エピローグ
ぼくと比翼と
「……で、結局バスジャックは未然に防いでたってわけ?」
腕を枕に突っ伏した体勢のまま、夕奈はぼくに尋ねた。
「そうみたい。修学旅行三日目の夜にはバスジャックの実行犯が現地で潜んでたらしいんだけど、朝にはもう縄で縛られて放置されてたってさ。まだ何もやってないけど犯罪の準備をしていたことはいつでもバラされる状態にあるから、そいつらは大人しく警察に直行」
あれから一か月が経ち、噂話もだいぶ筋書が固まっていた。未遂だったとはいえ事件をそのまま事実として流布されることは許されず、あくまで眉唾物の噂として語られるにとどめられた。その改変された噂の出どころがあの諜報員たちである以上、余計な火種を生む心配もない、はず。
「にしても、いったい誰がまだ犯行に及んでもいない犯人を特定したんだろうね」
「一説によるとこの学園に潜む裏社会の人間らしい」
「こっわ。なんなのその人たち」
「なんか正義の諜報員らしいよ」
「ますます怖いわ。お近づきになりたくないわ」
もうわりと近くにいるよ、と言ったら夕奈は卒倒するだろうか。
あの出来事があってから、放課後に空き教室で夕奈たちと遊ぶことが増えた。苦楽を共にした仲間として、一度結んだ縁を大事にしようと取り組んでいる。もちろん詳しい話を他の友達にするのは難しいから、周りには補習のときに意気投合したということで通している。
あの『狂犬』御先奉司と仲良くなったと言ったら本気で心配されたが。
「うっす、お疲れ」
噂をすればなんとやら。やってきたのは生徒指導室帰りの奉司だった。
「お勤めご苦労様ですッ」
「様でーす」
「なあオレってそんなにコワモテ?」
意外と奉司は気にしているらしい。だったらまず第一印象の悪さを改めろと散々言っているのだけれど、なかなか改善には至っていない。
クラスの違うぼくらは放課後にしか集まれないが、使われていない教室なら山ほどある校舎なので集会場所には困らない。前には奉司の家で集まろうと提案したこともあったけれど、そのときは夕奈がいることを理由に却下された。どうしてそれが理由になるのかは今のところ判然としていない。
「ところで奉司、今日も玲生は来ないの?」
「あー、うん。あいつは多忙の身だからな」
「この前シリーズものの配信も始めてたもんね」
「案件も溜まってるって言ってた。また寝不足かもしれねえなあ」
数久田玲生の秘密。チャンネル登録者百万人を超える
その事実を知らされた今だからこそ分かったことだけれど――第二セッションにおける玲生の配役は、彼の秘密を暗に示すための設定だったのかもしれない。そして玲生に限らず、秘密を知る人からすれば明らかな示唆を含んだ設定が他にもあったのかも。
まあ、そのシナリオを作った彼はもうこの学校には居ない。真相を聞くすべもなかった。
「声を聞かれたら身バレになって転校しないといけなくなるからっつっても、学校で喋れないのはつれえよな。正体知ってるオレらがサポートしてやんねえと」
「でもそれやりすぎて最近変な噂が立ってるらしいよ。ね、夕奈」
「なんだよその噂って」
「……御先、数久田、柊木は三角関係で超こじれてるらしい、ってさ」
「? よく分かんねーな」
「あんたはそれでいいよもう。分かんねーほうが幸せ」
ぼくもあまり深くは聞かないでおこう。そう思った。
その日の集会もそこそこにして校舎を出る。もうすっかり日が暮れるのも早くなった。そうこう言っているうちに今度はクリスマス、大晦日を経て年を越している未来が見える。
「冬休みも遊ぼうぜ。このメンバーでさ」
「バイトのない日ならオレはいつでも」
「ぼくも休みの間は自由だよ」
また連絡する、と言って夕奈はぼくらと反対方向へと帰っていく。こんなふうに仲良くなるなんて、一か月前の自分が聞いたら嘘だと思うかもしれない。
けどそれを言うなら奉司のほうがぼくにとっては意外だ。彼のような人間は、きっとぼくの正体を知っても知らなくてもぼくを敬遠すると思っていたから。
ちゃんと話してみるものだ、とつくづく勉強になる。
「雄星、いつ戻ってくるんだろうな」
唐突に出た名前に、ぼくは小さく頷く。
「彼がいろんなことに向き合えたら、じゃないかな」
「いろんなことってなんだよ」
「いろいろなことだよ」
きっと彼は自分を許せないと思う。他にもぼくの知らない彼を雁字搦めにするものがあって、彼の脚を重くさせているのだろう。
ぼくにもそういう感覚に苛まれていた頃があった。まるで過去のことみたいに言っているけれど、今だって思い出せば鋭い痛みに肺がひしゃげそうになる。
何もできなかった後悔が今の自分を走らせるとして、その後悔が晴れれば走ることもなくなるのだろうか。それとも後悔が別の後悔を生み、延々とその連鎖に踊らされ続けることになるのか。
それは、行き着くところまで行った人にしか分からない。
「まあ戻ってきたら、そのときはそのときで仲良く遊べばいいんじゃないかな」
「だな。お前ならそう言うと思ってたぜ」
屈託なく笑う奉司。その笑い方が他のクラスメイトの前でもできれば、彼の過ごしづらさは変わると思うのだけれど。
駅前に着くと、奉司はいつものようにスーパーマーケットの駐輪場へと駆けていく。だが今日はすぐに向かうのではなく、立ち止まってぼくの顔をじっと見つめていた。
「……なにさ」
「なあ千明。やっぱりお前って、おと――」
「あ、電車もう来てる! 悪いな奉司、また明日!」
逃げるように改札を抜ける。後ろで何か言っている声がしたが、聞かないふりをして階段を上る。翻るスカートを抑えながら、発車寸前のところで飛び乗った。
秘密は誰にだってあるものだ。絶対に誰にも知られたくないもの、信頼できる人には知っていてほしいもの、訊かれたら教えるくらいの軽いもの、隠すべきなのに本人の自覚が足りないもの、と様々だ。
それらを暴くことは、時に癖になるような快感を伴う場合がある。
けれど。
知らないほうが面白いことだって、あるよね。
了
ぼくと比翼と量子力学 吉野諦一 @teiiti
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