34話

 アルギスとマリーの2人がようやく森都へと向かい出した頃。


 レイチェル達を乗せた馬車は、王国西方の山間部を超え、デニレア子爵家の治める街、”ディズモール”へと辿り着いていた。



「おい、止めてくれ。俺はここで降りる」


 

 整然と並んだ騎士に囲まれながら馬車が進む最中。


 不意に後方の窓を叩いたブラッドは、恐る恐る振り返った御者に向かって声を上げる。

 

 しかし、ブラッドの向かいに座るシグナが不快げに手を払うと、御者は速度を落とすことなく、前を向き直った。

 


「……いきなり、何を、言い出すのですか?」



 脈絡のない行動に、シグナはありありと不満を滲ませながら、投げ出されたブラッドの足を蹴飛ばす。


 ゲシゲシとスネを蹴られつつも、ブラッドはどこ吹く風とばかりに、通りの景色を眺め始めた。



「このままだと、また泊まんのは貴族の家だろ?ありゃ、居心地が悪くて仕方がねぇ」



「そんな理由で――」



「いいわ。馬車は止めないけれど、それでも降りたければ好きになさい」



 腰を浮かせていきり立つシグナの声を遮るように、これまで静観していたレイチェルが、鬱陶しげに口を開く。


 投げやりなレイチェルの言葉に窓から目線を外すと、ブラッドは満面の笑みを浮かべながら、前のめりになった。


 

「おぉ!やっぱ、話がわかるな!」



「レイチェル様……?」



 しばし呆然としていたシグナは、ぎこちない動きで隣に座るレイチェルへと顔を向ける。


 訝しむシグナの視線を尻目に、レイチェルは眉間に皺を寄せながブラッドを睨みつけた。



「ただし、明朝の出立に遅れればここへ置いていくわ。それだけは覚えておきなさいね」



「いつもと同じ時間でいいんだろ?任せとけ」



 しかめっ面で腕を組むレイチェルに手を振り返すと、ブラッドは進み続ける馬車の扉へ、迷わず手をかける。


 そして、ゴツゴツと頭を天井にぶつけながらも、中腰になって勢いよく扉を押し開けた。


 

「――ど、どうした!?なにか、あったのか!?」


 

「悪いな。俺が降りるだけだ。ちょっと、通してくれや」



 騒然としながら隊列を乱す騎士に対し、ブラッドは好都合とばかりに馬車から飛び降りる。


 そのまま騎士たちの前を横切るように間を抜けていくと、着ていたコートを脱いで、大きく背を伸ばした。



「久々の1人だな。ほんじゃ、まずは宿でも取るかねぇ」



 誰にとも無く独りごちたブラッドが足を進めようとした時。


 通り沿いに建つ煉瓦造りの建物と、樽のマークが描かれた看板に目が留まった。

 


「……いや、とりあえず腹ごしらえにすっか」



 途端に空腹を訴え始めた腹を押さえると、ブラッドはコートを肩にかけて、フラフラと建物の中へ吸い込まれていく。


 期待を胸にブラッドが扉を開けた酒場の中では、カウンターの奥で白髪交じりの店主が1人、椅子にもたれ掛かりながら居眠りをしていた。



「いらっしゃーい……」



(……空いてんなぁ)



 瞼すら開けようとしない店主の態度に頭を掻きつつも、ブラッドは足跡の残る床板の上を進んでいく。


 程なく、カウンターの前までやってくると、身を乗り出して船を漕ぐ店主の肩を軽く叩いた。



「よう、おっちゃん。酒と飯くれ」



「ん?ああ、すまねぇ。……おや?兄ちゃん、見ねぇ顔だな。どっから来たんだ?」



 寝ぼけ眼で椅子から立ち上がった店主は、ブラッドの顔を見上げて目を丸くする。


 不思議そうな顔で首を傾げる店主に対し、ブラッドはカウンターへ手をつきながら備え付けられた椅子へ腰を下ろした。



「ま、王都からちょっとな」



「はぁー、王都から来たのか。どうりで見たことねぇわけだ、ハハハ」



 苦笑いを浮かべるブラッドに対し、店主は上機嫌な笑い声を上げながら、金属製のコップを手に取る。


 そして、くるりと後ろを振り返ると、背後の木樽に備え付けた蛇口をひねって、溢れんばかりに泡の立つ黒い酒を注ぎ込んだ。



「飯もすぐ出せる。飲んで待ってくれ」 

 


「ここは、新顔が珍しい街なのか?」



 早々にカップを手に取ったブラッドは、そのまま口元へと運びながら、寸胴の蓋を開ける店主へと目線を移す。


 気楽なブラッドの問いかけに、店主は苦笑を浮かべて、湯気の立つ巨大な寸胴をかき混ぜ始めた。



「そりゃ、入ってくるより、出ていく奴の方が多いわな……っと。はいよ、オマケつきだ」



「おお!意外と美味そうじゃねぇか!」



 店主がカウンターに置いた皿へ目を落とすと、ブラッドはとろみのあるスープに浮いた野菜と、ほろほろと崩れた肉に目を輝かせる。


 一方、続けざまにスプーンを手に取った店主は、ムッとした表情で、ブラッドの見つめる容器へ放り込んだ。

 


「……意外は余計だ。ウチのに聞かれたら、ぶっ飛ばされるぞ」



「褒めてんだから別に大丈夫だろ。……全部で、いくらだ?」



 未だ片手にコップを持ちつつも、ブラッドは思い出したように、ズボンのポケットへ手を突っ込む。


 硬貨を取り出そうとするブラッドに対し、店主はカウンターに肘をついてキョロキョロと無人の店内を見回した。


 

「……なあ、代金はいいからよ。代わりに、王都の話を聞かせちゃくれねぇか?」



「そんなことでいいのか!?いやぁ、そりゃ助かる――」



 店主の囁きに表情を明るくしたブラッドは、硬貨を探すのをやめて、スープの容器に手を伸ばす。


 しかし、容器を持ったところでピタリと動きを止めると、奥歯を噛み締めながら首を振った。



「……待った。やっぱダメだ。金は、キッチリ払う」



「あぁ、そうかい……。じゃあ、銀貨2枚だ」



 ブラッドがコートのポケットを慌ただしくまさぐりだす中、店主は不貞腐れた表情で椅子へ腰を下ろす。


 つまらなそうにあくびを零す店主に、ブラッドは目を瞬かせながら、数枚の銀貨を取り出した。 



「おいおい、金を払っても別に王都の話くらいはするって。あと、酒おかわりな」



 ブラッドがあっけらかんとした声を上げると同時、カウンターの上にはチャリチャリと銀貨が重なる。


 そのまま食事へと戻るブラッドに目を白黒させつつも、店主は空になったコップと銀貨の山から2枚を手に取った。

 


「……兄ちゃん、変わってんなぁ」

 


「よく言われるよ。それより、おっちゃんはこの街長いか?」



 呆れ顔で背を向ける店主をよそに、ブラッドはスプーンをくわえながら、気楽な口調で話を続ける。


 しかし、程なく酒を注ぎ終えた店主は、釈然としない様子で、カウンターへ向き直った。

 


「まあ、俺はこの街の出身だけど……それがどうした?」



「話のついでによ、この辺りでいい宿教えてくれや」



 泡の立ったコップがカウンターに置かれると、ブラッドはスープから顔を上げて、訝しむ店主に笑いかける。


 おどけた表情を見せるブラッドに対し、店主は合点がいったとばかりに大きく頷いた。

 


「なんだ、そんなことか。どうせ暇だし、構わねぇぜ」



「おお!じゃ、よろしく頼むわ」



 ニカリと歯を見せたブラッドは、再び目線を落として、かき込むようにスープを食べ進める。



 しばし、カチャカチャと食器の音が響く中。


 カウンターにもたれかかった店主は、どこか警戒した様子で、忙しなく飲み食いをするブラッドに顔を近づけた。


 

「……それで、王都の話だけどよ」



「その前に、おっちゃんもなんか飲めよ。話してても味気ねぇだろ」



 小さな声で囁きかける店主に食事を手を止めると、ブラッドは酒の少なくなったコップと共に、数枚の銀貨を押し付ける。


 不満げな表情で食事へと戻るブラッドに対し、店主はホクホク顔で銀貨とコップをカウンターから取り上げた。


 

「お、そうかい?いやぁ、わりぃねぇ」



(……やっぱ、俺はこっちの方が合ってんなぁ)

 


 すっかり機嫌を良くした店主に目を細めつつも、ブラッドは何も言わず、残っていたスープを飲み干す。


 一方、大振りなジョッキを2つ取り上げた店主は、並々と酒を注いで、片方をブラッドへ差し出した。



「よし、これでいいだろ」



「いや、せっかくだ。どうせなら、乾杯から始めようぜ」 

 


「違いねぇ」


 

 足早に厨房を出た店主がブラッドの隣へ腰を下ろすと、2人は砕けた態度で掲げたジョッキをぶつけ合う。


 ゴクゴクと喉の鳴らす店主を尻目に、ブラッドもまた、泡立った酒を一気に流し込んだ。



「ふぅ……それで、王都の何を聞きたいんだ?」


 

「んじゃ、依頼の話でも教えてくれよ。ここは、冒険者なんて滅多にこねぇんだ」



 口元を拭うブラッドに体を寄せた店主は、逸る気持ちを抑えきれないとばかりに声を弾ませる。


 店主が顔を赤くして浮足立つ一方、ブラッドは目をパチクリさせながら首を傾げた。

 


「へぇ?街は大丈夫なのか?」



「ああ、この街の周りは魔物がすくねぇからよ。もし出ても、ご領主様がすぐに討伐して下さる」


 

 気の抜けた表情を見せるブラッドに対し、店主は歯切れの良い返事と共に得意顔で頷く。


 しかし、握っていたジョッキを呷ると、困ったようにくしゃりと小鼻へ皺を寄せた。


 

「ま、おかげで客足も増えねぇけどな、ハハハ」



「酒も飯もうめえのに、勿体ねぇな」



 釣られて酒に口をつけたブラッドは、不満げに眉根を寄せながら、おくびを漏らす。


 ややあって、再びジョッキへ手を伸ばすブラッドに、店主は頬を緩めて、気恥ずかしそうに頭を掻いた。


 

「へへ、ありがとよ。でも、俺にはこうやって客と話をできるくらいが丁度いいんだ」



「それも、そうだな!」



 店主の返答に気を良くすると、ブラッドは満面の笑みを浮かべて、ウンウンとしきりに頷く。


 飾り気のない賛辞に喜色を湛えつつも、店主はカウンターへ頬杖をつきながら、ブラッドへ赤ら顔を向けた。


 

「さ、そろそろ兄ちゃんの話を聞かしてくれ」 

 


「ああ。最近の王都はよ――」



 店主へ向き直ったブラッドは、酒の少なくなったジョッキ片手に、滔々と語りだす。


 既に陽も傾きかける中、すっかり打ち解けた2人の宴会は新たにやって来る客を巻き込みながら続いていくのだった。

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