1話
冷たい風に落ち葉が舞う、公都近辺の森の奥。
巨大な蜘蛛のような魔物の顔面が、突如押し潰されるように歪み、ズウゥンと音をたてて倒れる。
地面に魔物が伏す様子を、黒いローブを羽織る長髪の少年と、メイド服を着たハーフエルフの少女が近くで眺めていた。
「脆いな……。オグル・スパイダーとは、この程度なのか?」
ぴくぴくと足を動かしているオグル・スパイダーを見つめながら、アルギスは難しい顔で口元に手を当てる。
一方、アルギスの横に立つマリーは、嬉しそうにニコニコと両手を合わせていた。
「アルギス様が相手では、オグル・スパイダーも形無しです」
「……とりあえず、必要なものは手に入った。さっさと仕舞っておけ」
「かしこまりました。――我が影よ、空の狭間に隠れし扉を開け。吸渦投影」
マリーがオグル・スパイダーの死体に近づきながら呪文を唱えると、オグル・スパイダーの死体の下には黒い影が現れる。
渦を巻くように影が広がると、死体はズブズブと沈むように消えていった。
「……相変わらず、便利な術だな」
「恐縮でございます。これも全て、アルギス様のお力あってのことかと」
死体を影に仕舞い終えたマリーは、体の前に両手を合わせ、恭しく頭を下げる。
小さく肩を竦めたアルギスは、マリーから目線を外し、公都の方角へと顔を向けた。
「では、帰るとするか」
「かしこまりました」
「来い――”幽闇百足”」
死霊召喚の術式が完成すると同時、アルギスの体から溢れた黒い霧は、瞬く間に辺りを埋め尽くす。
広がり切った霧は、一点へと集中し、契約によって結ばれた偽りの生命へと形を変え始めた。
「ギギチチチィィ!」
黒い霧が凝縮するように現れた巨大なムカデは、節々にある金色の目で辺りを見回しながら、ギチギチと顎を鳴らす。
呪文の刻まれた、鎧が連なるような黒光りする甲殻をくねらせると、アルギス達の前に音もなく這いずり寄った。
「乗れ、帰るぞ」
「はい。では失礼いたします」
アルギスとマリーが飛び乗ると、巨大なムカデ――幽闇百足は慣性を無視して動き出す。
巨体に似合わない俊敏な動きで、ぶつかっているはずの木々をすり抜け、まるで煙のように森の中を突き進んでいった。
「アルギス様、本日は過分な温情を頂き、感謝いたします」
「……礼ならエマに言え」
喜色を滲ませて顔を寄せるマリーに、アルギスは振り返ることなく、素っ気ない言葉を返す。
しかし、アルギスの背中から身を引いたマリーは、一層表情を穏やかなものに変えた。
「はい。必ずや」
「なら、この話は終わりだ」
アルギスが会話を終わらせると、2人は幽闇百足に身を任せ、のんびりと公都を目指して進んでいく。
やがて、公都の近くまでやってきた頃、2人の間に流れていた穏やかな時間は突如、終わりを告げた。
――きゃぁあ!なにすんのよ!――
背後から微かに聞こえてきた悲鳴に、マリーは不快げにピクリと眉を上げる。
そして、幽闇百足が動きを止めると、再びアルギスの背中に顔を寄せた。
「……いかがなさいますか?」
「ここは公領だぞ。無視できるわけがないだろう……」
目頭を押さえたアルギスは、疲れたように呟くと、幽闇百足に速度をあげさせて森の中へと引き返す。
しばらくして、悲鳴の聞こえてきた場所を遠目に見つけると、徐々に速度を落としていった。
「――幽闇百足、”幽体化”しておけ」
アルギスがスキルを使用すると、幽闇百足は影に溶けるように姿を消す。
すぐに会話が聞き取れるほどの距離まで近づくと、アルギスとマリーの2人は腰を屈め、草陰に身を隠した。
「冒険者、でしょうか?」
「ああ。だが、様子がおかしいな」
2人の目線の先では、冒険者と思われる3人の男たちと、同じく冒険者だろう皮鎧の女性が言い争っている。
薄汚れた皮鎧を纏う男たちは、端正な容姿の女冒険者を見て、いやらしい笑みを浮かべていた。
「そうカッカすんなって、なあ」
「あんた達こんなことして、ギルドを除名になりたいわけ!?」
じりじりと近づいてくる男たちに対して、剣を構えた女冒険者は顔を真っ赤にして叫ぶ。
しかし、男たちは顔を見合わせて噴き出すと、腹を抱えて笑い始めた。
「おいおい、今のギルドは証拠がない限りなんもしねーよ。しらねーのか?」
「そ、そんなわけないでしょ!」
余裕の態度を崩さない男たちに動揺しつつも、女冒険者は警戒するように剣を向けて、少しずつ後ろへと下がっていく。
冒険者と思われる4人のやり取りをじっと眺めていたアルギスは、凡その事情を察し、小さく口を開いた。
「どうやら、不良冒険者らしいな」
「はい。あの口ぶりからして初めてではないでしょう」
表情を一層険しくしたマリーは、冷たい目で男たちを見つめる。
木に退路を断たれ、周囲を囲まれる女冒険者を見ると、アルギスはため息交じりに立ち上がった。
「はぁ、仕方がない。行くぞ」
「……かしこまりました」
なおも不快げに顔を顰めつつも、マリーはアルギスの後ろに付き従い、冒険者たちの下へと向かっていく。
すぐに2人がガサガサと落ち葉を踏みしめながら姿を現すと、一斉に視線が集中した。
「何もんだ!?」
「ちょっと通りかかってな。まあ要するに、ついでだ」
狼狽える男たちをよそに、アルギスはそのまま横を通り過ぎる。
そして真っ直ぐに女冒険者へと向かうと、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「助けは、必要か?」
「え、ええ。ぜひ助けて欲しいかも……?」
唐突なアルギスの質問に困惑しながらも、女冒険者はコクコクと頷く。
静かに男たちへと向き直ったアルギスは、側に控えるマリーを一瞥した。
「……一先ず、真ん中の男以外は不要だ。捕らえておけ」
「かしこまりました。――我が影よ、拘束の蔓を結び、黒棘の牢獄と為せ。”影茨拘縛”」
呪文を唱えるマリーの体から伸びた影は、二手に分かれ、男たちの足元で茨となって浮かび上がる。
スルスルと伸びた茨は、鳥籠のように四方八方から男たちを囲い込むと、さらに内側から伸びた茨によって手足を拘束していた。
「な、なんだよ、これ!?」
「おい、話が違うぞ!どうなってんだよ!」
瞬く間に体の自由を奪われた男たちは、逃げ出そうと必死に抵抗するが、徐々にその勢いを失っていく。
遂には口すら封じられた仲間の姿に、1人残された男はヨロヨロと後ずさり始めた。
「そ、そんな……」
「――このまま前に進め。ただし、少しでも不審な動きを見せたら殺す」
影のように男の背に忍び寄ったマリーは、皮鎧の隙間に短剣を差し込む。
一転して、ぎこちない動きで前進し始める男を見ると、アルギスはスッと目を細めた。
「さて、やっと話が出来そうだな。……命が惜しければ、さっさと情報を吐け」
「ヒ、ヒィ!」
顔を真っ青に染め上げていた男は、ガクガクと膝を揺らして崩れ落ちる。
意識を失いかけている男から目線を外すと、アルギスは影の茨に拘束され続けている2人に顔を向けた。
「マリー、奴らを縄で縛っておけ」
「かしこまりました。――吸渦投影」
影の中に短剣を落としたマリーは、入れ替わるように飛び出した2本の縄を掴む。
魔術を解除するマリーを横目に、アルギスは怯えきった男の髪を掴んだ。
「……お前はこっちだ」
「い、痛い、痛い!じ、実は公都の冒険者ギルドで――」
引きずられながらも、男は公都の冒険者ギルドの現状について話し始める。
やや離れた場所で足を止めたアルギスは、男の話す内容に耳を疑った。
「ギルドマスターが冒険者の悪事を揉み消している、だと?」
「へ、へへ。それで調子に乗ってしまって、その……」
逃げられないことを悟ると、男は媚びるような笑みと共に、必死で言い訳を重ねる。
しかし、既に男から興味を失ったアルギスは、公都のギルドマスターについて記憶を掘り起こしていた。
(公都のギルドマスターは真面目な男だったはずだ。俺の情報が間違ってなければ、ギルドマスターが変わったという話も聞いてない……)
「ちょっとあんた達、何もの!?」
やっと状況を飲み込んだ女冒険者は、考え込むアルギスと、男たちを縄で拘束しているマリーを交互に見やる。
突然の大声に顔を顰めつつも、思考を切り上げたアルギスは、軽く首を横に振った。
「大したものじゃない。言っただろ?通りかかった、とな」
「メイドちゃんも、何ものよ……」
「お待たせして申し訳ありません」
男たち全員を縄で縛り上げると、マリーは女冒険者の視線を無視して、アルギスの後ろに控える。
しばらくして、すっかり落ち着きを取り戻した女冒険者は、朗らかな笑みと共に胸を張った。
「あたしはシャーロット。皆にはシャルって呼ばれてるわ、よろしくね」
「アルギスだ」
「……マリーです」
アルギスが名を名乗ると、マリーもまた、後に続くように小さく名前のみを伝える。
すると、2人の顔を確認したシャーロットは、ウィンクと共に親指を立てた。
「アルギスと、マリーね。りょーかい!」
「……ねぇ、貴女ちょっと」
シャーロットの砕けた態度に眉尻を上げると、マリーは怒りを滲ませがら足を踏み出す。
しかし、後ろを振り返ったアルギスは、不機嫌そうに片手を上げた。
「やめろ、マリー。好きにさせておけ」
「し、失礼いたしました!」
アルギスに止められたマリーは、頭を下げながら、慌てて元の位置に戻る。
すると今度は、ハッと思い出したようにシャーロットが90度に腰を曲げた。
「言い忘れてたけど助けてくれてありがとう!これはきちんと冒険者ギルドに報告するわ」
「……その件だが、公都の冒険者ギルドには報告するな」
シャーロットに目線を戻すと、アルギスは躊躇いつつも、重々しく口を開く。
今すぐにでも公都のギルドへと戻ろうとしていたシャーロットは、目を見開いた。
「え!?な、なんで?」
「考えてもみろ。奴らの仲間が潜んでいるとも限らんだろうが」
口を縛られ、地面に転がされた男たちを見下ろしながら、アルギスは不満げに眉を顰める。
アルギスの言葉にハッとしたシャーロットは、途端に表情を曇らせた。
「確かに、そうね……」
「まあ危険を冒してでも報告をしたいというのなら、止めはしないがな」
俯いてじっと考え込むシャーロットに対し、アルギスは呆れ顔で肩を竦める。
やがて、顔を上げたシャーロットは、瞳に決意の色を宿して、拳を握りしめた。
「わかった。あたし、ギルド本部まで報告しに行ってくる。幸い、王都に知り合いもいるしね」
「……そうか、ならば私達もやるべきことをしよう」
小さく安堵の息をついたアルギスは、パチンと指を鳴らす。
すると、突如3人の前に幽闇百足が実体化し、巨大な顎で器用に男たちを掴んで拾い上げた。
「きゃあ!今度はなに!?」
「全員載せたな?では、行くぞ」
「はい」
慌てて剣に手を掛けるシャーロットをよそに、アルギスとマリーの2人は幽闇百足へと飛び乗る。
一層身を低くした幽闇百足は、黒い霧の尾を引きながら、消えるような速度で去っていった。
「……あたしも、さっさと王都に向かわなくちゃ」
しばらくの間茫然としていたシャーロットは、気を取り直して、森を出ようと急ぐのだった。
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