72話
執務室を後にして暫くが過ぎた頃。
肩を並べた2人は、取り留めもない会話を交わしながら、無人の廊下を歩いていた。
「なに?イリスが冒険者に?」
「ああ。君が、何か言ってくれたんだろ?」
目つきを鋭くして横を振り向くアルギスに対し、マティアスは前を見据えたまま、穏やかな口調で尋ねかける。
しかし、一度視線を上向けたアルギスは、心当たりのない問いかけに、難しい顔で頭を捻った。
「いや、特別なことは伝えていないはずだが……」
「おや?アイツからの手紙には、そう書かれていたんだがな」
躊躇いがちな返事に首を傾げると、マティアスは顎を撫でながら、隣を歩くアルギスを横目に見やる。
食い違う話の内容に眉を顰めつつも、アルギスは肩を落として、大きなため息をついた。
「……自覚は無いにせよ、悪いことをしてしまったか」
「何言っているんだ?むしろ、感謝したいくらいだぞ」
どこか落ち込んだ様子のアルギスに対し、マティアスは気楽な口調のまま話を続ける。
思いがけない対応に目を丸くすると、アルギスは妙に上機嫌なマティアスの顔を覗き込んだ。
「感謝だと?」
「ああ、アイツは真面目だからな。いつも、俺や姉貴と同じような事をしたがる」
コクリと頷き返したマティアスが遠い目をしながら語り出す一方。
僅かに眉を跳ねさせたアルギスは、神妙な面持ちでマティアスの話に耳を傾けた。
「ふむ……」
「……だが、俺達は定められた道を進んでいるだけだ。それは目指すものじゃない」
一度言葉を選ぶように舌を転がすと、マティアスは重々しい口調で再び話し出す。
しかし、直後、黙って話を聞いていたアルギスが、目を細めながら話へ割り込むように口を開いた。
「それと、私がどう関係する?」
「君との話の中で、やってみたいことが出来たんだろう。こんなに嬉しいことはないよ」
なおも合点がいかない様子のアルギスに対し、マティアスは満面の笑みを浮かべながら、しきりに頷く。
マティアスが一層機嫌を良くする中、アルギスは胸中で燻る後ろめたさに、憂鬱な表情を浮かべていた
「……しかし、冒険者で良かったのか?」
「勿論だ。アイツは、俺達とは違う。もう少し自由でいい」
薄暗い廊下の奥をじっと見つめたマティアスは、しみじみとした声色と裏腹に、固く拳を握りしめる。
得も言われぬマティアスの気迫に息を呑みつつも、アルギスはイリスとのやり取りを思い出して口元を緩めた。
「……そうかもしれんな」
「だろ?代われるものなら、代わって欲しいくらいだ」
アルギスの相槌に顔を横向けると、マティアスはおどけ交じりに言葉を重ねる。
一方、マティアスの軽口に鼻を鳴らしたアルギスは、頬を緩めながら、前を向き直った。
「それは、全くの同意見だ」
「ハッハッハッ、やはり、君とは気が合うな」
我が意を得たりと首肯するアルギスに、マティアスは相好を崩して、嬉しげな笑い声を上げる。
しかし、程なく地下へと繋がる階段の前までやってくると、表情を曇らせながら足を止めた。
「……と、俺はここまでだ」
「なんだ、地下に泊まっているのか?」
遅れて足を止めたアルギスは、後ろを振り返って、照明すらついていない階段とマティアスの顔を見比べる。
呆気に取られたアルギスが視線を行き来させる傍ら、マティアスは周囲を見回しながら、苦笑いを浮かべた。
「ああ。俺はあまり関係ないが、親父の姿を他の連中に見られると厄介だからな」
「……大層な、客遇なことだ」
ヒソヒソと声を潜めるマティアスに、アルギスは腕を組みながら皮肉を返す。
しかし、伏し目がちに肩を竦めたマティアスは、落ち着き払った態度で、階段へ足を向け直した。
「なに、気にするほどのことじゃない。ただ、哀れに思ったら遊びにでも来てくれ」
「……ああ。気が向いたらな」
軽く手を振って去っていくマティアスを、アルギスは素っ気ない返事と共に見送る。
やがて、マティアスの姿が階段の奥へと消えていくと、再び無人の廊下を歩き出すのだった。
◇
一方、その頃、アルギスたちの去った執務室では。
椅子から身を乗り出したソウェイルドが、ぐったりとするグレゴリーをよそに、熱弁を振るっていた。
「――奴らは、恩だの義理だのに煩い。潜り込むのは至難の業だったはずだ」
「なるほど。じゃあ、要するにエルドリアへのツテが出来たわけだな」
滔々と言って聞かせるソウェイルドに相槌を返しつつも、グレゴリーはうんざりとした表情で欠伸を噛み殺す。
しかし、難しい顔で腕を組んだソウェイルドは、グレゴリーの態度に気がつく様子もなく、思案顔で頷いた。
「ああ。何を褒美にやればいいか、悩むところだ」
「……そんな話はしてないだろ」
向かいで首を捻ったソウェイルドが唸り声を上げる中。
がっくりと肩を落としたグレゴリーは、呆れ顔で独りごちる。
飽き飽きとばかりに背もたれへ寄り掛かるグレゴリーに対し、ソウェイルドは眦を吊り上げながら、身を乗り出した。
「これは、あの子がたった2ヶ月で成したことだぞ?我々が協会伝いで何年連絡を取っていたと思う」
「……また始まった」
語気を強めて語り出すソウェイルドの話を、グレゴリーは半眼になりながら、ぼんやりと聞き流す。
一方、上機嫌に話し終えたソウェイルドは、勢いよく肘掛けへ手をついて、ソファーへ座り直した。
「褒美の一つも取らせなければ、私の沽券に関わる」
「それもわかるが、問題はこの後だろう?浮かれていていいのか?」
大真面目に言い放つソウェイルドへ渋々頷きを返すと、グレゴリーは表情を険しくしながらソファーから体を起こす。
浮かない顔で気を揉むグレゴリーに対し、ソウェイルドは眉一つ動かさずに、首を横へ振った。
「安心しろ。問題など、何一つない」
「なに?」
無言で返事を待っていたグレゴリーは、確信めいたソウェイルドの返答に、はたと首を傾げる。
戸惑うグレゴリーにニヤリと口角を上げると、ソウェイルドはゆったりとした動きで、自らの胸へ手を当てた。
「既に勝機は掴んだ。この後、私が直接出向く」
「おいおい、相当の理由がないと奴らは出てこないぞ?どうする気だ?」
得意顔で言い切るソウェイルドに、グレゴリーは眉根を寄せながら、矢継ぎ早に質問を重ねる。
しかし、静かに肘掛けへ手を戻したソウェイルドは、不敵な笑みを湛えたまま、平然と足を組み替えた。
「なに、相手はエルフだ。アルギスの受けた恩を返すとでも言えば、断ることもできん」
「あぁ、あの掟とやらか……」
すぐにエルフの特性へ思い当たると、グレゴリーは合点がいったとばかりに目を細める。
納得顔で顎を撫でるグレゴリーに対し、ソウェイルドは目をギラつかせながら、更に口元を吊り上げた。
「クク。あの忌々しい慣習が、こうも役に立つ日がくるとはな」
「……その顔を、交渉で見せるなよ?」
事態の進展に喜色を滲ませつつも、グレゴリーは狂気じみたソウェイルドの笑みに、不安げな呟きを漏らす。
すると、笑顔を引っ込めたソウェイルドは、頬杖をつきながら、鬱陶しげに手を払った。
「私の心配はいらん。それより、お前は私が戻るまでデニレア家との話し合いを済ませておけ」
「ああ、それは俺も望むところだからな。既に日取りは決めている」
再び進みだした話に表情を和らげると、グレゴリーは指示を付け加えるソウェイルドへ、我が意を得たりと同意する。
前のめりなグレゴリーの返事に、ソウェイルドは薄笑いを浮かべながら、大きく頷いた。
「それならいい」
「まあ、任せておけ」
グレゴリーの言葉を最後に2人の会話が途切れかけた時。
小ぶりなノックの音が響き、ジャックの控えていた扉の奥から、使用人が顔を覗かせる。
ややあって、扉を閉め直したジャックが、使用人から受け取った封筒を手に、真っ直ぐに2人の下へ近づいてきた。
「失礼いたします」
「……なんだ?」
流れるようにソファーの脇へ控えるジャックに顔を向けると、ソウェイルドは奇妙な違和感を感じながら、低い声を上げる。
途端に目つきを鋭くするソウェイルドへ、ジャックは腰を折りながら、持っていた封筒を差し出した。
「大旦那様より、お手紙が届いたようです」
「はぁ……せっかく、いい気分だというのに。まったく」
ため息交じりに席を立ちがったソウェイルドは、受け取った封筒を手に、執務机へと向かっていく。
やがて、封筒を開けたソウェイルドが手紙へ目を通し始めると、グレゴリーもまた、遅れて席を立ち上がった。
「あの爺様は、なんて?」
「どうやら、ソーンダイクを始末した旨の通知のようだ」
気楽な声を上げながら近づいてくるグレゴリーに対し、ソウェイルドは手紙へ目を落としたまま、淡々と言葉を返す。
手紙を読むソウェイルドの表情が次第に険しくなる一方、グレゴリーは目をパチクリさせながら、執務机に手をついた。
「へぇ。今回は、だいぶ時間をかけたんだな」
「……連絡を、すっかり忘れていたそうだ」
眉間に深い皺を刻みながら目線を上げると、ソウェイルドは手紙を握りしめながら、気の抜けたグレゴリーの顔を見やる。
苛立ちを隠そうともしないソウェイルドに対し、グレゴリーは困ったように両手を挙げて、素早く執務机から離れた。
「……そんな目で見ても、俺には何も言えん」
「追伸”今年中に一度戻る”……今、見るべきでは無かったな」
末尾に記された一文を読み上げたソウェイルドは、そそくさと手紙を封筒へ戻して、机の中へ仕舞い込む。
大きなため息と共にソウェイルドが項垂れると、グレゴリーは耐えきれなくなったように出口へと顔を向けた。
「……さて、話の区切りもいいし、俺はこの辺りで失礼するかな」
気まずい沈黙から逃げるようにグレゴリーが出口へと向かう中。
ジャックへ目配せをしたソウェイルドは、天井を見上げるように、椅子の背もたれへ体を預けた。
「……人払いは済んでいるが、なるべく静かに戻れ」
「はいよ。こっちも、何か進展があったら伝える」
憔悴した様子のソウェイルドへ手を振り返すと、グレゴリーはジャックの開けた扉を抜けて廊下の奥へと消えていく。
再び音もなく閉まる扉をよそに、ソウェイルドは机へと向き直って、取り出した便箋にペンを走らせ始めるのだった。
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