第45話 ぶつかり合い


 椿は、どうしたものかと戸惑っていた。

 目の前に綺麗な土下座があったら、こうして戸惑うのは決しておかしくない。状況がおかしいからだ。

 何度も頭を上げてほしいと頼んでも、千紘は下げ続けている。

 それがもう、部屋の中に入ってからずっと変わらない。しかも玄関で行われている。

 第三者から見れば、椿に非があると思われそうな光景。


 これでは落ち着いて話も出来ないと、椿は頭を抱えた。まさか千紘が、ここまで頑固だとは思っていなかった。そして、かなり臆病だとも。


「……千紘さん」


 椿がしゃがんで静かに話しかけると、千紘は頭を下げたまま体を震わせた。頭の中で何を考えているのか椿には読み取れなかったが、きっといいことではないと分かった。


 これは強いショックを与えるべきだ。ガツンと一発お見舞しなければ、膠着状態が終わらない。

 そう思った椿は、すぐ行動に移す。


 千紘の頭を掴み、無理やり顔を上げさせる。

 彼の顔は、椿が最後に見た時よりもくたびれた様子だった。どこか覇気がなく、目元のクマが酷い。

 ほとんど家から出ないので、時間だけは有り余っているはずだが、千紘は上手く眠れなくなっていた。眠ると椿の夢を見る。それは千紘を責めるもので、夢だと分かっても心にダメージを負った。夢を見ないぐらい寝落ちする以外には、まともな睡眠を取っていなかった。


 痛々しい姿に、自分が倒れた時の千紘はこんな気持ちだったのかと胸が痛くなる。

 愛おしさを感じて、椿はそっと顔を寄せた。衝動に任せて行動すれば、強くぶつかりそうな気持ちの大きさだった。それを、椿は必死に抑えた。


 千紘は目を閉じていたために、椿を避けられなかった。唇同士が触れて、千紘は目を見開く。驚いて後ろに下がろうとするが、それを察知した椿が頭の後ろに手を添える。


 触れ合いは、千紘の抵抗が終わるまで続いた。椿は名残惜しさを感じるように、離れる時にリップ音を立てる。


「落ち着いて話しましょう。ね?」


 目を合わせてゆっくりと言えば、千紘は小さく頷いた。

 椿は大人しくなった彼の手を握り、部屋の中へ招く。リビングルームの扉を開き、椿は驚いて固まってしまった。


 何も無い。部屋の中には、ほとんど物が置かれていなかった。分かる荷物と言えば、寝具代わりにしているのか寝袋だけ。

 椿は信じられずに、手を引いていた千紘の顔を見る。


「ここで、どうやって生活しているんですか? 嘘でしょう」


 千紘は目をそらす。それは肯定しているのと同じだった。


「もっと自分を大事にしてください。どうして、こんな……」

「……最低限生活出来ればいい」


 本気でそう考えている姿に、椿は歯ぎしりをした。どうしてここまで自己犠牲をするのだと、叫び出したくなるのを必死に我慢する。叫べば千紘は怯えてしまう。そうなれば、どんどん心の距離が開く。

 椿の目的は、千紘と分かり合うことだ。そして一緒に帰る。


「とりあえず座りましょう」

「……悪い。クッションが無いんだ」

「そんなのは必要ありません。俺はヤワじゃないですから」


 何か言いたげな千紘を、椿は促して床に座らせる。フローリングはかたいが、それを気にしている場合ではない。

 見合って座った椿と千紘は、しばらく話をしなかった。椿はとりあえず警戒心を抱かせないように、優しく笑った。そして彼の手を離さない意志を見せるために、ぎゅっと握る。


「千紘さん。俺はあなたを探しにきました。それは、あなたが考えているような理由からではありません」

「……俺を憎んでいるだろ」


 やはり千紘は誤解していた。椿が恨みだけで、彼の元まで辿り着いたと考えている。違うと言っているのに、キスまでしたのに信じられていない。

 どこまで頑固なんだ。椿は呆れて、思わずため息を吐く。吐いた後でしまったと考えるが、すでに手遅れだった。

 千紘は椿と目を合わせられなくなっていた。一歩前進するどころか、かなり後退してしまっている。

 行動に気を張らなくては。椿は千紘の両手を握った。


「……恨んでないです。だって俺は、千紘さんのことを愛していますから」


 はっきりと伝えないと、千紘に届かない。椿は羞恥心を放り投げて、彼に愛を伝えた。


「う、そだ」


 その言葉を聞き、理解したが千紘は納得しなかった。ふるふると首を横に振り、嘘だと言い受け入れない。


「どうして嘘だって言うんですか。俺の気持ちを否定しないでください」

「だって、愛しているなんて……そんなのおかしい」

「おかしい。はは、もうとっくにおかしくなっているんですよ。俺も千紘さんも」


 椿は、未だにまともなつもりでいる千紘を笑う。常識人なら、そもそもあんなことをしない。今さら後悔しても遅かった。


「あなたの愛を受けて、俺はもう千紘さんなしでは生きられない。その責任をとってもらいに来ました。逃げるなんて許しません」


 蠱惑的な笑み。ふらふらと誘われた虫のように、千紘は椿に顔を寄せる。

 唇が重なった瞬間、2人は自然と抱擁していた。欠けたパーツがはまった。そんな気分になりながら。

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