29話

 遥か上空に姿を現したマリーが、枝葉の一本を切り落とした直後。


 これまで沈黙を保っていたナミル・トレントが、メキメキと樹皮を剥がしながら、巨大な枝を下ろし始めた。


 

「グオォォォォ!」 



「はぁ!」



 奥の見通せない空洞から唸りを上げたナミル・トレントが、鬱陶しげに樹冠を揺り動かす中。


 縦横無尽に位置を変えるマリーは、槍のように伸びる側枝を躱し、次々に切り裂いては影へと消えていく。

 

 突き出した根を避け続けるマリーに対し、ナミル・トレントは痺れを切らしたように、左右の主枝を振り上げた。


 

「――オォォォォ!」 

 


「くっ!」



 腕のような主枝を寸でのところで躱したマリーは、ついでとばかりに近くの側枝を切りつけていく。


 しかし、急速に盛り上がった枝の樹皮は、金属のぶつかり合うような音と共にマリーの短剣を弾き返したのだ。

 


(明らかに硬度が上がった……でも、この機会を、逃すわけには……!) 



 刃の通らなくなったナミル・トレントに顔を顰めつつも、マリーは短剣を握り直して、落下する勢いのまま影へと沈んでいく。



 しかし、姿を消したマリーが、体勢を立て直そうとナミル・トレントの背後に現れた次の瞬間。


 地面へと戻っていた根は、小さく息をつくマリーへ向かって、囲むように勢いよく突き出した。



「あぁ、もう!面倒くさい!」



 苛立ち交じりに飛び上がると、マリーは追いすがる根から逃げるように、すぐさま影の中へ身を隠す。


 一方、大きく主枝を左右へ広げたナミル・トレントは、見失ったマリーをよそに、ユサユサと樹冠全体を揺らし始めた。



「――グルオォォォォ!」



 地鳴りのような怒声と同時、ナミル・トレントがつけていた黒い実は、みるみる内に赤黒く膨らんでいく。


 そして、重さに耐えきれなくなった実がポトリと落ちると、触れた地面で弾け、轟音を響かせた。


 

「なぁ!?」



 炸裂した赤黒い実の威力に、マリーは目を見開いて、樹冠の下から飛び退いていく。


 マリーが攻めあぐねる中、絶え間なく落下するナミル・トレントの実は、次々と地面をえぐっていった。


 

(一度、下がったほうが……)



 近づくことすら出来ない絨毯爆撃に汗を滲ませたマリーは、周辺の木々を飛び移りながら、徐々に距離を離していく。


 しかし、背後で様子を眺めるアルギスの姿を一瞥すると、キッと唇を引き結んで体から灰黒い魔力を揺らめかせた。


 

「……いえ、見ていて下さい、アルギス様。――纏影」 



 再び影に沈むマリーの手元で、短剣の刃はぼんやりと輝く光から、仄暗い闇へと染まっていく。


 程なく、根の追撃を避けきったマリーが上空高くへ浮かび上がると、ナミル・トレントは迎え撃つように主枝を振り上げた。



「――オォォォォ」



「シィッ!」



 モコモコと樹皮の膨れ上がる側枝へ、マリーはすれ違いざまに短剣を突き立てる。


 硬い音を立てて突き刺さった短剣は、マリーが姿を消す直前、岩のような表面を深々と切り裂いていった。



「いける。まだ、大丈夫」



 確かな手応えに目を細めると、マリーはすかさず地面から飛び上がって、追撃を仕掛ける。


 傷つきながらも攻撃の手を止めないマリーに対し、ナミル・トレントは鋭く尖った側枝をウネウネと動かしながら、螺旋状にまとめ始めた。


 

「グオォォ……!」


 

(少しでも、役に立てるところを……) 



 ナミル・トレントにピタリと張り付いたマリーは、流れ出る血もそのままに、鬼気迫る様子で攻め立てる。


 葉を落とした枝が次第に編み込まれる中、一時も止まることなく、影への浮き沈みを繰り返していった。


 

「期待に、結果を……!」


 

「――グルオォォォォ!」



 血眼で駆け寄るマリーへ向けて、ナミル・トレントは纏め上げた枝をほぐすように動かす。


 そして、枝の中心を筒状に広げると、奥から赤黒い実を弾丸のように弾き出した。

 


「――片影隔壁!」



 間一髪で半透明の影を作り出しつつも、マリーは奥から吹きすさぶ爆風を受けて、後方へと飛ばされる。


 未だ倒れる気配のないナミル・トレントに対し、矢継ぎ早に飛び出す実を青い顔で避けるマリーの体は、徐々に重くなり始めていた。


 

(まずい……このままじゃ、魔力が……)


 

 力の入らない足をマリーが必死で動かしていた時。


 波のような蟲の大群が、耳障りな羽音を立てて、どこからともなく飛来する。


 

 たちまち、寄り集まった蟲たちが実を弾き出す枝へ吸い込まれると、行き場のなくなった実は、主枝諸共編み込んでいた側枝を吹き飛ばした。


 

「グオォォ……!」 



「っ!」



 苦しげな声を上げるナミル・トレントに対し、マリーは反射的に取り出したポーションを飲み干す。


 そして、軽くなった体に目を細めると、灰黒い魔力で腕を包みながら、短剣を握りしめた。



「――我が影よ、不可知の刃となりて、その身に災禍を刻め。忌宿伏刃」 



 静かに唱えられた呪文に、腕を包んでいた魔力は、短剣へと移りながら刃へと染み込んでいく。


 すると、小ぶりだった両刃の短剣は、30センチ程ある、片刃の短刀へと姿を変えていった。


 

「私の……全てを賭けて、ぶっ殺す」



 身を捩るナミル・トレントを睨みつけたマリーは、スラリと伸びた短刀を手に、消えるような速度で駆け出す。


 好機とばかりに駆け寄るマリーに、ナミル・トレントは根を差し向けながら、砕け散った主枝を無理やり伸ばした。


 

「オォォォォ!」



「はぁァァァ!」



 四方から迫る枝と根の一部を切り裂くと、マリーは速度を落とすことなく、僅かにできた隙間を抜けていく。


 ややあって、一直線にナミル・トレントへと向かうマリーの背後では、切りつけられた枝と根が細切れになって崩れ落ちるのだった。


 

 ◇



 一方その頃、マリーとナミルトレントから離れた川岸では。


 側に陥穽宿主を浮かべたアルギスが、目まぐるしく動き回るマリーの姿を、呆然と眺めていた。


 

(いつの間に、あんな術式を……) 



 

 現れては消えるを繰り返しながらマリーが切り裂く枝や根は、一足違いでバラバラと崩れていく。


 絶えずマリーを囲むように蠢きつつも、ナミル・トレントはしきりに枝葉を落としながら、その動きを緩慢なものへと変えていった。


 

「……これは、考えようによっては幸運やもしれん」



 しばし無言でマリーとナミル・トレントの戦いを見つめていたアルギスは、口元へ手を添えて、神妙な面持ちで独りごちる。


 既に趨勢も決まりつつある中、関心の矛先は最大の懸念事項へと移っていった。

 


(確実に味方だと言い切れる奴は、そう多くないからな。戦力なら、あって困ることもない)



 刻一刻と迫るソウェイルドの反乱に、アルギスは我知らず表情を強張らせる。


 そして、ギリリと奥歯を噛みしめると、知り合いの顔を順に思い返していった。



「……今のところは、あいつとブラッドくらいか」 



 肩を落としたアルギスが悲しげに呟きを零す中。


 樹冠の半分を失ったナミル・トレントが、周囲の樹木へもたれ掛かるようにして、ゆっくりと倒れ込んだ。


 

「オォォォ……」 



「終わったか。さて、素材としては、どんなものになるんだ?」 



 ダラリと主枝を垂らして沈黙するナミル・トレントに対し、アルギスは陥穽宿主を魔力へと戻しながら、スッと目を細める。


 しかし、カーソルの開かれた詳細には、未だ魔物としてのステータスが表示されていたのだ。


 

「チッ!――来い、幽闇百足!」



 鑑定の結果に舌打ちを零すと、アルギスは眉間に皺を寄せながら、黒い霧を吹き出し始める。


 一方、覚束ない足取りで地面へ降り立ったマリーは、満面の笑みを浮かべて、アルギスへと顔を向けた。

 


「アルギス様!お待たせ――」 



「――グルオォォォォ……!」



 嬉しげなマリーの声を、バサバサと葉の落ちる音と共に起き上がったナミル・トレントの怒声が遮る。


 たちまち頭上で膨らみだした黒い実の数に、マリーは顔を白く染め上げながら、その場でへたり込んだ


 

「な、なんで……」



「ギチチィ!」 



 視線の定まらない目で樹冠を見上げるマリーを囲い込んだ幽闇百足は、隙間なく、釣り鐘のようにとぐろを巻く。


 直後、揺れ始めたナミル・トレントの樹冠から、幽闇百足がマリーを包み込む地面へと、赤黒く変色した実が降り注いだ。


 

「グオォォォ!」


 

「……死んだふりとは、やってくれる――獄門羅刹」



 再び枝を伸ばしだすナミル・トレントに、アルギスは青筋を立てながら、黒い霧を撒き散らす。


 瞬く間に辺りへ広がった黒い霧は、ナミル・トレントに向かう傍ら、身の丈を超える湾刀を手にした首のない甲冑へと姿を変えていった。



「………………!」


 

 やがて、尾のように続いていた黒い霧が途切れると、獄門羅刹は音もなく鞘から抜き放った刀を横薙ぎに払う。


 目にも留まらぬ速さ振り抜かれた剣閃は、枝の成長にかまけるナミル・トレントの幹を、根本から横一文字に斬り飛ばした。


 

「グォ……」



 短い断末魔を最期に、ナミル・トレントは伸ばしかけていた枝葉を萎れさせて、動きを止める。


 程なく、垂れ下がった枝葉から落ちた黒い実は、爆ぜることなく、地面へと落ちた衝撃でグチャリと潰れるのだった。


 

(マリーは、無事か?)

 


 ナミル・トレントの死亡を確認もそこそこに、アルギスは気を揉みながら、樹冠の下へと向かっていく。


 ややあって、アルギスが恐る恐る幽闇百足を送還すると、マリーは目を見開いて、地面から飛び上がった。



「も、申し訳ございません……。なんと、お詫びしてよいか……」



「元は私が出るつもりだったんだ。気にするな」



 勢いをよく頭を下げるマリーに息をついたアルギスは、目線を落としながら、黒い実と枝葉の散らばる地面へしゃがみ込む。


 アルギスがキョロキョロと周囲を見渡す中、マリーは一点だけを見つめて、横に揃えた拳を握りしめた。



「ですが!」



「お前は、私から見ても十分な働きをしていた。誇っていいぞ」



 涙声で言い募るマリーに対し、アルギスは切断された木片を拾い上げて、不敵な笑みを浮かべる。


 一方、零れそうになる笑みを抑え込んだマリーは、肩を震わせながら、一層深く腰を折った。

 


「ぁ、ありがとうございます……!」



「わかったら、さっさと傷を癒やしてアレを仕舞っておけ」



 片手間にナミル・トレントを指さすと、アルギスは地面から腰を上げて、側に控える獄門羅刹へ顔を向ける。


 言うことは言ったとばかりに背を向けるアルギスに、マリーは額へ汗を浮かべながら、上げかけていた頭を下げ直した。



「重ねて、ご無礼を承知で申し上げます!」 

 


「なんだ?」



 1人獄門羅刹を送還していたアルギスは、調子の外れたマリーの声に眉を顰める。


 しばしの後、アルギスがゆっくりと振り返ると、マリーはゴクリと唾を飲み込んで、躊躇いがちに頭を上げた。



「……アレは、私では全てを格納出来ません」



「……どの程度なら入る」



 おずおずと顔を覗き込むマリーに、アルギスは額を押さえながら、落胆交じりの言葉を返す。


 ため息をつくアルギスに奥歯を噛み締めつつも、マリーはナミル・トレント全体を見据えて、小さく口を開いた。



「恐らく、半分程度が限界かと……」



「はぁ……。――獄門羅刹」

 


 モゴモゴと言い淀むマリーから目線を外すと、アルギスは大きなため息をついて、再び体から膨大な量の霧を浮かび上がらせる。


 しかし、周囲を包み込んだ黒い霧は、首のない甲冑だけでなく、所々皮膚の剥がれ落ちた馬体までもを形作り始めたのだ。


 

 しばらくして、霧の立ち上る馬上に姿を晒した獄門羅刹の手には、飾り気のない漆黒の長弓が握られていた。


 

「………………」



 ナミル・トレントへ狙いを澄ませると、獄門羅刹は片手に灰黒い矢を作り出しながら、張られた弦をギリギリと引き絞る。


 

 そして、風切り音を上げながら飛び出した矢が、幹の上部に突き刺さった刹那。


 爆発を起こしたナミル・トレントの樹冠は砕け散り、しなだれかかっていた周囲の木々をへし折りながら落ちていった。


 

「あれなら入るだろう。切り株と、実のついた枝葉をいくらか仕舞っておけ」



 大量の葉が辺りを埋め尽くす中、アルギスは眉一つ動かすことなく、淡々と指示を出す。


 一方、後方へと倒れ込んだ巨大な幹に頬を引きつらせていたマリーは、ハッと我に返って、背筋を伸ばした。


 

「か、かしこまりました」



(これで、後はダリオへ持っていくだけで……ん?)



 ポーションを取り出すマリーを尻目に、アルギスが獄門羅刹を消し去った直後。


  両足でアタッシュケースのような鞄を掴んだ鷹が、地面へ巨大な影を落としながら、悠々と2人の頭上を通り過ぎていく。

 

 そして、翼長10メートル近くはあろう羽を広げると、大きく羽ばたいて、夕日の奥へと消えていった。

 

 

「あれは……まずい。おい!マリー、急げ!」



 飛び去った鷹の姿にタラリと汗を流したアルギスは、血相を変えてマリーを呼び戻す。


 声を荒げるアルギスに狼狽しつつも、マリーは持っていた枝を捨てて、踵を返した。

 


「は、はい!」



(……また、遅刻をどやされてはたまらんからな)



 駆け寄ってくるマリーをよそに、アルギスは苦々しい表情で、召喚した幽闇百足へ飛び乗る。


 アルギスに遅れること数分、マリーが甲殻へよじ登ると、幽闇百足は一目散に山を下り始めるのだった。

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