48話
檻へ捕らえられた者たちが、次々と落札されていく中。
アルギスとウェルギリウスの2人が揃って口を噤む室内には、熱のこもった司会の煽り文句だけが響いていた。
「……なぜ、あんなモノが出品されている」
程なく、落札を宣言される”ハーフエルフ”に唸るような声を漏らすと、アルギスは嫌悪感の表情で奥歯を噛みしめる。
1人苛立ちを募らせるアルギスを背に、ウェルギリウスは入札の機材へ手を置いたまま、運び出される鉄の檻へ流し目を向けた。
「彼らがここへ来る理由は様々ですよ。借金返済のための身売り、不法行為の代償、領地からの逃亡……それに連れ去られたものまで」
「それが、許されるというのか?」
酷薄なウェルギリウスの返答に顔を歪めつつも、アルギスは再び切り替わり始めた掲示板の表示へ視線を向ける。
一方、オークションの様子から目を逸したウェルギリウスは、くるりと後ろを振り返って、アルギスの座るソファーへ近づいていった。
「ええ。この国で意味を持つのは、過去ではなく”現在の価値”のみですから」
「……好きには、なれそうもない国だ」
相も変わらず淡々とした口調で言葉を続けるウェルギリウスに対し、アルギスは忌々しげな呟きと共に固く瞼を閉じる。
しかし、ややあって大きく息を吐き出すと、胸中へ渦巻く不快感を抑え込みながら、ゆっくりと目を開けた。
(知った気になっていたが、やはり、この世界は自分の眼で見る必要がある)
ステージ上へ視線を戻したアルギスが決心を新たにする傍ら。
背もたれの後ろへ控えたウェルギリウスは、悲しげに表情を曇らせながら腰をかがめる。
「もう、出られますか?」
ボソリと耳元で囁くウェルギリウスに、アルギスは見向きもせず、軽く手を振り返した。
「いや。もう少し、見ていこう」
「かしこまりました。では、ご入札の際にお声がけ下さい」
決然としたアルギスの返事に背筋を伸ばすと、ウェルギリウスは小さく頭を下げて、壁際の機材へ戻っていく。
再び2人が口を閉ざした室内には、天井から流れる司会の明るい声だけが聞こえ始めた。
〈続きましては、こちらもハーフエルフ。年齢は未だ20を過ぎたばかりにも関わらず、文字の読み書きから――〉
流れるような司会の解説に、掲示板へ表示されていた金額は、絶え間なく吊り上がっていく。
やがて、僅かに入札の勢いが落ち始めると、ステージ上には手足へ枷を嵌めたハーフエルフが、見せつけるように檻から引きずり出された。
(……本命と、銘打つだけはある)
掲示板とステージを見比べていたアルギスは、”商品”の登場に勢いを持ち直した入札へ、不快げに鼻を鳴らす。
苛立ち交じりで冷たい目線を送るアルギスをよそに、掲示板の表示金額は開始額の6倍、7倍と膨れ上がっていった。
「いくらなんでも上がり過ぎだ……。一体、どんな奴が入札しているんだ?」
際限なく上がり続ける金額に首を捻ると、アルギスは横を振り向きながら、続けざまに質問を重ねる。
他方、アルギスの声に後ろを振り返ったウェルギリウスは、困ったように背中を丸めながら、掲示板の上部へ表示された番号を見つめた。
「本来、入札者の詮索は厳禁なのですが……。まあ、吊り上げているのは大方ルルカーニャでしょう」
「確かに娼婦の獲得には熱心だと言っていたが、限度というものがあるだろう」
どこか確信めいたウェルギリウスの回答を呑み込みつつも、アルギスは未だ上昇する入札金額に眉を顰める。
チラリと横目に掲示板を見やるアルギスに対し、ウェルギリウスはガラス窓へ体を向けて、オペラグラスを覗き込んだ。
「ハーフエルフは成人後、一生を通してほぼ見た目が変わりませんからねぇ。もしすると、良心的な価格とすら思えるのやも」
しばしの後、肩を竦めたウェルギリウスが、マントへオペラグラスを仕舞い込む中。
勢いを失くした掲示板の表示はピタリと動きを止め、へたり込んでいたハーフエルフは再び檻へと閉じ込められた。
〈――おめでとうございます!39番の方、3億3520万Fでの落札になります!〉
(……マリーを宿へ置いてきて正解だったな)
上機嫌な口調で落札を宣言する司会の声に、アルギスは眉間の皺を深めながら正面を向き直る。
しばらくして、ハーフエルフを閉じ込めた檻がステージ上から運び出されると、壁面の通路からは、すれ違うように新たな檻が運ばれてくるのだった。
◇
未だ陽は登らず、厚い雲が月を覆い隠す夜明け前。
会場を出たアルギスとウェルギリウスの姿は、既に娯楽街を抜ける馬車の中にあった。
「本当に、もう宜しかったので?」
黙り込んだまま外を眺めるアルギスの向かいで、ウェルギリウスは脇に置いたケースへ手を掛けながら身をかがめる。
不安げな声を上げるウェルギリウスに、アルギスは窓から目を逸らして、静かに頷きを返した。
「ああ。見たいものは、もう見られた」
「そうですか……」
けんもほろろの対応に肩を落としつつも、ウェルギリウスは噛みしめるように頷いて、後ろへ引き下がる。
一方、再び窓の外へ目を向けたアルギスは、流れていく景色を見回しながら、再燃しかけた不快感を胸の奥へと押し込んだ。
(……あんなところにずっと居ても、気が滅入るだけだ)
しんと静まり返る車内をよそに、馬車は速度を落とすことなく、幅の狭い通路を進んでいく。
やがて、馬車が開けた大通りへ入ると、アルギスはぼんやりと外を眺めていた視界の端に、程高い隔壁を捉えた。
「なあ、あの壁は何なんだ?」
「あちらはトゥエラルタ教の”聖属領域”との境となっております。滅多なことでは、奥へ立ち入らない方がいいでしょう」
遠くを見据えながら窓を覗き込むアルギスに対し、ウェルギリウスは目を伏せて首を横へ振る。
というのも、聖属領域とは、トゥエラルタ教が独立した統治権を持つ、教会の枢密区域なのだ。
伝え聞いた情報を思い返したアルギスは、ピクリと眉を上げて、正面を向き直った。
「なぜ、そんなものがこの国に?」
「フフ。この国は元々、東方トゥエラルタの布教拠点ですから」
戸惑いを見せるアルギスに笑みを零すと、ウェルギリウスは時折建物の影に隠れる隔壁を遠目に見つめる。
そのまま窓の外を眺め続けるウェルギリウスと入れ替わるように、アルギスは口元へ手を当てながら、目線を下向けた。
(……そんな話は聞いたことがないな)
記憶を思い返したアルギスが1人難しい顔で考え込む中。
2人の乗せた馬車は、ゆっくりと角を曲がって、華美な宿の立ち並ぶ通りへと向かっていった。
「それは……」
「――おや。着いてしまったようですね……」
しばらくして顔を上げたアルギスの問いかけを、向かいで外を眺めていたウェルギリウスの悲しげな声が掻き消す。
程なく、示し合わせたように動きを止める馬車に、アルギスは目を丸くしながら、窓の外を見回した。
「なに?もう、着いたのか?」
「ええ。時の流れというのは、いつも恐ろしく早いものです」
アルギスへ名残り惜しげな声を掛けると、ウェルギリウスは脇へ置いていたケースを手に、音もなく馬車の扉を開ける。
程なく、ウェルギリウスに遅れて馬車を降りたアルギスは、前へ聳える宿屋を横目に、未だ暗闇に包まれる夜空を見上げた。
(それほど、考え込んでいたとは……)
「では、こちらを」
眠たげにあくびを噛み殺すアルギスに、ウェルギリウスは幾重にも錠のかけられたケースを両手に抱え直して差し出す。
「……ああ、そうだったな」
穏やかなウェルギリウスの声で我に返ると、アルギスはケースの取っ手を掴みながら、黒く輝く硬貨を取り出した。
「いえいえ、それは受け取れませんよ」
しかし、フルフルと首を振ったウェルギリウスは、白金貨を持つアルギスの手にそっと握らせて、後ろへ引き下がる。
不要とばかりに手を下ろすウェルギリウスに対し、アルギスは黒金貨を差し出したまま、左右へ目線を彷徨わせた。
「しかし……」
「本日は、ご随行できただけで幸いでしたから。またお誘いくだされば、その際にはしかと受け取らせて頂きます」
アルギスが言い募ろうと口を開くが早いか、ウェルギリウスは大仰に胸へ手を当てながら、頭を下げて見せる。
芝居じみたウェルギリウスの態度にため息をつくと、アルギスは諦めたように白金貨をポケットへ仕舞い直した。
「……そうか。それなら、また機会があれば誘うとしよう」
「おお!そう仰って頂けるのなら!」
呆れ顔で宿へ足を向けるアルギスに対し、ウェルギリウスは背面へ魔方陣の刻まれた便箋を取り出しながら、満面の笑みで後を追いかける。
突如、上機嫌な声を上げるウェルギリウスに戸惑いつつも、アルギスは足を止めて、目の前へ差し出された便箋を受け取った。
「これは?」
「そちらの便箋は、魔力を込めることで小生の下へ届くようになっています」
早々に便箋から顔を上げたアルギスが首を傾げる傍ら、ウェルギリウスは魔術陣を指さしながら、声を弾ませる。
そして、不意に後ろへ引き下がると、再び仰々しい態度で頭を下げた。
「ご連絡頂ければ、即座に馳せ参じますので。是非」
「わかった。では、またいずれ」
ゆっくりと顔を上げるウェルギリウスを尻目に、アルギスは便箋を内ポケットへ仕舞い込みながら、煌々と照明の灯った宿へ足を進める。
一方、馬車の脇で立ち止まったウェルギリウスは、疲れの滲んだアルギスの背中を満足げな表情で見送った。
「それでは、小生はこれで失敬いたします」
別れの挨拶を最後にウェルギリウスが乗り込むと、馬車は程なくして、緩慢な動きで通りを進み出す。
徐々に遠ざかっていく馬車を背に、アルギスはアーチ状の門扉をくぐって、入口の扉へと向かっていった。
(はぁ……)
「――ようこそ、スレフトの館へ。お泊りでしょうか?」
ややあって、ため息をついたアルギスが扉を引き開けた直後。
ぼんやりとした蝋燭の光が照らす細長いロビーの奥から、凛と澄んだ女の声が聞こえてくる。
重厚なカウンターの置かれた受付では、目元を布で覆い隠した女が、左右へ首を振りながら立ち上がっていた。
「戻っただけだ。気にしないでくれ」
フラフラと顔の向きを変える女に挙げかけた手を下ろすと、アルギスは早々に薄暗いロビーを歩き出す。
そのまま真っ直ぐ受付奥の階段へと向かうアルギスに、女はカウンターへ手をついたまま、しずしずと頭を下げた。
(……今日は、少々疲れたな)
受付嬢の座ったカウンターの前を通り過ぎると、アルギスは首を左右へ捻りながら、重たい足取りで階段を登っていく。
それから、体を引きずるように2階の廊下を歩くこと数分。
脇に照明の灯された扉の前までやって来ると、物音も立てずに取っ手を引いて、部屋の中へ滑り込んだ。
「はぁ……」
「――お帰りなさいませ。アルギス様」
室内に背を向けたアルギスが扉を閉め直すと同時。
すぐ横の壁際に控えていたマリーが、微笑みを湛えながら、嬉しげな声を上げる。
しかし、弾かれたように横を振り向いたアルギスは、見慣れたメイド服に身を包むマリーの姿に顔を歪めた。
「起きて、いたのか?」
「は、はい。明朝には、お帰りなられるとのことでしたので……」
睨むようなアルギスの視線に狼狽えつつも、マリーは小さな声で言葉を返しながら、深々と腰を折る。
身じろぎ一つせずに返事を待つマリーに、アルギスはスッと真顔へ戻って、持っていたケースを突き出した。
「……それは、ご苦労。ついでに、これも仕舞っておけ」
「お預かりいたします」
おずおずと両手でケースを受け取ったマリーは、片膝をつきながら床に置き直して、影の中へと仕舞い込む。
しかし、なおも扉の前で足を止めたままのアルギスに気がつくと、落ち着かない様子で目を泳がせ始めた。
「え、えぇっと……」
「……お前は、公都や王都での暮らしに不満は無いのか?」
戸惑いながら顔色を伺うマリーに、アルギスは目を合わせることなく、低い声で問いかける。
一方、静かに床から立ち上がったマリーは、メイド服の胸元を握りしめて、大きく首を横に振った。
「そんなもの、あろうはずがありません。過ごした日々、その全てが、これ以上無いほどに満ち足りております」
「そう、か……。まあ、気が変わったら言え。話くらいは聞いてやる」
迷いのないマリーの返答に強張っていた表情を緩めると、アルギスは着ていた上着を脱ぎながら、浴室の扉へ足を向ける。
困惑するマリーをよそに、少しだけ足取りの軽くなったアルギスの姿は、扉の奥へと消えていくのだった。
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