33話

 ナミル・トレントの討伐から戻った翌日の昼下がり。


 昼食を終えたアルギスと使用人の戻った別館の客室には、ゆったりとした時間が流れていた。



(見たところ、一般的な農業技術書だが……)



 分厚い装丁の本を手にしたアルギスは、訝しげに片眉を上げながら、次々とページを捲っていく。


 そして、程なく全てのページを捲りきると、不満げに目次を確認して、パタリと本を閉じた。



(エーテルなんて、どこにも載っていなかったな)



 目を瞑ったアルギスがいくら記憶を掘り起こしても、それらしい記述には心当たりがない。


 暗澹たる気持ちを抱えつつも瞼を開けると、アルギスは持っていた本をテーブルへ置いて、隣に置かれていた植物の一覧表を手に取る。


 しかし、アルギスの淡い期待をよそに、精緻な色彩画の描かれた大判の一覧表は、元から少なかったページをみるみる内に減らしていった。


 

(……米に関する情報も無し、か。これでは、農地へ向かう承諾を取れるかも怪しいぞ) 



 再びテーブルへ一覧表を戻したアルギスは、公領の農地へと向かう口実に頭を悩ませる。


 というのも、どういうわけか、農地にはソウェイルドと一部の臣下しか近づくことが許されていないのだ。


 また、出向く際の警戒態勢を見るに、アルギスの提案に対して難色を示すことは容易に想像できた。

 


(そもそも、種籾すら手に入っていない事を思えば、悩むだけ無駄か……)


 

 苛立ち交じりに目頭を押さえたアルギスは、大きなため息をつきながら、首を横に振る。


 ややあって、目元から手を離すと、ソファーへ倒れ込むように天井を見上げた。

 


「……まあ、問題の解決が優先だな」



 現状を思い出したアルギスの口から小さな呟きが溢れた矢先。


 壁際に立っていた使用人が、音もなく、アルギスの座るソファーへ近づいてきた。


 

「いかがされましたか?」



「気にするな。ただの独り言だ」 



 後ろ手に手を振り返すと、アルギスは組んでいた足を下ろしながら、テーブル端の陶器をそっと取り上げる。


 そのまま無言でお茶を飲むアルギスに対し、使用人は一歩後ろへ引き下がって、深々と腰を折った。


 

「失礼致しました」



「……いや、少し待て。私の従者は戻っていないのか?」



 立ち去ろうとする使用人を呼び止めたアルギスは、背もたれに肘をかけながら、後ろを振り返る。


 唐突な問いかけに目線を揺らしつつも、使用人はその場で踵を返して、小さく頭を下げた。



「おそらくは……少なくとも、昨日はお見かけしておりません」 



(何をやっているんだ、アイツは。……妙なことに巻き込まれていなければいいが) 

 


 丸一日近く不在のマリーに、アルギスは1人、内心で不安を募らせる。



 揃って口を閉ざしたアルギスと使用人の間に、気まずい沈黙が降りて程なく。


 静まり返っていた室内に、控えめなノックの音が響いた。


 

「失礼致します。ハミルトン様がご到着なさいました」



「はぁ……では――」



 続けて声の聞こえてきた扉へ顔を向けると、アルギスはげんなりとした表情で口を開く。


 直後、アルギスの言葉を遮るように開け放たれた扉の奥には、鞄を手に肩を怒らせるエレンと青い顔をした使用人の姿があった。



(な、なんだ?)


 

 扉の奥からじっとりとした視線を送るエレンに、アルギスは思わず顔を逸して、持っていた陶器をテーブルへ置く。


 しばしの逡巡の後、アルギスがチラリと目線を向けると、ソファーの横には既に無表情のエレンが立っていた。

 


「今まで、一体何をしていたの?」



「アランドールにお前が来ると聞いて待っていた。そして、今は食後の休憩中だ」



 ゆっくりと背もたれに寄りかかったアルギスは、足を組み直しながらテーブルへ置かれた本とお茶を交互に指さして見せる。


 悪びれる様子もなく首をひねるアルギスに、エレンは唇を尖らせて、一層冷めた目を向けた。



「ふーん。楽しそうでいいね」



(……なんか、怒ってないか?)



 不貞腐れるエレンに戸惑いつつも、アルギスは何も言わず、飲みかけのお茶を持っていく使用人を横目に追かける。


 ややあって、新たなお茶がテーブルへ置かれると、素知らぬ顔で向かいの席を指さした。



「まあ、とりあえず座ったらどうだ?」 



「アルギスたち、いつ、どうやってこの街に来たの?」 



 少しでも遠ざけようというアルギスの狙いも虚しく、エレンは同じソファーへ腰を下ろして、矢継ぎ早に質問を重ねる。


 すると、思いもよらない問いかけに目を瞬かせたアルギスは、すぐにこれまでの日程を思い返しながら口を開いた。


 

「そうだな……2週間程前に、船でエルドリアまで来たぞ」



「その後は?」 



「……席を外してくれ」



 肩を落としたアルギスがヒラヒラと手を払うと、側に控えていた使用人たちは、頭を下げて出口へと向かっていく。


 しばらくして、ガチャリと閉まる扉を尻目に、アルギスは眉間に皺を寄せながら腕を組んだ。


 

「ハッキリ言え。具体的に、何が知りたい」 



「入る時に問題はなかった?例えば、冒険者がロルクの兵士に拘束されるとか」 



 抱えていた鞄を床へ置いたエレンは、ソファーへ手をついて、アルギスの目を見つめ返す。


 エレンが神妙な面持ちで返事を待つ中、対するアルギスの表情には、隠しきれない猜疑の色が浮かび始めた。


 

「……なぜ、お前がそんな事を知っている?」



「いいから、早く」


 

「特段、面白い話でもないが、まあいいだろう」 


 

 語気を強めて先を促すエレンに押し負けると、アルギスはお手上げとばかりに視線を上向ける。


 それから暫くの間、コロコロと表情を変えるエレンをよそに、交易街へとやってきた道のりを話し出すのだった。


 

 ◇



 アルギスが説明を始めて30分余りが過ぎた頃。


 全身に疲労を滲ませたエレンは、へたり込むように肘掛けへと寄りかかった。


 

「じゃあ、冒険者と商人を囮にした上、混乱に乗じて勝手に忍び込んだんだ……」


 

「おい、人聞きの悪い言い方をするな。警備の指示に従って、通関を済ませたんだ」


 

 非難がましいエレンの呟きに異を唱えつつも、アルギスは眉一つ動かすことなく、ぬるくなったお茶へ手を伸ばす。


 1人平然とお茶を楽しむアルギスに、エレンはムッとした表情で肘掛けから体を起こした。


 

「そう仕向けたの、間違いじゃなくて?」


 

「……残念ながら、あの騒ぎ自体は私にとっても計算外だ。本来、あの冒険者共の証符があれば済む話だったからな」 


 

 短い沈黙の後、不快げに首を振ったアルギスは、歪んだ口元を覆い隠すように、再び陶器へ口をつける。


 すると、アルギスの横顔を見つめるエレンもまた、脳裏をよぎった記憶に、嫌悪の表情を浮かべた。

 


「……冒険者って、ルルカーニャの?」


 

「む?なんだ。知っていたのか」



 抑揚のない口調で問いかけるエレンに対し、アルギスは気にした様子もなく首肯して、陶器をテーブルへ戻す。


 そして、不敵な笑みを浮かべながら横を向き直ると、これ見よがしに自らの胸へ手を当てた。



「私は、むしろ害虫の侵入を防いだんだ。感謝されてもいいくらいだぞ?」



「……もう、いいや」



 がっくりと肩を落としたエレンは、投げやりな返事と共にアルギスから顔を逸らす。


 一方、入れ替わるように体を倒したアルギスは、席を立とうとするエレンを探るような目つきで睨みつけた。



「そんなことよりも、なぜお前が交易街の事情を知っている?」



「え、それは……」 



「それは、なんだ?」


 身を固くしながら言い淀むエレンを問い詰めるようにアルギスが身を乗り出した直後。


 重苦しい雰囲気の広がった室内へ、再びコツコツと扉を叩く音が響いた。


 

「――よろしいですかな?」 



「……ああ、勿論だ。入ってくれ」



 扉から聞こえてきたアランドールの声に、アルギスはエレンから目を逸らして、声を上げる。


 程なく、ゆっくりと開かれた扉の奥からは、胸元に鷹を抱いたアランドールに続いて、青い顔をしたマリーが使用人たちと共に室内へ足を踏み入れた。



「お取り込み中、失礼致します。お付きの方も、お帰りになられましたよ」



「あ、あの、大変、申し訳ございません……!」



 慌ててアルギスの下へやってきたマリーは、声を震わせながら、勢いよく頭を下げる。


 顔を伏せたまま黙り込むマリーを尻目に、アルギスは席を立って、アランドールの抱いた鷹――ティファレトへ目を落とした。



「無事なら別にいい……それより、面白いのと一緒に来たじゃないか」



「え?」



「おや?どうされましたか?」



 上機嫌な呟きにマリーとアランドールが揃って目を丸くする中。


 口角を吊り上げたアルギスは、大人しく嘴を閉じるティファレトの姿を、まじまじと観察し始めた。


 

「なに、私も使役系統を修めていてね。永続的な使役を可能とした”地仙獣”の技術、実に興味深い」 



『これが、今代の後嗣か。相も変わらず、人相の悪い』



 無遠慮な視線にボソリと嫌味を零すと、ティファレトは大きく羽を羽ばたかせてアランドールの胸元から飛び立つ。


 そのまま、あっけに取られるアルギスとアランドールをよそに、ソファーへ腰掛けるエレンの下へと向かっていった。

 


「お帰り、ティファレト」



『ああ、遅くなって済まないね』



 エレンの膝の上へ降りたティファレトは、そっと身を寄せながら、広げていた羽を畳んでいく。


 未だ唖然とするアルギスとアランドールに対し、エレンとティファレトは声を弾ませて談笑し始めた。


 

「……失礼した。では、そろそろ話を進めるとしよう」



 突き放すような対応に眉を顰めつつも、アルギスはエレンとティファレトの向かいへ腰を下ろす。


 しばしの沈黙の後、小さく息をついたアランドールは、額の汗をチーフで拭きながら、アルギスの隣へ腰を下ろした。


 

「……はい。森都までの経路についてですが、”搬屋”をご用意しておりますので4日程で到着するかと。また――」 


 

(残りの休みは……2ヶ月か。まあ、なんとかなるだろう) 



 淡々と説明を続けるアランドールに対し、アルギスは残りの休暇に思いを馳せて、萎れかけた気持ちをどうにか奮い立たせる。


 しかし、話の内容が同行する使用人へ及ぶと、再びげんなりとした表情を浮かべながら手を払った。



「大変ありがたい申し出だが、ここからはそれなりに急ぐ。時間が掛かるようなら不要だ」



「しかし……」



「……忙しないシェラーの姿を使用人たちへ見せるのも、気が引けるだろう」



 アランドールへ顔を寄せたアルギスが向かいに座るエレンを横目に見た直後。


 これまでエレンの膝に止まっていたティファレトが、バサリと羽を広げて飛び上がった。


 

『アランドール。こればかりは、彼の言うことが正しい』



『ですが、流石に1人で送り出すわけには……』



『無論、私も同行するよ。色々と、心配だからね』



 迷いなく2人の間へ舞い降りると、ティファレトは首を左右へ振って、アルギスとアランドールの顔を見比べる。


 肩を竦めたアルギスが座り直す傍ら、ティファレトとアランドールは声を殺しながら、ヒソヒソと話し合い始めた。



(移動する魔道具の家、か。……不謹慎だが、少しだけ楽しみだな) 


 

 唄うような語り口を黙殺したアルギスは、腕を組みながら、1人今後の予定へ思いを馳せる。


 時折探るような視線を感じつつも、森都への移動手段に、密かに胸を躍らせるのだった。

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