66話

 明くる日、降り止まぬ淡い燐光の下、世界樹に寄り添うエルドリアの宮城では。


 渡り廊下で繋がる謁見の間へとやってきたアルギスとマリーが、背もたれの長い椅子へ座るヴァルシャナの前で片膝をついていた。



「――2人共、面を上げなさい」



「…………」



「はい」



 ヴァルシャナの凛と澄んだ声に、アルギスとマリーは揃ってゆっくりと顔を上げる。

 

 周囲へ集まったエルフたちが2人の風貌にヒソヒソと囁き合う中。


 アルギスへ目を留めたヴァルシャナは、顔を隠す不穏なマスクに訝しげな表情を浮かべた。


 

「……その仮面を、外してもらっても?」



(ウィルヘルムから、特に注意はなかったんだがな……) 



 そっとマスクが覆う口元に触れつつも、アルギスは外すことなく、表面を撫で回す。


 脱着を躊躇うアルギスに、ヴァルシャナは更に目つきを鋭くしながら、小首を傾げた。



「どうしましたか?それとも、なにか外せない理由でも?」


 

「……いえ、これは失礼をしました」



 警戒心すら滲ませるヴァルシャナに顔を伏せると、アルギスはマスクを外して、作り笑いを浮かべる。

 


 しかし、素顔を晒したアルギスが顔を上げた直後。


 これまで静かに様子を眺めていたエルフたちの一部から、波のように唸り声が漏れ出した。


 

(な、なんだ?)



 浮足立つエルフたちに対し、アルギスは動きを止めたまま、左右へ目線を動かす。


 徐々にどよめきが広がる中、ヴァルシャナは額を押さえながら、首を横へ振った。

 


「……もう、着けていただいて結構」



「はぁ……?」 



 未だ釈然としない気持ちを残しながらも、アルギスは再び顔を伏せて、マスクを着け直す。


 程なく、室内のざわつきが静まると、ヴァルシャナは咳払いをして、穏やかな笑みを浮かべ直した。



「それでは、貴方がたは何を望みますか?」 


 

(さて、どうしたものか……)



 否応なしに進む状況に、アルギスは周囲のエルフたちを横目に見ながら、考えあぐねる。


 一方、アルギスをチラリと一瞥したマリーは、ヴァルシャナへ向かって恭しく頭を垂れた。


 

「私めは、アルギス様のご決定に従います」



「……では、貴方は?」



 以降、黙りこくるマリーから目を逸らすと、ヴァルシャナは隣で顔を上げたままのアルギスへ尋ねかける。


 固唾を飲んで見守るエルフたちをよそに、アルギスは薄笑いを浮かべながら、誤魔化すように目線を俯かせた。



「私は、この国における、”コメ”の種籾を所望させて頂きたい」 



「……へ?種籾?あの、備蓄食料の?」



 何を言われるのかと身構えていたヴァルシャナは、見当違いの返事に目を丸くして聞き返す。


 その場の全員がポカンとして言葉を失う中、アルギスは躊躇もなく、首を縦に振った。



「ええ。ですが、もし不可能であれば別の――」 



「いいえ!それで結構。ヴァルシャナの名を以て、ハミルトンから受け取ることを許可しましょう」



 別の望みを口にしかけるアルギスへ、ヴァルシャナは慌てて承諾の言葉を被せる。


 そして、まじまじと2人の姿を見比べると、背もたれへ寄りかかりながら、軽く手を払った。



「下がって宜しい」



 どこか安心した様子のヴァルシャナがこっそりと息を吐き出す一方。


 揃って頭を下げ直した2人は、床から立ち上がって、そそくさと列席するエルフたちの端へ向かっていった。

 


(ウィルヘルムの管理だったのか。これは運が良い)


 

 思いもよらぬ幸運に、アルギスは口元を緩めながら列の最後尾へ並ぶ。

 

 それから暫くして、席を立ったヴァルシャナが1人謁見の間を後にすると、前髪を真っ直ぐに切り揃えたエルフの女性が、空席となった椅子の前へ足を進めた。


 

「――それでは、これにて式は終了と相成ります。皆の者、退場を」 



 室内へ響き渡った宣言に、エルフたちは前列から頭を下げて去っていく。


 やがて、声を上げた女性を除いて、全てのエルフたちが謁見の間を出た頃。


 無言で順番を待っていたアルギスとマリーもまた、お辞儀と共に開け放たれた扉へと体を向け直した。


 

(……やっと終わった。だが、これでようやく交易街へ戻れるな)



 長かった授与式にため息をつくと、アルギスは前のめりになりながら、急き込むように出口へ向かっていく。


 しかし、2人が宮城へと繋がる渡り廊下へ足を進めようとした時。


 柱の前で待っていたウィルヘルムに小さな声で呼び止められた。



「あれで良かったのかい?せっかくの御恩賞だったのに……」



「ああ、交易街で食べてな。気に入ったんだ」



 困惑した様子で首を傾げるウィルヘルムに対し、アルギスは大きく頷きながら、満足げな声を上げる。


 いつになく上機嫌なアルギスに呆れ顔を浮かべながらも、ウィルヘルムは小さく肩を竦めて、2人の顔を見比べた。


 

「……まあ、何を貰おうと君たちの勝手だからね」 


 

「では、さっさと屋敷へ戻るとしよう。予定が詰まっている」



 きっぱりとした口調で話を切り上げると、アルギスは焦れたように再び渡り廊下へと足を向ける。


 しかし、慌ててアルギスの肩を掴んだウィルヘルムは、目を泳がせながら、躊躇いがちに2人の前へと進み出た。


 

「急いでいるところ、すごく言いにくいんだけど……」 



「……なんだ?」


 

 言い淀むウィルヘルムに、アルギスは強烈な既視感を感じて、苦々しい表情で先を促す。


 不審がるアルギスに冷や汗を流しつつも、ウィルヘルムはぎこちない笑みを浮かべながら、人差し指を立てた。



「もう一人、君たちに会いたいという方がいるんだ」



「……すぐに、終わるんだろうな?」 


 

 一方的な提案に天を仰いだアルギスは、目頭を押さえながら、渋々口を開く。


 苛立ち交じりで腕を組むアルギスに対し、ウィルヘルムは周囲を見回して、逃げるように前を歩き出した。


 

「ああ、すぐだよ!……きっと」



(はぁ……。来るんじゃなかった) 

 


 やり切れない気持ちに項垂れながらも、アルギスは諦めたようにウィルヘルムの後を追いかける。


 程なく、渡り廊下を通り抜けた3人は、無言で宮城の中へと向かっていくのだった。

 




 アルギスとマリーがウィルヘルムへ連れられて宮城の長い階段を登ること数十分。


 樹冠の真下にある部屋へとやってきた3人は、巨大なソファーへ腰掛けるアズルミーダと向かい合っていた。



「ふむ。お前らが変わり者の冒険者たちか」



「いえ、実は彼らは……」 



 2人の姿をしげしげと眺めるアズルミーダに対し、ウィルヘルムは小さく声を上げながら脇へ控える。


 しかし、耳へ入った補足に顔を顰めると、アズルミーダは腰を屈めるウィルヘルムへ、鬱陶しげに手を払った。


 

「ハミルトン、儂の趣味を邪魔するなら下がっとれ」



「……失礼致しました」



(コイツも、ハイエルフなのか?) 


 

 言い咎められたウィルヘルムがすごすごと引き下がる中。


 はたと疑問を覚えたアルギスは、足をばたつかせるアズルミーダに目を細める。

 

 しかし、アルギスが鑑定をしようとした直後。


 鋭い視線に気がついたアズルミーダは、ソファーの上で胡座をかきながら、苦笑いを浮かべた。


 

「そんな無粋な目で見るな。別に、聞けばなんでも答えてやるぞ?」

 


「っ!これは申し訳ない。慣れない状況に、つい、いつもの癖で」



 咄嗟にアズルミーダから目を逸らすと、アルギスは取り繕うように、口からでまかせを言う。


 バツの悪い表情を浮かべるアルギスに対し、アズルミーダはキラキラと目を輝かせて、ソファーから身を乗り出した。



「ほほう?なるほど歳の割に、らしいことを言う」



(また、やり辛いタイプか……)



 マスクの下で口元を歪めたアルギスは、沸き上がる不快感に驚きながらも、何も言わず頭を下げる。


 そのままアルギスが黙り込む一方、アズルミーダは、じぃっと顔を見上げながら言葉を続けた。


 

「ほれ。何か聞きたいことがあるのではないか?」



「……では、我々をお呼びになった理由をお聞きしても?」



 顔をニヤけさせるアズルミーダに、アルギスは胸中へ燻る不快感を抑え込んで問い返す。


 しかし、アルギスの疑問を耳にしたアズルミーダは、目を瞬かせながら首を傾げた。


 

「む?言わなかったか?ただの趣味だ」



「趣味、と言いますと?」



 あっけらかんとした返答に内心で眉を顰めつつも、アルギスは努めて冷静に質問を重ねる。


 密かな怒りを湛えるアルギスに対し、アズルミーダは寂しげな笑みを浮かべながら、窓1つ無い室内を見回した。

 


「こう長く生きると、楽しみも減る。そこで目に留まった面白おかしい者をここへ呼び、話を聞いておるわけだ」 



(なんて、はた迷惑な趣味だ……)

 


 チョイチョイと床を指すアズルミーダの回答に、アルギスは頬を引き攣らせながら絶句する。


 一方、2人の顔を改めて見比べたアズルミーダは、腰に手を当てて、誇らしげに胸を張った


 

「それに、一際目を引く者ならば取り立てもする。これまでには、森都への出入りを許可した人族までいたんだぞ?」 


 

「ほう?どのような者に、それ程のご許可を?」



 オマケのように付け加えられた情報に片眉を上げると、アルギスは先程までの怒りも忘れて尋ねかける。


 隣で押し黙っていたマリーまでもが耳を傾ける中、アズルミーダは遠い目をしながら語り始めた。



「あれは……もう千年近く前になるか。妙な男が森へ現れてのう、なんでも見せたいモノがあると――」 



(”トゥエラルタ教の聖人”だと?) 


 

 しばしアズルミーダの話に聞き耳を立てていたアルギスは、思わぬ人物の登場に、一層話へ意識を集中させる。


 なんでも、トゥエラルタ教の聖人を名乗る男は、交渉の場を求めて、単身エルドリアの森へ踏み込んできた。


 そして、その際、手土産にしていた”空属性の付与魔術陣”をアズルミーダがいたく気に入ったことで、森都への入場許可を与えられたというのだ。


 

「まあ、”天の裁き”で大陸が割れ動いて以降、顔を見とらんがな。つくづく、惜しい男を亡くしたもんじゃ……」



「天の裁き……?」


 

 肩を落とすアズルミーダをよそに、アルギスは耳馴染みのない単語を思わず反芻する。


 すると、これまで悲しげに俯いていたアズルミーダは、一転して、ふくれっ面で腕を組んだ。


 

「気になるのはそこか?まったく、これだから人族の歴史学は……」



(そんな単語も設定も、ゲームには登場すらしていないが……)


 

 気を悪くしたアズルミーダがブツブツと愚痴を漏らす中、アルギスは口元へ手を添えながら、1人考え込む。


 しかし、それから少しの間、アルギスが思い悩んでいると、アズルミーダは痺れを切らしたようにパンと両手を叩いた。


 

「何を悩んでおるか知らんが、もう質問は無いな?今度は儂の番だぞ」



「……我々に、お答えできることがあれば」 



 ソワソワと落ち着きなく体を揺らすアズルミーダに、アルギスは胸へ手を当てて頭を下げる。


 ややあって、アズルミーダの両隣に座らされたアルギスとマリーは、延々と質問責めに合うのだった。

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