35話

 ブラッドが酒場で宴会を楽しんでいた頃、小高い丘を背にしたデニレア子爵家の屋敷では。


 キラキラと陽の光を反射する白銀色の扉の前で、レイチェルが豪奢な衣装に身を纏う細身の青年と向かい合っていた。

 


「突然の訪問にも関わらず、快いご歓待。感謝いたしますわ」



 薄い笑みを湛えたレイチェルは、広がるドレスの裾を気にしながら、しずしずと頭を下げる。


 流れるような挨拶を見せるレイチェルに、青年は足を一歩前へ踏み出して、慇懃に腰を折り曲げた。


 

「このような辺鄙な地へご来訪くださったのです。当家としては至極当然のことかと」



「では、デニレア卿にご挨拶を差し上げても?」



 恭しい礼に目を細めつつも、レイチェルは奥に聳える扉を見据えて、小さく首を傾げる。


 一方、顔を上げようとしていた青年は、ピタリと動きを止めて、再度頭を下げ直した。


 

「……申し訳ございません。父オーランドは急用により現在席を外しております。代わって、私リチャードがご歓待を」



「あら、お忙しい時にお邪魔してしまったかしら?」



 こわごわと身を縮ませるリチャードに、レイチェルは眉尻を下げながら、辺りへ目線を彷徨わせる。


 しかし、不安げなレイチェルの声に顔を上げると、リチャードは神妙な面持ちで、そっと胸に手を当てた。


 

「いえ、ハートレス侯爵家を当屋敷にお招きできるなど、望外の幸運に他なりません」



「そう。なら、遠慮なく体を休めさせて頂くわ」



 ホッと安堵の息をついたレイチェルは、笑顔を取り戻して、扉の開かれた玄関ホールへと足を向ける。


 軽い足取りで歩き出すレイチェルに、リチャードは人の良い笑みを浮かべて、屋敷の中へ手を差し伸べた。


 

「はい。お部屋へご案内いたしますので、心ゆくまでお休み下さい」

 


(……やっと、ここまで来られたわね)


 

 前へ進み出たリチャードが屋敷を案内する中、レイチェルは後を追いながら、終わりの見え始めた旅路にため息をつく。


 

 それから廊下を進むこと十分余り、使用人を引き連れた2人が階段の前へ差し掛かった時。


 歩く速度を落としたリチャードが、難しい顔でレイチェルの隣へ並んだ。



「失礼ながら、質問をよろしいでしょうか」



「ええ。何かしら?」



「……本日は、どのようなご用向きでいらっしゃったかを、お教えいただければ。場合によっては、父に連絡を取らければなりませんので」



 すかさず微笑を取り繕うレイチェルに対し、リチャードはその場で足を止めて、重苦しい口調で口を開く。


 他方、リチャードの問いかけに眉を上げたレイチェルは、キョトンとした顔で首を横へ振った。



「別に、用なんてないわ。遠征の途中に立ち寄らせて頂いただけよ」



「そうですか……。お答えいただき、感謝いたします」



 素っ気ない言葉を返すレイチェルへ、リチャードは表情を強張らせたまま、ゆっくりと頭を下げる。


 しかし、程なく顔を上げたリチャードが伏し目がちに階段を登り始めると、レイチェルは眉を顰めながら、歩調を合わせた。



「まだ、なにか?」



「これは失礼しました。ただ、先触れにエンドワース家の騎士が帯同していたと聞き及んでおりますゆえ……」 



 冷ややかなレイチェルの声にバツの悪い表情を浮かべながらも、リチャードは釈然としない様子で、言葉を途切れさせる。


 息が詰まるような沈黙の中、レイチェルは誤魔化すように階段の壁へ掛けられた肖像画へと目線を滑らせた。



「……あれは、私が個人的に借り受けたもの。気にする必要はないわ」



「借り受けた?それは、ご当主様の計らいですか?」



 ややあって、躊躇いがちに口を開くレイチェルに対し、リチャードは質問を重ねながら、弾かれたように横を振り向く。


 目を眇めたリチャードが注意深く耳をそばだてる傍ら、レイチェルは後に続く使用人たちを一瞥して、艶然と微笑み返した。



「いいえ。アルギス・エンドワース様の、ご意向よ」


 

「……なるほど」



 屈託のない笑みを見せるレイチェルにピクリと頬を揺らすと、リチャードは返事も忘れて前を向き直る。


 以降、1人思案顔で前を歩くリチャードに、レイチェルは嫌な胸騒ぎを覚えながら、距離を詰めた。


 

「もう、よろしいかしら?」 



「っ!……はい。大変、失礼致しました」



「気にしないで頂戴」 

 


 ヒラヒラと手を振るレイチェルの言葉を最後に、口を噤んだ2人の間にはカツカツと階段を踏みしめる音だけが響き出す。


 やがて、長かった階段を登りきると、レイチェルは疲労を滲ませながら、こっそりと息を吐き出した。

 


(貴族派の領地でこの調子では、先が思いやられるわね……)



 レイチェルがこの後も続く道のりに頭を悩ませながら足を進める中。


 前を歩いていたリチャードは、背後の使用人へ目配せをしながら、廊下の半ば程で足を止めた。


 

「――お待たせ致しました」


 

 振り返ったリチャードが声を上げると同時、進み出た使用人たちが重厚な両開きの扉を開け放つ。


 扉を押さえたまま粛々と顔を伏せる使用人たちを尻目に、リチャードとレイチェルはきらびやかなシャンデリアの輝く客室へ足を踏み入れた。


 

「ご要望があれば、この者たちに何なりとお申し付けください」



 室内をぐるりと見渡したリチャードは、柔和な笑みと共に、壁際へ控える使用人たちに手を差し向ける。


 未だ胸中に不安を抱えつつも、レイチェルは心地の良い暖気に表情を和らげて、軽く一礼を返した。


 

「ええ。感謝いたします」

 


「いえ、晩餐まで是非ごゆるりとお寛ぎ頂ければ」



 口元を綻ばせるレイチェルに、リチャードは腰を折りながら、嬉々とした笑みを零す。


 しかし、はたと顔を上げると、使用人へ指示を出して、足早に部屋を去っていった。



(……やっぱり、あまりいい時期ではなかったのかしら) 



 気忙しいリチャードの態度を訝しみながらも、レイチェルは閉じられた扉から顔を逸して、部屋の中央へと向かっていく。


 ややあって、ソファーへ腰を下ろすとすぐに、目を閉じてパチパチと暖炉の薪が燃える音へ耳を傾けるのだった。



 

 ◇



 時を同じくして、公領の東端に隣接する”ライオネル伯爵領”では、数千を超える騎兵が一糸乱れぬ動きで進軍していた。


 所々で紋章の異なる旗を掲げた騎兵たちは、磨き上げられた鎧へ陽光を反射させ、土埃を上げながら平原を駆けていく。


 そして、轡を並べた騎兵が囲む馬車の一台には、バルドフと向かい合ったソウェイルドが険しい表情で腰を下ろしていた。


 

「……どの程度で着く?」



「この行軍速度であれば、2週間程度かと」


 

 頬杖をつきながら窓の外を見やるソウェイルドに、バルドフは背筋を伸ばして淡々と言葉を返す。


 一方、小さく舌打ちを零したソウェイルドは、不意に窓から顔を逸して、ギラついた目でバルドフを睨みつけた。



「指示は、済んでいるんだろうな?」



「万事、抜かりはございません。各指揮官へ既に通達済みです」



 射殺すような視線を一身に受けつつも、バルドフは胸を張ったまま、臆することなく首を縦に振る。


 闘志を滾らせるバルドフに対し、ソウェイルドは吊り上がる口元を覆いながら、視線を上向けた。



「ふむ……ならば、到着次第、制圧を開始するとも言い含めておけ」



「はっ!」



「失礼を承知で申し上げますが、大旦那様をお待ちにならないでよろしいのですか?」



 膝へ手をついたバルドフが深々と上体を倒す一方、ジャックは口元を撫でるソウェイルドへ、気遣わしげに囁きかける。


 しかし、気にした様子もなく手を払ったソウェイルドは、眉根を寄せるジャックへ胡乱な目を向けた。


 

「ああ、今回の会合にはいらっしゃらないそうだ。理由は……分からぬお前では無いだろう?」 



「差し出がましい真似を致しました。……いやはや、歳は取りたくないものです」



 言葉を濁すソウェイルドへ頭を下げると、ジャックは淋しげな呟きと共に肩を落とす。


 落ち込んだ様子で嘆息するジャックに、ソウェイルドは鷹揚に首を振って、皮肉げな笑みを浮かべた。


 

「弱気なことを言ってくれるな、ジャック。お前には、まだまだ働いてもらわねばならん」



「はい。なんなりと」



 すかさず姿勢を正したジャックの表情は、横柄な口調と裏腹の叱咤に穏やかさを取り戻す。


 一転して気負い立つジャックに肩を竦めつつも、ソウェイルドは小さく鼻を鳴らして、背もたれへ寄りかかった。


 

「差し当たっては、会場の設置と歓待の用意だ。問題ないな?」



「かしこまりました。委細、お任せ下さい」



 再び頬杖をついたソウェイルドが念を押すと、ジャックは喜色を湛えながら顔を伏せる。


 じっと指示を噛みしめるジャックをよそに、ソウェイルドはバルドフの隣で浅く腰を下ろす中年の男へ目線を向けた。



「……ベルナルト」



「はい」



 唐突に名を呼ばれたベルナルトは、緊張した面持ちで、伏し目がちに身を乗り出す。


 ベルナルトが固唾をのんで指示を待つ一方、ソウェイルドは眉間に皺を寄せながら、重々しい口調で口を開いた。

 


「顔を上げろ。今回は、お前も会合への同席を許可する」



「よ、よろしいのですか……?」



 思いもよらない指示の内容に目を見開くと、ベルナルトは恐る恐るソウェイルドの顔色を覗き込む。


 落ち着きなく冷や汗を流すベルナルトに対し、ソウェイルドは逸る気持ちを抑え込むように、固く瞼を閉じた。



「ああ、クスタマージョの統治にも関わることだ。身じろぎ一つせずに聞いていろ」



「かしこまりました」



 未だ額に汗を浮かべながらも、ベルナルトは唇を引き結んで、膝へつかんばかりに頭を下げる。


 程なく、全員が口を噤んだ車内には、重苦しい沈黙と馬の駆ける蹄の音だけが残った。



(……待っていろ、アルギス。お前の未来は、私が必ず守ってやる) 


 

 遠く離れたアルギスの顔を思い浮かべると、ソウェイルドは頬杖にしていた拳を、白くなるほど握りしめる。


 それぞれの思惑が交錯する中、隊列を組んだ一団は、脇目も振らずソーンダイク領を目指していくのだった。

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