。ボーッとしてしまうのは、やっぱり飽和状態になっているのだろう。なんだか今更だけど急に体温が下がっていくような気がする。…寒い。さっさと眠ってしまいたい。


 明日の朝にはちゃんと朝日が昇るのだから、今日の終わりが最低でもちょっとは救われる。今の気分から眠りに逃げ込むのは危険な気がして嫌だ。もっと明るくて爽やかな、せめて息が楽になる事をもう少し話しておけば良かった。

こんな時、現代世界ならお気に入りの曲でも聞けばマシになると思う。今は仕方がないから頭の中でその記憶を再生してみるしかない。

 ……あ〜あ、最低だ。

 早く明日になればいいのに。




 …………………………………。

 ………………?

 ………ん?…あれ?

 ……そういえばすっかり忘れていたけれど、

 窓から虫は入って来なかったよな!?

ハッと気がつくと辺りは明るくなっていて、見上げれば開いたままの窓からは白い光の筋が射し込んでいる。日付が変わった。つまり朝一番に虫の心配をして目を覚ましてしまった事に気が付いた。

 ……なんか損した気分。

なんとも言葉にならない思いで目を瞬かせながら体を起こし、足元の毛布の上に昨日と変わらない竜が居るのを確かめる。

 置き物かこのヒト……。

 !待てよ、もしかして……!

「…ライトニングさん、起きてる?」


「おはようございます。どうかしましたか。」


置き物から声が聞こえる。よく考えてみたら方向はあまり関係がないんだな。そりゃ私しかいないのだから顔を向ける必要もないのはわかるけど。

「……。おはよう。」

とにかくよかった。眠ってしまったのかと思って焦った。今日は大事な用事がある上に初めての場所が目白押しの予定なのだから、一人で行動するのは心細い。ナクタ少年はあくまでも領国内の、しかもおそらくこの辺り事しか知らない子供なのだ。偉大な雷の竜が頼りである。

昨日リッカ少女に貰った服は少年に貰った風呂敷に包んで椅子の上に纏めてあった。これを背負うとイラストなんかでよく見る昭和の泥棒みたいになるな、と少し考える。唐草模様ではなく無地の煉瓦色だから、なんとか明治か大正時代のイメージということで、気分を上げていこう。


 ミズアドラスの朝の空気は驚く程に清浄で透明だ。町の中なのに緑と木の匂いがするのも新鮮だったけれど、何も無い辺りから空気が濃く流れ迫って来る。日本の田舎ともまた違う、しんとした朝の湿度と光が神聖な世界を私に見せていた。慣れてしまえばなんとも思わないのだろうが、今はまだすべてが私の知らない新しいもので満ちている。ようやく旅行にでも来たような気持ちになって改めて漠然と現在地を眺めてみると、悲しいことに困惑しか浮かばないのだった。

旅の目的がわからない。三人?で行動する意味もわからない。仕事があるかというと何もすることは無い。暇なのかというとそうでもない。

 私達、なんのために一緒にいて、

 なんのために旅をするんだろう…。

壮大な失念である。ハッキリ言って馬鹿みたいなのだ。過去と未来を知る偉大な雷の竜にしかこの旅の意味は理解できない。知りたくても教えてくれないのだから。

旅行用品を買いに行くとか言ってみたものの、そもそも超空間移動出来てしまう竜と大魔女に旅など必要なのか。イド氏はそんな事とは知らず色々と心配していたが、あれは魔法使いに頼む為の心配事であって、まさか大魔女と竜に頼む事になるとは想定していなかっただろう。井戸の底に住む幽霊でなくとも、一般に聖なる竜の人智を超えた能力などは知る機会などほとんどないのだ。

ここに来た時みたいに飛べば、すぐに領国外へは着いてしまうのだから実はナクタ少年とはすぐにお別れになると思うのだけど、竜は少年のことを"同行するもの"と呼んでいた。いやそこは自由にしてあげないと話が違うってなるだろと思う。私から言ってさっさと解放してあげよう。

とりあえずお金が貰える予定なので少しは自分だけでもなんとかなる気がしてきている。私という人間はその程度のもので、だからこそ、ぼっちがお似合いなのだ。これについては今更恥じる気もない。お金は人生の力強い裏打ち材である。自作だが、これ名言だと思う。

 お金の知識は無いんだけどね…。

 これから身につける予定だから。


 知識といえば、雷の竜についても私は何も知らない。もうなんとなくだけど、生き物というカテゴリーでいいのかと疑問に思っている。このヒトは出会ってから一度も食事をしていないのだ。排泄も知らない。眠っていたのはグラ家にいた時だけだ。竜だからか体温もまるで感じないし、正直、呼吸をしているのかもよくわからない。

 半端なくスローペースで生きてる生物…?

なんだか良くわからないが時空を渡るタフな大物であることだけはわかる。忠実に王様に仕える心のようなものも感じる。竜なりに好き嫌いがあって得意になったり、毒づいたり、はにかむような隙も見せる。だけど私達とは別の何かでつくられている。そんなふうに感じる。

 せめてユイマが竜に会う経験をしていれば、

 もう少し理解出来たのかもしれないけど…。

複雑な気持ちでまた偉大な雷の竜を見ると、ナクタ少年が見間違えたのも無理はないなと思うくらいの、まるで置き物が相変わらずそこにあった。

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