49話

 アルギスとマリーの2人がミダスで取引の日を待っていた頃。


 貴族派の連合軍に遅れてクスタマージョへとやってきた一団は、厳重な警備を抜け、街の中へと足を踏み入れていた。


 

(着いた、のだけれど……)



 しかし、窓の外を眺めるレイチェルの表情は晴れない。


 というのも、領主館へ向けて馬車が進む通りには、周囲を囲む騎士たち以外、一切の人影が見えないのだ。


 

「なんだ?この街、誰も住んでねぇのか?」


 

 気配すら感じない無人の通りに、ブラッドもまた、不思議そうな顔で窓の奥を覗き込む。


 2人が揃って外の景色へ目を向ける中、シグナは前を見据えたまま、首を横に振った。

 


「いえ、そんなはずはありません。きっと家の中にでも隠れているのでしょう」

 


(……それにしても、1人も姿を見せないなんて)


 

 シグナの言葉に半ば納得しつつも、レイチェルは並び立つ家屋へ、まじまじと目線を送る。


 一方、窓から顔を離したブラッドは、考える間もなく腰を浮かせて、身を横に滑らせた。

 


「ちょっくら、様子でも見てくるか?」 


 

「また、貴方は……」


 

 護衛の動きを伺うブラッドに、シグナはうんざりとした表情で肩を怒らせる。


 しかし、シグナの隣に座るレイチェルは、涼しい顔でブラッドへ手を払った。



「いいわ。街を見ていらっしゃい」



「お!いいのか!?」


 

 投げやりなレイチェルの指示に顔を輝かせると、ブラッドは早々に扉へ手を掛ける。


 どこか楽しげなブラッドに呆れながらも、レイチェルは迷わずコクリと頷いた



「ええ、ただし、領主館には暫く立ち寄らないで頂戴」



「そりゃ困る。今回ばかりは、俺もそっちへ行くぜ」



 冷たい口調で言い放たれたレイチェルの指示を、ブラッドは頭を掻きながら、事もなげに跳ね除ける。


 チラチラと窓の外を見やるブラッドに、スッと目を細めたレイチェルは、小首を傾げながら再び口を開いた。

 


「私の指示が、聞けないと?」



「いや、先に大将から言われてんだよ。この街にいる間は、なるべく離れんなって」



 困ったように背中を丸めると、ブラッドは決まりの悪い表情で、レイチェルへ目線を戻す。


 分かるだろと言わんばかりの態度に、レイチェルは身を縮こまらせて、ブラッドから顔を逸らした。

 


「そ、そう……」



「ま、そういうわけだ。少ししたら戻って来る」 



 気楽な言葉を最後に扉を開けたブラッドは、前後を見やって、動き続ける馬車から飛び降りる。


 程なく、ブラッドが護衛の騎士たちの奥へ消えていく中、シグナは険しい表情で、僅かに乱れた隊列を見やった。

 


「まったく、指示も聞かずに……」



「……まあ、気にすることもないでしょう」



 苛立ちを滲ませるシグナに対し、レイチェルは落ち着き払った態度のまま、目を瞑って到着を待つ。



 それから1時間余りが経ち、一団が領主館の前へ辿り着く頃。


 門扉の手前で動きを止めた馬車の中へ、コツコツと扉を叩く音が響いた。



「――伝令であります」 


 

「どうした?」



 扉を開けたシグナが声を上げると同時。


 外で返事を待っていた伝令の騎士は、地面に片膝をつきながら、顔を伏せた。


 

「領主館の警備から、隊長にお話があるとのことです」



「ソーンダイク家の守衛風情が、私に?」


 

 不可解な伝令に、シグナは眉を顰めながら、地面を見つめる騎士へ胡乱な目を向ける。


 刺すような視線に身を固くしつつも、騎士は額に汗を滲ませながら、首を横へ振った。



「いえ、それが、どうにも領主館の警備にはエンドワース家があたっているようで……」 



「なに……?」 


 

 騎士の返答に目つきを鋭くすると、シグナは馬車から顔を出して、開け放たれた門扉の様子を覗き込む。


 はたと押し黙るシグナに対し、騎士は一層深く頭を下げながら、小さく口を開いた。



「”無理強いはしないが、是非に”と」 


 

「……向かおう」



 しばしの逡巡の後、一度姿勢を正したシグナは、レイチェルへ頭を下げて、馬車から降りていく。


 やがて、シグナと騎士の姿が見えなくなると、馬車は護衛と共に、ゆっくりと領主館の敷地へ入っていった。



(この街で、一体なにが……) 



 周囲を囲んでいた騎士たちが馬車の後方へと向かう中。


 1人残されたレイチェルは、判然としない状況に頭を悩ませながら、馬車へ揺られていくのだった。





 一方、その頃、領主館から離れた街の外周部では。


 吹き抜ける風にコートを揺らすブラッドが、雨戸の閉じられた家屋が並ぶ通りをフラフラとうろいていた。


 

「やっぱりだ。誰一人、街を歩いちゃいねぇ」 



 しんと静まり返った街の様子に首を捻りつつも、ブラッドは辺りを見回しながら進んでいく。


 しかし、途中隙間の開いた雨戸を見つけると、中から街の様子を覗く中年の女に駆け足で近寄っていった。


 

「なあ!アンタ!」

 


「っ!」



 大きな声を上げるブラッドに息を呑んだ女は、慌ただしく雨戸へ手を掛ける。


 ブラッドが笑顔で手を振りながら近づいていく一方、雨戸はピシャリと音を立てて閉め切られた。


 

「……なんだよ」



 邪険な女の態度に肩透かしをくらいながらも、ブラッドは再び通りへと戻っていく。


 やがて、防壁のすぐ手前までやってくると、狭くなった通りの端で、不意に足を止めた。



(しっかし、ここは妙に小綺麗な街だな。普通、この辺りにもっと汚ねぇところが……) 

 


「――貴様、エンドワース家だな?」



 薄暗い路地を覗き込んだブラッドが奥へ足を踏み入れようとした時。


 威圧的な男の声と共に複数の足音が背後から聞こえてくる。



 顔をヘルムで隠す鎧姿の男たちが剣を手に周囲を取り囲む中、ブラッドは怪訝な顔で後ろを振り返った。



「あん?なんだ、お前ら?」



「1人で街をうろつくとは、いい度胸だ」 



 忙しなく辺りを見回すブラッドに、男は全身を魔力の風で包み込みながら、剣を抜き放つ。


 一方、ゴキゴキと拳を鳴らしたブラッドは、満面の笑みを浮かべて手招きをした。



「やっと、話を聞けそうなのが出てきたな」



「悪いが、一緒に来てもらうぞ……!」 


 

 引き抜いた剣の切っ先にまで風が達するが早いか、男は険しい表情でブラッドへ斬りかかる。


 太もも目がけて振り抜かれた剣に、ブラッドは魔力を纏いながら、慌てて手を伸ばした。



「おっと、この上着だけは勘弁してくれ。汚すと怒られんだ」



 ブラッドに握りしめられた剣は、吹き荒ぶ風の中で、煌々と輝きながら次第に形を失っていく。


 たちまちコートにまで炎を広げるブラッドに目を剥くと、男はすかさず剣を捨てて飛び退いた。

 


「炎だと!?」


 

「さて、どいつから話を聞こうかな」



 明らかな動揺を見せる男たちの顔を、ブラッドは獰猛な笑みを浮かべて一人ひとり指さしていく。


 メラメラと陽炎を立てながら近づいてくるブラッドに、男たちは顔を青くして、後ずさった。



「コイツはエンドワース家じゃない!逃げろ!」



「逃がすと思うか?」



 一転して男たちが身を翻すと同時、ブラッドは地面を砕きながら、後を追いかける。


 次の瞬間、脇腹を殴りつけられた男は、金属音を響かせて、通りを転がっていった。



「がッ!」



「次だ!」 



 家屋の壁へぶつかって動きを止める男をよそに、ブラッドは速度を上げて、残る男たちを追っていく。


 程なく、ブラッドがピタリと背後へ張り付くと、1人が足を止めて、振り返りざまに剣を差し向けた。


 

「来るな……!」 



「嫌だね」



 逃げ去る他の男達に顔を顰めつつも、ブラッドは立ち止まって、1人残った男を足払いで引き倒す。


 そのまま踏みつけにされた男の鎧は、みるみる間に、全体へ染み渡るように赤熱し始めた。


 

「あ”、ア”ア”ァ”ァ”ァ”」 



「隠れてんのはわかってんだ!さっさと出てこねぇと、この辺り一帯を燃やすぞ!」



 体を焦がす熱に男が苦悶の叫びを上げる一方、ブラッドは燃え盛る炎を振り撒きながら怒鳴り散らす。


 すると直後、逃げ去っていた男たちが、一斉に路地の奥から飛び出してきた。



「ま、待て!そいつを離してくれ!」 



「やっと出てきたか。この間抜け野郎どもが」



 踏みつけてられた仲間へ駆け寄る男に、ブラッドは体に纏っていた炎を消して、一気に距離を詰める。


 そして、顔を覆っていたヘルムのバイザーを叩き上げると、握り潰さんばかりの力で顎を掴んだ。



「な!?」 


 

「この街で、何が起きているのか教えやがれ」



「て、手を、離せ!」 



 ギリギリと締め上げられた男は、ブラッドの腕を両手で掴んで、どうにか引き離そうとする。


 真っ赤な顔で暴れる男に対し、ブラッドは青筋を立てながら顎を握る力を強めた。

 


「話さねぇなら、この口はいらねぇな」



「わ、わかった!話す。だから、止めてくれ……!」


 

 骨が軋みを上げ始めると、男はブラッドの腕から手を離して、だらりと横に垂らす。


 抵抗が無くなったことに口角を上げたブラッドは、顎から手を離して、鎧の胴を殴りつけた。


 

「最初っから、そう言えばいいんだ」



「ぐっ!」



 突然の衝撃に片膝をつきつつも、男は仲間に支えられて、体勢を持ち直す。


 ヨロヨロと立ち上がる男に対し、ブラッドは腕を組みながら、顎をしゃくり上げた。


 

「さあ、話しな」



「……発端は、数日前のことだ――」 


 

 しばしの逡巡の後、小さく息をついた男は、怒りに身を震わせながら話し出す。


 なんでも、騎士を連れたヴィクターが遠征へ向かって暫くが過ぎた頃、貴族派の連合軍がクスタマージョへ押し寄せた。


 そして、話を聞こうとする男たちを無視して、力ずくで街の全権を掌握していったというのだ。


 

「なるほどな。じゃ、今はお前らが賊ってぇわけか」



 ややあって、話を聞き終えたブラッドは、納得とばかりにポンと手を打つ。


 スッキリした顔で頷くブラッドに対し、男たちは一様に奥歯を噛み締めながら俯いた。

 


「……違う!我々は正当な任務を受けた騎士だ!」



「任務?なんだ、そりゃ」



 堪えきれずに声を張り上げる男へ、ブラッドは目を丸くして尋ねかける。


 キョトンとしたブラッドが首を傾げる一方、男たちは背筋を伸ばしながら胸を張った。

 


「ご当主様がご帰還されるまでに、この街を奪還せねばならん」


 

「そのために、残った我々だけでも……!」

 

 

「おいおい、そりゃ命と時間の無駄遣いだぜ?」


 

 一転して気勢を上げる男たちに、ブラッドは忠告じみた言葉を投げかける。


 しかし、揃って眦を吊り上げた男たちは、おどけ交じりに肩を竦めるブラッドをギロリと睨めつけた。

 


「貴様……!」



「そう怒んなって。別に、無理に留め立てしたいわけじゃねぇ」



 気色ばむ男たちに苦笑すると、ブラッドは小さく両手を挙げながら、後ろへ引き下がる。


 先程までの勢いが嘘のように気安いブラッドの態度に、男たちは驚きと戸惑いを綯い交ぜにして頭を捻った。


 

「……なにも、しないのか?」



「俺は、ただ話を聞きたかっただけだ。後は好きにしろよ」 



 訝しげな声を上げる男に背を向けたブラッドは、ヒラヒラと手を振りながら、軽い足取りで通りを歩き出す。


 やがて、1人静まり返った狭い通りを抜けると、真っ直ぐに領主館へと向かっていくのだった。

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