52話

 空には月が登り、人通りの増えた娯楽街が賑わい見せる中。


 不気味なほどに静まり返った宿の一室では、すっかり装備を整えたアルギスとマリーが揃って壁にかけられた魔道具を見つめていた。


 

(いよいよ、だな)



 間近へ迫った取引の時刻に目を細めると、アルギスは魔道具から顔を逸して、側へ置いていたマスクを手に取る。


 そのまま涼しい顔でソファーから立ち上がるアルギスに対し、マリーは思い詰めた表情で、小さく口を開いた。


 

「本当に、お一人で向かわれるのですか……?」 


 

「ああ。どちらにせよ、交渉の席につけるのは一人だからな」 



 コクリと頷きを返したアルギスは、眉間に皺を寄せながら、取引の詳細を思い返す。


 しかし、はたと顔を横向けると、怯え交じりに瞳を揺らすマリーへ、優しく笑いかけた。



「それとも、今からでも別の方法を考えるか?」


 

 アルギスの問いかけを最後に、しばし室内へ沈黙が降りる中。


 ぎゅっと唇を引き結んだマリーは、穏やかな眼差しから逃げるように、深々と腰を折り曲げた。



「いえ。問題、ありません」 


 

「……確か、以前お前に預けた短剣があっただろう?」


 

 マリーが自分へ言い聞かせるように声を上げると、アルギスは口元へ手を添えながら目線を上向ける。


 1人思案顔を浮かべるアルギスの呟きに、マリーは恐れも忘れて、真っ直ぐに背筋を伸ばした。


 

「は、はい!」



「いや、取り出す必要はない」


 

 緊張を孕んだ声に目線を下ろしたアルギスは、首を振りながら、急ぎ手元で影を作り出すマリーを留め立てる。


 不可解な指示に目を瞬かせつつも、マリーは取り出しかけていた短剣を影に仕舞って、両手を体の前に揃えた。



「し、失礼致しました」



「調べたところ、あの短剣には、いくつかスキルが宿っている――」 


 

 バツが悪そうに赤面するマリーをよそに、アルギスは記憶を掘り起こしながら、ポツポツと説明を始める。


 というのも、公都の冒険ギルドで魔族から奪った”魂縛の短剣”は、拘束を解除するまで相手の動きを止める事ができた。


 さらに、魔力を込めることで、ごく短い間ではあるものの拘束した相手の魔術を使用不可にするスキルまでもが付与されていたのだ。



「それほどの……」 

 


「もし、なにか問題が起きたら迷わず使え」



 短剣の詳細に言葉を失うマリーに対し、アルギスはこともなげに追加の指示を出す。


 しかし、沈痛な面持ちを浮かべたマリーは、アルギスの顔色を伺いながら、恐る恐る口を開いた。



「ですが、それならば、やはり私よりも……」 



「この計画におけるお前の役割は、それだけ重要なんだ。私が持つより、ずっと意味がある」 



 食い下がろうとするマリーの声を遮ると、アルギスは物々しい口ぶりで、きっぱりと言い切る。


 またとない期待を寄せるアルギスに、マリーは胸を熱くしながら、すかさず頭を下げた。



「承知致しました……!」



「だが、決して無茶な真似だけはするな。いいか?これは、命令だぞ」 

 


 気勢を上げるマリーに安堵の息をつきながらも、アルギスは目つきを鋭くして釘を刺す。


 一方、頭を下げ続けていたマリーは、緩みかけた表情を引き締めながら、胸中へ重くのしかかっていた不安を払い除けた。


 

「しかと心得ました。お任せ下さい」



(……目の届かないところで無茶をされるのは、もう御免だ)



 鼻息荒く意気込むマリーに対し、アルギスは苦い経験を思い出しながら、不快げに顔を顰める。


 しかし、持っていたマスクで口元を覆うと、フッと肩の力を抜いて、正面を向き直った。



「それと言い忘れていたが、あれの切れ味はナマクラだ。戦闘には別の物を使え」 



「かしこまりました。そのようにいたします」

 


 既に覚悟を決めた様子のマリーが、ゆっくりと顔を上げる中。


 足元のケースを持ち上げたアルギスは、神妙な面持ちで壁の魔道具を見つめた。



「じき刻限だが……もう、問題はないな?」



「はい……!」


 

 穏やかな口調で念を押すアルギスに、マリーは微笑みを湛えながら、高らかに答える。


 程なく、揃ってローブへ身を包むと、2人は一足違いに宿の部屋を出ていくのだった。




 ちらほらと人の姿を見かける娯楽街を歩き出して2時間余りが経った頃。


 街を囲む防壁のほど近くへと足を運んだアルギスは、所々街灯の消えた薄暗い通りをキョロキョロと見回していた。


 

(この辺りの、はずだが……)



 狭い十字路へ差し掛かったアルギスが、通りの中央で足を止めてしばらく。


 角にある葉っぱの看板がかけられた店の裏口から、剣呑な雰囲気を纏う大柄な男たちが、ぞろぞろと姿を現した。



「よう兄ちゃん、こんな時間に1人でどうした?道にでも迷ったか?」



 若い男たちが肩を怒らせて周囲を警戒する一方。


 1人前に進み出た坊主頭の男は、くわえた煙草の煙をくゆらせながら、軽い足取りでアルギスへと近づいていく。

 

 そのまま目の前までやってきた坊主頭の男に、アルギスは短く息を吐き出して、首を振り返した。


 

「いや、少々家の茶葉を切らしてしまってね」


 

「……悪いが、見ての通り今は閉店中だ。また明日来てくれや」 



 見当外れなアルギスの返答に片眉を上げると、男は長くなった煙草の灰を落として、背後の店を指さす。


 しかし、戸が閉じられた店に顔を向けたアルギスは、困ったとばかりに眉根を寄せながら、手にしていたケースを持ち上げた。


 

「ふむ。既に”茶菓子”を用意してしまったんだが……」



「なんだと……?」


 

 錠前のかけられた黒い金属製のケースに、男は一転して表情を険しくして、ズイと顔を近づける。


 ケースを見つめる男に口元を吊り上げると、アルギスは鈍く輝く側面を撫でながら、言葉を続けた


 

「それなりに苦労して手に入れたものだ。せっかくなら”香り高い一服”と共に楽しみたいだろう?」


 

「……おい」


 

 わざとらしいアルギスの返答にケースから目を離した男は、背後を振り返って、若い男たちへ目配せをする。

 

 男の変わりように顔を見合わせつつも、若い男たちは軽く頭を下げて、すごすごと店へ戻っていった。



(どうやら、上手くいったようだな)


 

 若い男たちが裏口へ入った事を確認すると、アルギスはマスクの下でこっそりと息をつく。


 一方、短くなった煙草を指先で揉み消した男は、辺りを見渡しながら、店へと足を向け直した。


 

「ついてきな。案内してやる」 



「それは助かる」 



 肩で風を切って歩き出す男に、アルギスは気楽な言葉を返して、後を追いかけていく。


 しかし、程なく裏口の奥へ足を踏み入れると、屯する若い男たちから向けられた視線に眉を顰めた。



(……やはり、ただの茶店というわけでは無さそうだ)



 隅に小さな丸机の置かれた室内には、瓶詰めされた茶葉の棚と並んで、所々に長剣や槍が立てかけられている。

 

 異様な光景にアルギスが目を細める中。


 前を歩く男は、訝しむ若い男たちの間を抜けて、地下の倉庫へと繋がる階段を降りていった。



「こっちだ」



「……ああ」 


 

 壁際に積まれた麻袋と金属製の箱に気を引かれつつも、アルギスは男に続いて、奥の通路へと向かっていく。


 それから、縦に並んだ2人が、曲がりくねった石造りの通路を無言で歩くこと10分あまり。


 曲がり角の手前で足を止めた男は、後ろを振り向いて、通路を見回すアルギスを睨みつけた。



「店の裏側ってのは、あんまりジロジロと見るもんじゃあないぜ?」



「固いことを言わなくてもいいじゃないか。ただ歩くだけというもの、退屈だろう?」



 低い声で脅しつける男に対し、アルギスは小首を傾げながら、なおも周囲に視線を彷徨わせる。


 場違いなアルギスの態度に目を丸くしながらも、男は頭を掻いて、早々に前を向き直った。



「退屈ねぇ……」



「それとも、お話でもしてくれるのかな?」



 気の抜けた男の呟きにクツクツと喉を鳴らしたアルギスは、おどけた口調で質問を重ねる。


 軽口を叩くアルギスを背に、男は振り返ることなく、曲がり角の奥を覗き込んだ。

 


「生憎、俺はおしゃべりが嫌いでね。他を当たってくれ」



「おや、フラれてしまったか。残念だ」 



 突き放すような返事と共に男が前を歩き出すと、アルギスは白々しく肩を落として、後を追いかける。


 しかし、角を曲がってすぐに再び足を止めた男は、胸元のポケットへ手を入れながら、脇の扉へ顎をしゃくった。



「なに、心配することはねぇよ。代わりのお相手は、すぐ見つかる」



「ほう?着いたのか」



 男が次々と服のポケットをまさぐる傍ら、アルギスは通路の壁と一体化するような灰色の扉へと体を向ける。


 躊躇なく扉へ手をかけるアルギスに肩を竦めると、男は新たに取り出した煙草を唇へ貼り付けながら、くるりと踵を返した。


 

「……どうぞ、ごゆっくり」



(さて、交渉相手は、どんな奴かな?) 

 


 遠ざかっていく男の足音をよそに、アルギスは薄笑いを浮かべながら、軽い木製の扉を押し開ける。


 そのままアルギスが足を進めた部屋の中では、包帯とローブで顔を隠した男が、テーブルへと足を乗せながら、ソファーに腰を下ろしていた。


 

「――さんざっぱら待たされて、来たのは人族のガキが一人とは。……こりゃ、野郎には報告しないほうがいいかもな」 


 

 ふらりと現れたアルギスの姿に天を仰ぐと、ラゼンはローブを深く被り直しながら、背中を丸めて項垂れる。



「短い間だが、是非ともよろしく頼むよ」 


 

 不満げな様子でラゼンが左右へ首を振る一方。


 明るい声を上げたアルギスは、持っていたケースを足元へ置いて、向かいの席へ腰掛けるのだった。

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