第五話 開演
お手洗い休憩の間を挟み、全員が戻ってきたところで第一セッションが始まった。
黒板には画用紙数枚を繋ぎ合わせて作った地図が磁石によって貼り付けられている。これも行方先生の手作りらしく、面談をしていた隣の教室から持ち込んだものだ。観光地にはよくある、デフォルメされたイラスト付きのマップだった。
「行方先生、絵上手なんですね」
「ほんと。公式のマップですって言われても信じそう」
「あはは、あはははは!」
「おい鹿野ツボるな」
確かにクオリティは高い。実在する観光地の地図と遜色ない出来で、地理情報としても架空のわりには違和感がなかった。
「君たちにはこの仮想の観光地を舞台に調査をしてもらう。が、その前に導入フェーズだ」
「導入フェーズ?」
亜月が首をかしげる。
「ああ。配布した小冊子にも書いたが、このゲームには大きく分けて七つのフェーズがある。導入、議論、調査、行動、推理、投票、解決。それぞれの役割は適宜補足していくとして――」
言いながら行方先生は黒板の空いたスペースに七つのフェーズを記していく。
「導入フェーズはあらすじだな。プレイヤーたちが今の状況に至るまでに何があったのかが第三者目線から語られる。メンバー全体で共通の目標とか現状説明も兼ねている」
「オープニングってこと?」
「ざっくり言えば、そういうことだ」
夕奈の確認に行方先生は頷く。
「導入がオープニングなら解決はエンディングだ。それ以外のフェーズはシナリオによって順番が違ったり複数回経由することがある。場合によってはそもそもフェーズ自体か存在しないことも想定している」
小冊子にも似たようなことは書かれていた。マーダーミステリーが『謎を解き、真犯人を突き止める』ことを主題にしている以上、ミステリーに関するお約束となるパートが組み込まれている。聞き込み等の調査、推理とその披露などがそれだ。
だが初心者にとって調査や推理はハードルが高い。証拠の集め方なんて素人が知っているはずもなく、感覚的に行うのは困難だろう。
「ゲームに慣れるためにも初回は全員が協力して調査、行動のフェーズを行えるようなシナリオにしてある。そこでフェーズがどんなふうに進行するかを覚えてほしい」
行方先生の指示に従い、ぼくらは机を動かして教室の中央に大きな島を作った。八つの机で作られた島に各自で椅子を持ち寄り、向かい合わせで座る。
「合コンか?」
夕奈が突っ込みを入れたが、笑っていたのはひめりだけだった。他は皆、表情が硬い。
行方先生は島の側面に立って生徒の顔をざっと見る。
「じゃあ今から導入だ。ここでは共通
前置きの後、行方先生は手に持ったクリップボードに視線を移す。
「共通HOは以下の通りだ――【今日は修学旅行二日目。一日目の大半を占めていた移動から解放され、学生たちは班行動での観光スタンプラリーに興じていた。同じく観光地を散策していた君たちの班は、困った様子の教師と遭遇する。『実は班の一つと連絡が取れないんだ。どこに行ったか知らないか』君たちは班内での多数決により、行方不明となった班の捜索に協力することとなった。】――以上」
行方先生はクリップボードからプリントを一枚外し、島の中央に置く。そこには今読みあげた文章がそのまま載っていた。
これが共通HO。ルールブックによれば他にも必要に応じて全体に公開される情報はこの形式で可視化される。詳細を忘れても目視で確認できるのはありがたい。それだけ重要な情報だといえるかもしれない。
内容の把握もそこそこに、ぼくは他のプレイヤーの表情に気を配る。謎解きの知恵比べよりは表層に出た感情を読むほうがまだ分がありそうだと踏んでの、ぼくなりの作戦だった。
導入部を終えて変化があったのは、奉司。彼はわざとらしいほどに困惑していた。
「導入の次は何をするんですか?」
奉司の様子から推測を立てる間もなく、亜月が行方先生に尋ねた。
「そう焦るなって。今公開した情報と事前に渡した情報には関連があるんだから、そこを整理するためにちょくちょく考える間は作っていくぞ」
「あぁ、そうなんですね」
亜月は両手を机の上で組む。かと思えば手を解き、今度は手首をくるくると回し始める。
情報の関連。共通HOと秘匿HOは密接な関連があるといえる。導入の共通HOが全体の目標を示すものだとすれば、秘匿HOは個人の使命――つまり、最優先で実現するべき勝利条件ということになる。この点を整理するため雄星は先に質問したのだろう。
ぼくは自分のHOを思い浮かべる。内容は現実と微妙にリンクしていたので覚えやすかった。
【秘匿HO:君は疑り深く、君達の班の中に内通者がいることを見抜いている。必ずしも内通者を暴く必要はないが、この情報を他の信頼できる班員と共有してもよい。】
公平に、と行方先生は言っていたがこの内容には作為を感じた。このHOは言い換えれば信頼できるプレイヤーを仲間に引き入れろという意図だろう。併せてゲーム上での内通者を発見することで、現実で容疑者を見つけ出す予行練習をさせるつもりなのかもしれない。
にしたってぼくが『疑り深い』キャラクターにされるのは納得がいかないけれど。
「そろそろ皆も情報の擦り合わせはできたかな」
雄星が声を発し、他のメンバーもそれぞれ頷いたり反応を示す。最後まで手元に目線を向けたままだった奉司が顔を上げたところで、行方先生は話し始めた。
「次は議論のフェーズだが、今すぐ言い争いをしろってわけじゃない。平たく言えば話し合い、相談をしてもらう場面だ。今回の場合は――」
「行方不明の班がどこに行ったか、それをどうやって調べるか、ですよね」
行方先生の言葉を先回りして雄星が言った。行方先生は「ああ、そうだ」と頷く。
「具体的な話し合いの内容は指定しない。今漣が言ったこと以外にも気になることがあれば共有すればいいし、先に調査フェーズでの方針を決めてもいい。ただしあまり長くなっても困るから、最大でも十五分以内に収めるように」
十五分。内容次第ではあるけれど、あまり長くない持ち時間だ。
行方先生が腕時計を確認して「今からだと十一時きっかりで十五分だな」と告げた。雄星が真向かいに座る亜月に視線を送り、亜月はそれを受けて話し始める。
「では私が進行していきますけれど、今後の方針を決める前にそれぞれのHOを報告してもらえますか」
「え、どゆこと。個人の秘密をバラせって言ってんの?」
唐突な亜月の提案に、夕奈の疑問はもっともだった。しかし亜月は何の疑問もないように続ける。
「全員が自分の秘密を明かし合えば最短で目標を達成できるでしょう」
「いや、そんなわけないじゃん……全体の目標とは真逆の使命を持ってる人もいるかもしれないし、自分が不利になるようなことはしないでしょ」
「ですが、それは少数派ですよね?」
怖いことを言い出した、と夕奈が慄く。
「自分の秘匿HOを話さないのなら、その人は全体の目標に逆らう裏切り者ということになるでしょう。それから秘密を共有したメンバーだけで調査を進めれば、邪魔をされることもなく真相に辿り着けると思うのですが」
「そう簡単にいけばいいけどねぇ……ま、やってみればいいんじゃない」
「ちょっと」
思わず声をかけてしまった。夕奈はだるそうに首を回している。
「やらせちゃっていいの? 亜月、たぶん本気で言ってるけど」
「そだね。でも子の成長を促すには過保護もよくないのよ」
まあ見届けようよ、と夕奈が言うのでぼくも静観する。
他に反対意見がないのを承認だと思ったのか、亜月は意気揚々と発言する。
「ということで、どなたかからHOの報告をお願いします」
…………沈黙。
「あれ?」
「あはは、そりゃそうだよー」
にこにこ顔でひめりは言う。
「誰がどんなHOを持ってるかわかんないもん。自分から大事な秘密をバラすようなことするわけないよね」
「いや、でも――」
「ねえ亜月ン、考えてみて? 普段あんまり話さない人たちと一緒に班行動するってなったとき、最初に『おれたち仲間だから隠し事はなしにしようぜ!』って言ってきた人を亜月ンは信用できる?」
たとえを出されてイメージしやすくなったのか、亜月に思考を巡らせる間が生まれる。そして考えた答えをひめりへと返す。
「信用できません。その人が本当に仲間だと思っているかわからないし、隠し事を明かすよう暗に迫ってくるような人に自分の大事な秘密を話したりできない」
「でしょ?」
「納得はできましたけど、秘匿HOってそんなに重要な内容でしたか? 私てっきりこの情報を皆で共有してジグソーパズルみたいに謎を解いていくものだと」
その発言にも周囲は沈黙する。ただしその理由は先程とは異なっていた。
亜月も自分の発言の不用意さに気づいたのか両手をぎゅっと握って反応を待っている。限られた時間なのも相まって、彼女の不安は顔色にありありと表れていた。
「あ、あの、またなんか言ってしまいました……?」
「大丈夫、事の重大さでいえばたいしたことないよ」
黙って様子を眺めていた雄星がフォローを入れる。
「九条さん自身がさっき言っていた通り、全員が秘匿HOを開示すれば最短でシナリオはクリアできる。でも実際にはそう上手くいかなくて、全体の目標の可否に関わるような秘密を持っている人は秘密を明かすという選択肢がそもそも浮かばないものなんだ」
ほんの一瞬、雄星の目が行方先生のほうを向き、すぐに戻る。
「九条さんは『みんなが隠している情報を共有すれば謎は解ける』という発想だったんだよね? そして秘匿HOについて『重要な内容ではない』ことをほのめかすような言い方をした。ということは――」
「雄星」
遮ったのは、沈黙を保っていた奉司だった。
「そのくらいにしとけ。はっきり言わなくてもわかんだろ」
「別に、最後まで言うつもりはなかったよ」
雄星は表情を変えないまま親しげに言葉を返す。
「わかってる。あまり事細かに理屈を話しすぎてもよくないもんな。御先は九条さんが不利になりすぎないように気をつけてくれたんだろ?」
「……チッ」
奉司は不快そうに首筋を掻く。自分に視線が集まっているのを感じたのか、眉間に皺を寄せて威嚇するように周りを見返している。
他方では、亜月の視線が奉司と雄星との間を何度も行き来していた。そういう反応になるのも仕方ないのかな、と少しだけ同情する。彼女から見ればよく分からないまま奉司に庇われた形になるのだ。
「で、どうすんのこの空気。まとめ役さんが開幕早々大スベりかましちゃったわけだけど」
「すみません……ルールまだよく分かってなくて……」
一連の失敗で参ってしまったのか、素直に頭を下げる亜月。
「や、謝んなくていいって。それに慣れてけば何となく動き方はわかる、はずだし」
夕奈が妙に歯切れ悪く返す。しかし亜月はそういった機微に疎いようで、「頑張ります」と意気込んでみせるのだった。
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