50話
クスタマージョへとやってきた翌日の朝。
領主館の裏庭へ配置された鍛錬場では、ブラッドとバルドフが互いの武器を手に向かい合っていた。
また、中央囲むように丸くせり上がった土壁の奥からは、多くの騎士たちが2人の様子を興味深げに眺めている。
次第にピリピリとした緊張感が走りだす中、周りを見回したブラッドが、小さく口を開いた。
「呼ばれたから来たが、こりゃ一体どういう状況だ?」
「お前のお陰で、探していた騎士たちが出頭したというからな。礼に、指導の場を用意した」
ぽかんとした顔で頭を掻くブラッドに対し、バルドフは持っていた大剣を地面に突き刺して、満足げな笑みを浮かべた。
しかし、上機嫌なバルドフの言葉を聞いたブラッドは、半目になりながら、口をへの字に曲げた。
「礼が、指導?」
「そうだ、有り難く思え。お前の目に余る態度を矯正してやる」
一度ぐるりと周囲を見回すと、バルドフは目を細めながら、拳の骨を鳴らす。
剣呑な雰囲気を醸し出すバルドフに、ブラッドは大剣を肩へ担ぎながら、ため息をついた。
「待てよ。俺は、大将に言われて……」
「その、呼び名もだ。アルギス様への礼儀も教えなければならん」
言い募る声を遮ったバルドフは、眉間に皺を寄せながら、戸惑うブラッドに指先を向ける。
静かな怒りを滲ませるバルドフに気圧されつつも、ブラッドは片眉を上げながら、大剣の切っ先を突きつけた。
「言っとくが、前のようには、いかねぇぞ?」
「……断りもなく、己に剣を向けるか。覚悟は、出来ているんだろうな?」
差し向けられた大剣に一度目を落とすと、バルドフは鬼の形相でブラッドを睨みつける。
ゆっくりと突き刺していた大剣へ手をかけるバルドフに、ブラッドは口元を吊り上げながら、切っ先を近づけた。
「ああ、いつでも」
無遠慮なブラッドの態度に周囲の騎士たちが青い顔で息を呑む中。
大剣を引き抜いたバルドフは、体を魔力で包みながらも、落ち着き払った態度で僅かに腰を曲げた。
「先に謝っておこう。手足を斬り落としてしまったら悪いからな」
「……問題ねぇ」
皮肉げな笑みと共に大剣を構えるバルドフに対し、ブラッドもまた、鼻息を粗くしながら全身を魔力で包み込む。
程なく、バルドフが目配せをした騎士が笛を吹き鳴らすと、2人の大剣はギャリギャリと音を立ててぶつかりあった。
「ラ”ァ!」
「剣術も、未熟か」
真っ直ぐに向かってくるブラッドの攻撃をいなしたバルドフは、くるりと手首を返して、続けざまに斬り上げる。
風を斬りながら二の腕へと迫る刃に、ブラッドは剣先を引きずりながら、苦々しい表情で後ろへ飛び退いた。
「チッ!」
「……”燃えろ”」
舌打ち交じりにブラッドが再び斬りかかろうとした直後、バルドフは漆黒の炎が揺らめく大剣を横薙ぎに振り払う。
しかし、空中へ広がる黒炎を見たブラッドは、青筋を浮かべながら、前に突き進んだ。
「この俺相手に、炎だと!?」
「――それは、ついでだ」
躊躇なく飛びかかってくるブラッドに対し、バルドフは待っていたとばかりに、黒炎に包まれた大剣の切っ先を突き立てる。
肩口へ襲いかかるバルドフの一撃を、ブラッドもまた、剣身へ炎を纏わせながら跳ね除けた。
「お返しだ!」
「む!?」
上から振り下ろされたブラッドの大剣を受け流しつつも、バルドフは炎の消えていく自らの剣に目を見開く。
思わぬ接戦に騎士たちから歓声が上がる中。
一瞬視線を交わした2人は、互いに目つきを鋭くしながら、後ろへ飛び退いた。
「仕切り直しだぜ、クソッタレ」
燃え盛る炎を全身へ広げると、ブラッドは腰を低くしながら、担いでいた大剣を下段に構える。
すぐにでも飛びかからんとするブラッドに対し、バルドフは直立のまま、剣の腹を撫でて再び黒い炎を纏わせた。
「妙な、スキルを使うな……」
「ああ、生まれつきだ!」
唸るような叫びを上げたブラッドは、バルドフが構え直すのも待たず、乱暴に大剣を振り上げる。
直情的な攻撃に眉根を寄せると、バルドフは勢いよく攻めかかるブラッドの大剣に、振り下ろした自らの剣を交差させた。
「これで、真剣に鍛錬を積んでいれば……惜しいな」
「うるせぇ!」
重々しい呟きを漏らすバルドフに、ブラッドは奥歯を噛み締めながら、一度後ろへ振った頭を突き出す。
しかし、すかさず体を半身にしたバルドフは、横をすり抜けるように、難なくブラッドの頭突きを躱した。
「稚拙だ」
「なんだと!?」
再び炎の消えたバルドフの剣からフッと力が抜けると、ブラッドは剣身を跳ね上げながら、勢い余ってつんのめる。
慌てて後ろを振り返るブラッドへ、バルドフは呆れ交じりの表情で大剣を振り下ろした。
「冒険者の戦い方くらい、心得ている」
「チッ!」
あくまで余裕を崩さないバルドフに苛立ちを募らせつつも、ブラッドは倒れ込むように地面を転がりながら距離を取る。
一方、剣先を地面に突き刺したバルドフは、引き抜くことなく、ブラッド目がけて足を振り上げた。
「全ての動きが甘い」
「ぐぅ!」
腹部へと突き刺さるバルドフの蹴りに、ブラッドはくぐもった声を上げながら、弾き飛ばされる。
程なく、引き抜いた大剣を肩に担ぐと、バルドフは片膝を突くブラッドを見下ろしながら、クイクイと指を折り曲げた。
「立て。指導は、まだ始まったばかりだぞ」
「上等だ、この野郎……」
大剣を杖に立ち上がったブラッドは、目を血走らせながら、バルドフと向かい合う。
徐々に騒がしくなる周囲の騎士たちをよそに、2人の戦いは激しさを増しながら続いていくのだった。
◇
時は遡り、ブラッドが鍛錬場へと足を踏み入れた頃。
領主館に用意された貴賓室では、ソファーへもたれ掛かったレイチェルが、ぼんやりと天井を見上げていた。
(退屈ね……)
1日近く何もするのこと無い状況に、レイチェルは漏れかけた欠伸を噛み殺す。
しかし、ややあって、背もたれから体を起こすと、侍女の控える背後を振り返った。
「まだ、外出は許可されないの?」
「はい。そのようなご報告は受けておりません」
ピンと背筋を伸ばした侍女は、顔を見上げるレイチェルへ、恭しく腰を折り曲げる。
にべもない侍女の返答に肩を落としつつも、レイチェルは肘掛けへ手をついて、ソファーから立ち上がった。
「でも、これでは息が詰まってしまうわ」
「でしたら、お散歩へ向かわれては如何でしょう?」
うんざりとした表情で首を振るレイチェルに、侍女はドレスの皺を整えながら、明るい口調で尋ねかける。
しかし、思ってもいない提案に動きを止めたレイチェルは、目をパチクリさせながら、脇で両膝を突く侍女の顔を見下ろした。
「……いいの?」
「はい。敷地内であれば問題ないと仰せつかっております」
レイチェルが不思議そうな顔で首を傾げる傍ら、侍女はすっくと立ち上がって、微笑みを湛える。
体の前で手を合わせて返事を待つ侍女に、レイチェルは逸る気持ちを押さえながら、頷きを返した。
「じゃあ、早速行きましょう」
「かしこまりました」
出口へ足を向けたレイチェルが歩き出すと、侍女もまた、しずしずと頭を下げて後を追いかけていく。
程なく、貴賓室を出た2人は、前後を入れ替えて、脇へ彫像だけが並ぶ無人の廊下を進んでいった。
(はぁ……やっと、外の空気が吸えるわ)
迷いなく足を進める侍女に、レイチェルはこっそりと息をつきながら、続いていく。
それから、縦に並んだ2人が静まり返った廊下を進むこと暫く。
幅の広い階段の前までやってきた侍女は、周囲を見回しながら、レイチェルに先立って踊り場へ向かっていった。
「どうぞ、お下がり下さい」
「ええ」
やがて、足を止めた侍女が踊り場の脇へ控えると、レイチェルは手すりへ手を掛けながら、階段を降り始める。
「足元へ、お気をつけて……」
踊り場の脇へ避けた侍女が、レイチェルを見上げて口を開きかけた時。
開かれた窓の外から、2人の耳に微かな歓声が聞こえてきた。
「今の、声は……?」
「裏からのようですね……」
声の聞こえた方向へ顔を向けると、侍女は訝しげな表情で首を捻る。
じっと窓の外を見つめだす侍女をよそに、レイチェルは足早に踊り場へと降りて、前を通り抜けていった。
「行ってみましょう」
「お嬢様。お待ち下さい」
慌てて窓から目を逸らした侍女は、前のめりになったレイチェルを呼び止める。
そして、1人そそくさと階段を降りると、数段先で足を止めて、後ろを振り返った。
「私が、先を行きます」
「……そうね」
ゆったりとした速度で先導する侍女に焦れつつも、レイチェルは後を追って1階へと足を進める。
やがて、1階の廊下を歩き出した2人は、無言で領主館裏の出口へと向かっていった。
(あれほど、何に盛り上がっていたのかしら)
暫くして侍女の共に領主館の外へ出ると、レイチェルは気持ちを浮つかせながら、アーチのかかった裏庭の通路を進んでいく。
そして、彫刻から水の噴き出す出す泉と、風にそよぐ花壇を尻目に、10分あまりも歩く頃。
通路を抜けた先では、時折小さく聞こえていた歓声が、確かに近づいていた。
「……騎士館からのようですが、本当に向かわれるのですか?」
騎士館と繋がる石畳を前に、侍女は後ろを向き直って、レイチェルへ暗に制止の声を掛ける。
しかし、騎士館を見据えたレイチェルは、気にした様子もなく、戸惑いを滲ませる侍女へ微笑み返した。
「ええ」
「……かしこまりました」
折れる様子のないレイチェルに肩を落としつつも、侍女は頭を下げて、再び前を歩き出す。
しばしの後。
対照的な表情で騎士館に足を踏み入れると、2人はがらんとしたエントランスを抜けて、2階へと階段を登っていった。
(ここで、一体なにが……)
騒々しい歓声の響く回廊までやってきたレイチェルは、浮足立ちながら、階下の鍛錬場を覗き込む。
すると、目に飛び込んできたのは、数多の騎士に囲まれた中心でぶつかり合うブラッドとバルドフの姿だった。
「――くそ!」
「休んでいる暇などないぞ!」
跳ねるように後ろへ飛び退くブラッドを、バルドフは大剣を突き立てながら、容赦なく追い詰めていく。
予想以上に剣呑な光景と沸き上がる歓声に、レイチェルは目を見開いたまま固まった。
「これは……」
「あまり、ご覧にならない方が……」
呻くような声を上げるレイチェルへ、侍女は腰を屈めながら、おずおずと声を掛ける。
しかし、侍女の制止も虚しく、レイチェルの見据えた先では、ブラッドとバルドフの戦いがますます激しさを増していった。
「――それで、終わりか!?」
足元へブラッドを転がしたバルドフは、肩で息をしながら、大剣を差し向ける。
あからさまなバルドフの挑発に、ブラッドは地面へついた手を握りしめながら、立ち上がった。
「まだだ……!」
――いいぞ!その意気だ!――
取り落とした大剣を拾い上げるブラッドに騎士たちの間から激励の叫びが飛び出す中。
回廊の手すりへ寄りかかったレイチェルは、息もつかず再び斬り結びだす2人へ、じっと目を落とした。
(……あれほど動けたら、楽しいでしょうね)
「如何、されましたか?」
2人へ羨望の目線を向けるレイチェルに対し、侍女は沸き上がる歓声に身をすくめながら、横を振り向く。
怯え交じりの声にハッと我に返ると、レイチェルは鍛錬場から目を逸らして、出口へと歩き出した。
「何でもないわ。歓声の理由もわかったのだし、そろそろ出ましょう」
「はい。かしこまりました」
熾烈な戦いに顔を青ざめさせつつも、侍女は安堵の表情を浮かべながら、レイチェルの後ろへ付き従う。
程なく、回廊を後にした2人は、未だ響き渡る歓声をよそに、騎士館のエントランスへと向かっていくのだった。
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