28話

 木々の間を縫って進むこと十数分あまり。


 斜面を蛇行しながら駆け下りた幽闇百足は、音を立てて流れる急流の前で動きを止めた。



「ここまで、だな」

 


 陽の光を反射する水面に、アルギスは目を細めながら、木々の根が張り出した川岸へと足を下ろす。


 少し遅れてマリーが地に足をつけると、幽闇百足は溶けるように黒い霧へと戻っていった。


 

「ふむ」


 

「いかがされますか?」



 思案顔で向こう岸を眺めるアルギスに対し、マリーは両手を前で合わせながら、澄まし顔で隣へ並ぶ。


 しばし2人の間に川の音だけが響く中、アルギスは諦めたように隣に立つマリーへ流し目を向けた。


 

「……お前の術式で跳べるか?」


 

「は、はい!問題ありません!」



 アルギスの問いかけにカッと目を見開くと、マリーは喜色を湛えながら前のめりになる。


 浮足立つマリーをよそに、アルギスは前を向き直って、顎をしゃくり上げた。

 


「では、やれ」

 


「かしこまりました。失礼いたします」



 しずしずとアルギスへ近づいたマリーは、色の濃くなった足元の影を大きく広げる。


 程なく、2人の姿が影の中へ沈み切ると、次の瞬間には所々に伐採された株の残る森へと浮かび上がっっていた。

 


(――《傲慢の瞳》よ。詳細を見せろ)



 たちまち移り変わった景色を、アルギスは次々と鑑定のカーソルを開きながら見回す。


 しかし、周囲にナミル・トレントがいないことを確認すると、首を捻りながら足を進めた。



「……少し、このあたりを見回るぞ」



「はい」



 足並みを揃えた2人は、重なり合った葉の間から陽光の漏れる川沿いを下っていく。


 それからしばらく無言の時間が続いた頃。


 急流の流れが緩やかになった所で、マリーが不意に歩く速度を落とした。

 


「あの……」



「なんだ?」



 遠慮がちに声を上げるマリーに、アルギスは振り返ることなく、言葉を返す。


 アルギスが周囲へ鋭い視線を向ける傍ら、マリーは表情に影を落としながら目を伏せた。


 

「ハミルトン様のご到着時間は、大丈夫でしょうか」


 

「いつ来るかもわからないんだぞ?このままでは、何もしないうちに私の休暇が終わってしまう」


 

 マリーの問いかけに不満げな表情で足を止めると、アルギスは過ぎた日数を指折り数えながら、後ろを振り返る。


 一方、アルギスと向かい合ったマリーは、落ち着かない様子で、身を縮こまらせた。


 

「ですが……」



「それに、かかっても今日一日だ。夜までにはダリオの下へ届けねばならん」



 なおも言い募ろうとするマリーをよそに、アルギスは難しい顔で、風に葉の揺られた木々を見上げる。

 

 ふわりと冷たい風が2人の頬を撫でる中。


 一層色濃い不安を顔に貼り付けたマリーは、怯えを滲ませながら、アルギスの表情を覗き込んだ。


 

「だ、ダリオさんに、ですか?」



「ああ、色々と話を聞いた礼だ」



「そう、ですか……」



 感情を抑え込むように幾度も頷きつつも、マリーの表情には隠しきれない悲しみの色が浮かぶ。


 伏し目がちに下唇を噛むマリーに、アルギスはため息をつきながら、首を横に振った。


 

「……聞いたのは、主に交易街の情報だ。お前の話は殆ど聞けていない」



「え……?」



 しばしの沈黙の後、アルギスが付け加えるように口を開くと、マリーは一転して間の抜けた表情を浮かべる。


 すると、再度大きなため息をついたアルギスは、戸惑い交じりに目を瞬かせるマリーに両手を広げてみせた。



「わざわざ、屋敷で待機するまでもなかったぞ。少しは肩の力を抜いたらどうだ?」



「も、申し訳ありません」



 穏やかに口調で言葉を続けるアルギスに、マリーは身を縮こまらせたまま、慌てて頭を下げる。


 深々と頭を下げるマリーに顔を顰めつつも、アルギスは何も言わず、前を向き直った。



「……私も、これ以上掘り下げる気はない。時が来たら、お前の方から話せ」



「っ!はい。必ずや……!」



 しばしの後、前を歩き出したアルギスが呟きを漏らすと、マリーは重々しい返事と共に瞳の輝きを取り戻す。


 すぐさま隣へと並んだマリーの表情に、アルギスは胸を撫で下ろしながら、歩く速度を上げた。



「理解したなら、無駄口は終わりだ。さっさと戦闘に備えるぞ」



「かしこまりました」



 抜き身の短剣を影から取り出したマリーは、落ち着いた声色と対照的に、弾むような足取りで後を追いかける。


 程なく、再び足並みを揃えると、2人は警戒交じりに、時折葉の落ちる川沿いを下り始めた。



(……まったく、やり辛くてかなわん)



 木々の鑑定もそこそこに、アルギスは内心で隣を歩くマリーの事情に頭を悩ませる。


 それから暫くの間、やるせない気持ちを胸に、ぬかるんだ地面を踏みしめていくのだった。

 




 気付けば霧も晴れ、すっかり低くなった山道の下にアランドールの屋敷と交易街の街並みが姿を現す頃。


 川の中流域へと戻ってきた2人は、未だナミル・トレントを見つけられずにいた。

 


(程なくと、言っていたはずだが……) 



 ちらほらと見え始めた背の低い木に眉を顰めつつも、アルギスはむっつりと黙り込んだまま、石の転がった川岸を進んでいく。


 しかし、不意に横を振り向くと、隣で周囲を見回すマリーに訝しげな目線を向けた。



「聞きそびれていたが、お前はナミル・トレントの外見を知っているのか?」



「い、いえ、実際に見たことはありません……」 



「そうか……」 



 期待外れの返答にアルギスが暗澹たる気持ちで前を向き直る中。


 途端に顔を青くしたマリーは、あたふたと周囲を見回しながら言葉を続けた。



「た、ただ、冬でも豊富に実をつけていると聞いたことがあるので、それを……あ!」 



「どうした?」



 突如声を張り上げたマリーが足を止めると、アルギスもまた、その場で立ち止まって後ろを振り返る。


 胡乱な目を向けるアルギスに対し、マリーはじっと目を凝らしながら、奥に聳える木々の一本を指さした。



「……ひょっとして、あれがそうでは?」



「見つけたか!」



 獰猛な笑みを浮かべたアルギスは、弾かれたようにマリーの指差す方向へと顔を向ける。


 2人が揃って見つめる先では、黒い実をつけた背の高い木が、他の木々と同様にそよそよと風に揺られていた。


 

――――――――



【種族】

ナミル・トレント

【状態異常】

・なし

【スキル】

・成長

・擬態

【属性】

  木

【魔術】

・破壊系統

・使役系統

・防御系統



――――――――

 


(……14時、か。夕刻には十分間に合うな)



 すかさず鑑定を終えたアルギスは、魔道具の針が指し示す時刻に、小さく息をつく。


 しかし、すぐにナミル・トレントへ目線を戻すと、ニヤリと口元を釣り上げた。



「クク、見つかればこちらのものだ。よくやったぞ、マリー」



「ありがとうございます!」



 上機嫌に笑い声を漏らすアルギスに、マリーは頬を紅潮させながら勢いよく頭を下げる。


 一方、魔導具を仕舞い込んだアルギスは、黒い魔力を揺らめかせながら、森の中へと足を進めた。



「さあ、すぐにでも切り倒して――」 



「っ!失礼します!」



 アルギスの体から溢れ出した魔力が霧へと変わる最中。


 後を追いかけていたマリーは、反射的にアルギスへ抱きつきながら、倒れるように足元の影へと沈み込む。


 次の瞬間、直前まで2人の立っていた地面から、先の尖った木の根が剣山の如く飛び出した。



「なるほど。ダリオが言っていたのは、こういうことか」



 スルスルと地面へ戻っていく木の根に、アルギスは納得顔で距離を取るように引き下がる。


 そして、再度ぐるりと周囲を見渡すと、微動だにしないナミル・トレントへ目線を固定した。


 

(……いるのは1体だけだな)


 

 アルギスがナミル・トレントの周囲を眺め渡す限り、他に実をつけた樹木は見当たらない。


 期待外れとばかりに肩を竦めるアルギスへ、マリーは腰を低くしながら、そっと近づいた。


 

「あの……よろしければ、ここは私にお任せいただけませんか?」



「なに?」 

 


 しばし1人で考え込んでいたアルギスは、マリーの提案にピクリと眉を上げる。


 じっとりとしたアルギスの視線に目を泳がせつつも、マリーはどうにか言い募ろうと口を開いた。


 

「え、えぇっと、私なら問題なく躱せますし、アルギス様を危険に晒すわけにはいきませんから!」 



(恐らく、一定以上の距離に近づかなければいいだけなんだが……) 



 短剣片手に拳を握りしめるマリーに、アルギスは浮かない顔でポリポリと頬を掻く。


 しかし、気持ちを切り替えるように両手を合わせると、薄笑いを浮かべながら前を向き直った。



「まあ、手間が省けるならそれでもいい。ただし、さっさと終わらせろ」



「はい!直ちに!」



 パッと目を輝かせたマリーは、喜色の滲んだ返事と共に、体を魔力で包みながら駆け出していく。


 そして、絶え間なく突き出すナミル・トレントの根を影に飛び込んで颯爽と躱していった。



(……せっかくだ。どの程度成長したのか、見せてもらおう) 


 

 転々と位置を変えながらナミル・トレントへと近づくマリーの姿に、アルギスは値踏みするような視線を向ける。


 淡い期待を胸にアルギスが見守る先では、影に消えたマリーが転々と姿を現しながらナミル・トレントへと迫るのだった。

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