65話
交易街へと戻って6日が経った頃。
1日と待たず森都へ出立したアルギスとマリーの姿は、既に世界樹のほど近くにあった。
降りしきる淡い燐光を尻目に、宙へ浮かぶ細長い帆船に腰を据えた2人は、同型の船へ乗った護衛に囲まれながら、枝の上を進んでいく。
やがて、遠目にハミルトン家の屋敷が見え始めると、2人を乗せる船は、ゆっくりと高度を落としながら玄関先へ向かっていった。
「お待たせ致しました」
船底を樹上へ着けた船頭は、手慣れた動作で、流れるように丸めていた木製のタラップを降ろす。
パタパタと広がって屋敷の前まで辿り着くタラップに、アルギスは側へ置いていたケースを取り上げて、床板から腰を上げた。
「ご苦労」
「ありがとうございました」
素っ気ない言葉と共にアルギスがタラップへ踏み出すと、マリーは船頭に頭を下げて後を追いかける。
そして、タラップを降りきった2人が楼閣に繋がる階段へ足を進めた時。
大きなアーチ型をした玄関口の扉が、内側から音もなく開かれた。
(……今回は、随分と大袈裟な歓迎だ)
扉を開けた使用人たちが玄関の外へ並ぶ中、アルギスは無言で石造りの階段を登っていく。
程なく、階段を登りきった2人に、奥の廊下へ至るまでズラリと並んだ使用人たちは、一糸乱れぬ動きで頭を下げた。
――おかえりなさいませ――
「……ああ、邪魔させて頂くよ」
前回とは似ても似つかない対応に小首を傾げつつも、アルギスはマリーを連れて、使用人たちの間を抜けていく。
やがて、2人がまでやって来ると、廊下の入口前に立っていた壮年の使用人が、はたと顔を上げた。
「旦那様は、既に応接室でお待ちでございます」
「それは嬉しい。一刻も早く、お目通り願いたい」
穏やかな微笑みを湛える使用人に、アルギスはケースを逆の手へ持ち替えながら笑い返す。
すると、ケースを目で追っていた使用人は、強張った顔で、すぐさま頭を下げ直した。
「かしこまりました」
(……とっとと返して、さっさと帰ろう)
後ろを振り返った使用人が廊下へ足を向けると、アルギスもまた、そそくさと後に続いて歩き出す。
そして、それから3人が窓から見える中庭を眺めながら進むこと十分余り。
応接室の前へ辿り着いた使用人は、未だ庭を見やる2人を背に、そっと木製の扉を叩いた。
「――どうぞ」
奥から聞こえてきたウィルヘルムの声に使用人が扉を開ける傍ら。
壁際へ控えるマリーに目を向けたアルギスは、クイクイと指を折って呼びつけた。
「……お前もだ。後ろに立ってるだけで良いから一緒に来い」
「は、はい」
思いがけない指示に気後れしながらも、マリーは唇を引き結んでアルギスの後を追う。
神妙な面持ちで応接室へと足を踏み入れる2人に対し、応接室のソファーには、喜色を滲ませたウィルヘルムとエレンが腰を下ろしていた。
「やあ、よくぞ戻ってきてくれたね」
「お帰り」
(……エレンもいるのか)
揃って手を上げるウィルヘルムとエレンを見比べたアルギスは、妙な胸騒ぎを感じながらも、向かいのソファーへ足を進める。
ややあって、2人の前までやってくると、テーブルへ置いたケースの錠前を外し始めた。
「約束通り、モノを返しに来たぞ。当然、傷一つなくな」
「いやいや、あれだけの成果を出してくれるなら、貸した甲斐があるね」
これ見よがしに開かれたケースをよそに、ウィルヘルムは体を前に傾けながら、上機嫌に両手をすり合わせる。
一方、ケースの蓋から手を離したアルギスは、腕を組みながら、背もたれへ寄りかかった。
「あれだけの成果?私は頼まれた事をしただけだぞ?」
「何を言っているんだ。囚われていたエルフたちも保護してくれたじゃないか」
訝しむアルギスに目を瞬かせると、ウィルヘルムはキョトンとした顔で首を傾げる。
確信めいた口調で話すウィルヘルムに、アルギスは眉間に皺を寄せて、背もたれから体を起こした。
「……待て。なぜ、その話を知っている?」
「ミダスを出たところを、メリンダが視たそうでね。私の耳にも入ったんだ」
隣へ座るエレンを一瞥したウィルヘルムは、耳をトントンと叩きながら、こともなげに理由を告げる。
しかし、一度口を閉じると、向かいで浮かない顔をするアルギスに目を細めた。
「見かけによらず、優しいじゃないか」
「……あれは、ハンスの奴が勝手にやったことだ」
からかい交じりの軽口に、アルギスは顔を伏せながら、うんざりとした表情で手を払う。
一方、バタンとケースの蓋を閉じたウィルヘルムは、気にした様子もなく、満足げな笑みを浮かべた。
「でも、アレが自由になったのは、君たちのおかげだろう?」
「……まあ、いずれにせよ、大したことではない」
不本意な評価に顔を顰めつつも、アルギスは気のない返事と共にソファーへかけ直す。
そのままピタリと口を噤むアルギスに対し、ウィルヘルムは意味深な笑みを浮かべながら小さく首を振った。
「つれないなぁ。君たちには、御恩賞の授与まで決まっているのに」
「なんだと……?なぜ、そんな事になる?」
したり顔のウィルヘルムに片眉を上げると、アルギスは忙しくなく目線を揺らしながら、苦々しい口調で口を開く。
想定外の事態にアルギスが1人考え込む中、ウィルヘルムは両手を広げて、ニッコリと笑った。
「君の功績をヴァルシャナ様……いや、ハイエルフの方々にもお伝えしたんだ」
(……マズイ。このままでは、公都どころかソーンダイク領にすら行けなくなる)
休暇の残りを数えたアルギスは、最悪の予想に行き当たり、背筋に嫌な汗を流す。
青ざめた顔で黙り込むアルギスに対し、ウィルヘルムは一層声色を明るくしながら、話を続けた。
「エレンが報告書を貰ってきてくれたおかげで、御恩賞は一も二もなく了承されたよ」
「頑張った」
「……それは非常に有り難いんだが、日程だけ先にお聞きしても良いかな?」
どこか誇らしげな様子のエレンに目眩を覚えつつも、アルギスは平静を装って、2人の顔を行き来させる。
しかし、期待外れとばかりに肩を竦めたウィルヘルムは、ヒラヒラと手を振って、放置していたケースを足元へ置き直した。
「日程なんて、そんなもの決まって無いよ。もう連絡は済んでいるし、近い内に行けばいい」
「よし。なら、今から向かおう」
ウィルヘルムが口を閉じるが早いか、アルギスは勢いよくソファーから立ちがる。
今にも部屋を飛び出しそうなアルギスを、ウィルヘルムは目を白黒させながら呼び止めた。
「ちょ、ちょっと、流石にそれは……」
「いつでも良いんだろう?こう見えて、私は忙しいんだ」
遅れて立ち上がるウィルヘルムにアルギスが食い下がろうとした時。
これまでじっと様子を見ていたエレンが、肩を落としながら小さく口を開いた。
「迷惑、だった?」
「……なに?」
消え入るような声にウィルヘルムから目を逸らすと、アルギスは隣で俯くエレンに首を傾げる。
困惑した様子のアルギスに、エレンは唇を尖らせながら、悲しげに背中を丸めた。
「あんまり、嬉しそうじゃない」
エレンの呟きを最後に静けさが室内を満たす中。
前後から視線を感じたアルギスは、諦めたように首を横へ振った。
「……そんなことはない。まだ実感が湧かないだけだ」
「本当に?」
無愛想な返事に顔を上げると、エレンはおずおずとアルギスの顔を覗き込む。
縋るような目で見つめるエレンに、アルギスは口角を上げながら、躊躇いもなく頷き返した。
「ああ」
「じゃあ、いい」
淀みのない返事に胸を撫で下ろしたエレンは口元を緩めながら、体を起こす。
すっかり機嫌を良くしたエレンにため息をつくと、アルギスは既に席へついていたウィルヘルムに顔を向け直した。
「……向かうのは、明日にしよう」
「うん、うん。それがいい」
一転して勢いを失くすアルギスに対し、ウィルヘルムはしきりに頷きながら、生暖かい目線を送る。
部屋全体がほんわかとした雰囲気に包まれる中。
胸に手を当てたアルギスは、ウィルヘルムへ恭しく腰を折り曲げた。
「では、本日はこれで失礼する」
「ああ。用意が整ったら伝えるよ」
「叔父様のこと、ありがとう……」
隣に座るウィルヘルムが気楽な言葉を返す一方、エレンは腰を浮かせながら、震えた声を上げる。
涙ぐむエレンにギョッとしつつも、アルギスは貼り付けたような笑みと共に小さく手を振り返した
「約束だからな、気にするな。……行くぞ、マリー」
「失礼致します」
その場から逃げるように歩き出すアルギスに対し、マリーは深々と腰を折って、後を追いかける。
ややあって、応接室を出た2人は、使用人に案内されながら、対照的な足取りで廊下を進んでいくのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます