55 乾坤一擲-1
視界の半分が緋色に染まった。
「‼」
朱鳥の『使』が、太陽と見まごうばかりの大きさにまで膨れ上がらせた火の球を撃ち放つ。
だが、戎士たちは誰も、迎撃できる体勢でも状況でもなかった。
「『
そこへ、『使』を呼ぶ声と共に、彼らの前に漆黒の人影が立った。
太く長い遠吠えが響く。
「
その手が、腰の太刀を抜き放った。
「
太刀の切っ先を上に向け、頭上へと突き上げる。
人の術者としては最強級と言っていい強烈な霊力の塊が、打ち上げられた。
それが、空中で四つに分裂し、楕円形の『盾』の形を取った。
更に、その四つの点の間を光の線が繋いで、神和一族の『壁』にも似た防御陣が出現する。
神の力と人の力。
世界という匣を創った始原の『力』と、人をして世界の覇者と為さしめた想いの『力』。
その二つが、真っ向から激突する。
大気が裂け、大地が鳴動した。
弾けた無数の火花に、夜闇に沈んでいた真垣の城が、真昼のような光にさらされる。
「数馬様⁉」
「に、逃げても、いい?」
驚いたのは、三朗だけではなかった。
二緒子も伊織たちも、予想外の数馬の行動と言葉に弾かれたように視線を巡らせ、桧山辰蔵すらも、突然正気を回復させたような顔を上げた。
「逃げてもいい? 逃げてもいいって? 何をしている、七尾! 放せ! 早く!」
挙げ句、金壺眼をでんぐり返らせて喚き出す。
お前って奴は――と、清十郎が呻いた。
「な、何を仰るんですか、若‼」
反対側の一角では、大吾と呼ばれていた黒衆の若者が飛び上がっていた。
「次って何ですか! 黒衆の中司は若です! その若を残してなんか、行けません!」
「大吾、まだ『使』を持たないお前では、刹那の足止めにすらならない。何より、お前に何かあったら、私が葉武にどやされる」
「若を独りで残してきたなんて親父が知ったら、俺の方がどやされます! いや、殺される!
「力ある者は力なき者を護れ。力なき者は己れを護れ。私が葉武から最初に教えられた言葉だ。であれば、この場でお前が護るべきは、お前自身だ」
「け、けど!」
「莫迦を言え‼」
純朴そうな顔に、今にも泣き出しそうな表情を浮かべた若者の語尾を、鬼堂
「数馬、お前は、庶子とはいえ、鬼堂家の一員だぞ! そのお前が盾になどなってどうする! そんなものは戎士どもにやらせよ!
「――それは、違います」
父親の金属質な怒声にも、数馬は振り返ろうとはしなかった。
「真那世は、人に利用される為に居るのではありません。我らが、ただ我らの都合で、そう仕向けているだけのこと。それでも、異形に抗す術を持たない無辜の人々の命と生活を護る為――その大義の為ならば、真那世たちの怨嗟も、鬼畜の汚名も、甘んじて受ける覚悟はありました」
しかし。
「今ここに、そんなものはない。あるのは、人同士――同族同士の、ただの戦だ。そんなものに、本来無関係の真那世たちを巻き込む訳には参りません」
いつも通り、淡々とした声音だった。
だが、そこには、そこはかとない疲労感のようなものが漂っていた。
いや、徒労かもしれない。
もしくは――失望か。
地面に横たわったまま、浅い呼吸を繰り返している
三朗も二緒子も、伊織と清十郎も、彼らに前に立てと命じるのではなく、自分こそが前に立った術者の背を見やった。
「お逃げ下さい、父上。あなたが斃されれば、一也と
語尾に、ずごんっ、と地盤が割れる音が重なった。
数馬の両足が、僅かに地中にめり込んでいる。
天を覆い尽くすような炎の威圧は、『使』の援護があったとしても、人が単身で支えられるような質量では無いはずだった。
だが、鬼堂家の若者は崩れない。
両手で掴んだ太刀の先は空を指したまま動かず、折れもしなかった。
絶対的な『力』の前にも、我が身一つで立つ。
信じる何かを貫く為。
屈することなく、天に向かって太刀を振り上げ続ける。
真神と真那世の時代を終わらせ、人の時代を創り上げた神狩一族の先祖たちというのも、こういう人たちだったのかもしれないと、三朗はふと思った。
「――愚か者が」
だが、鬼堂興国は、ただ歯を噛み鳴らしただけだった。
「我らはこの世の主だ! 自らの力で真神を狩り、真那世を駆逐し、そう成りおおせたのだ! その誇りを忘れおって! ならば、死ね! 死んで、最後にわしの役に立つがいい!」
「そ、そんな、主公……」
「来い、大吾! 戎士どももだ!」
絶句した大吾に、噛み付くような指示が放たれる。
「里への退去など赦さん! 七尾と斗和田の小童二人は、わしの護りに付け!」
「父上……、それでは、重傷の一也や伊織、戎士長屋に居る者たちが逃げられません」
苦い表情で、数馬が肩越しに振り返った。
「せめて七尾だけでも、そちらに回してやって下さい」
「『先祖返り』を外してどうする⁉︎ 役に立たぬ怪我人や女子供など、死なばそれまでだ! どうせ代わりはいくらでもいる!」
鬼堂興国が、苛々とそう吼えた時だった。
三朗の神剣が翻った。
同時に、一也を伊織の手に委ねた二緒子も、自らの神剣を顕現させた。
「⁉ 何の真似だ⁉」
ぎょっとしたように喚いた鬼堂興国には目もくれず、三朗と二緒子は同時に、全く同じ方向へ神剣を振り抜いていた。
白金色の水の竜と漆黒の疾風が、渦を巻く。
それが頭上の防御に加わり、共に数馬の『盾』を下から押し上げ、火の球の落下を抑えた。
「三朗、二緒子、余計な真似をするな。いいから、退去しろ」
数馬が、驚いたように言った。
「何をしている! お前たちはわしの護衛だぞ!」
鬼堂興国も怒鳴った。
だが。
「申し訳ありません、主公」
三朗は、一也を彷彿とさせる口調で言った。
「こうも神気に霊気に妖気がごちゃごちゃと入り乱れていては、煩くてよく聞こえません。よって、俺は先ほどの『そんなものは戎士たちにやらせよ』とのご命令に従います」
「な、なに?」
「大体、俺たちがお供をすれば、あの姫はきっと追ってきます。もともと、彼女は俺たちを殺しに来たんですから」
「三朗の言う通りです。だったら、主公をお護りする為には、私たちは一緒に行かない方が良いと思います」
冷静に指摘した三朗に、二緒子も言葉を添えた。
「何より、兄様が、勝機はあると仰ったんです。だったら、そもそも、逃げる必要はありません」
「――俺も、そう思いますな」
神剣を構える少年少女の横に、大柄な人影が落ちた。
その腕の一振りが、上空に『網』を投擲する。
衝撃に衝撃が重なって、火の球の落下が止まった。
だが相殺には至らず、そのまま、互いに一歩も引かぬ押し合い状態となる。
「七尾、お前まで。戎士長屋の者たちはどうする。あそこには、今、お前の妻子も居る筈だ」
「そっちは、桧山に任せます」
声を上げた数馬に、清十郎は淡々と言った。
「さっき、俺が手を離すなり、脱兎のごとく逃げて行きましたので。ただまあ、あれも腐っても組長ですから、まさか麾下の怪我人や同族の女子供を見棄てるような真似はしないでしょう」
「私も、ここに」
背後で一也の手当てを続けている伊織も、顔も上げずに言った。
「医薬師が患者を放り出して逃げる訳には参りませんから」
「黙れ! 勝手は許さん!」
だが、鬼堂興国は、あくまで感情的に喚き立てることを止めなかった。
「お前たちに自由意志などない。あるのは、わしに服従する義務だけだ。わしがわしを護れと命じたなら、従え!」
それは、三年前、己れの決定に逆らった一也を痛みでねじ伏せようとした時や、昼間、二緒子の感情的な反抗を罵った時と同じ、どこまでも居丈高で、叩きつけるような声音だった。
二緒子はもとより、三朗も、ずっとこの怒声が怖かった。
浴びせかけられる度に身が竦み、怒りと反発を増幅させながらも、それ以上の威圧に首根っこを押さえつけられて、地に這わされるような感覚を味わって来た。
だが、今の三朗は、何も感じなかった。
遠くで犬が吠えている。そんな感覚だった。
(この人は、ずっと怖がっていたんだ)
そんな認識が、すとんと落ちて来る。
見た目は人と変わらず、知性や理性のかたち、感情の動き方もよく似ている。にもかかわらず、人よりずっと力が強く、足も速く、神力まで操るモノ――真那世が、本当は怖くて仕方ないのだ、と。
だから、事あるごとに戎士たちに『質』の存在を突きつけ、自分が上位者であることを確認せずにいられない。
日中、初めて怨嗟と反抗の声を上げた二緒子に執拗に謝罪を要求したのも、目の前で平伏させて支配関係を確かめなければ、安心できなかったからだ。
一方で、その恐怖から解放される為に、いっそ神狩一族の原則に立ち返って、八手一族も水守家も鏖殺して終わりにすることもできない。
今、そんな挙に出れば双方にとっての殲滅戦になるしかないということもあるが、先代の遺言――『九条家を滅し、神狩一族を正しき道へと戻すべし』というのが、要は、九条家を斃して鬼堂家が一族宗家として央城に返り咲くという野心であるなら、水守家は勿論、八手一族の戦力も失う訳にはいかないからだ。
野心の為ならと恐怖に打ち克つこともできず、恐怖を解消する為に野心を諦めることもできない。
高圧的な態度は剛毅ではなく、臆病の裏返し。
だが、だからこそ、今の鬼堂興国は危険な気がした。
感情を理性で制御できない者が恐慌状態に陥ったら、何をするかわからない。桧山辰蔵がいい例だ。
もし、彼が勝手な怒りと恐れを増幅させた挙げ句、状況判断もつかなくなり、戎士たちが自分の命令に従うことだけに固執したら。
何が何でも言うことを聞かせようとして、また一也のなり八手一族の『質』である薫子なりの神珠を見せしめにしようとしたら。
(確実に、皆、ここで終わる)
内憂は外患以上に戒められるべきもの、とは誰の台詞だったか。
確かに、敵と対峙している時に背中を刺されては、凌げる危機も凌げない。
三朗は、煮えたぎる感情を堪えながら、ちらと背後を伺った。
大吾という若者がさっさと連れて行ってくれないかと思ったのだが、十五、六歳では、怒り狂う主君をなだめすかしながら退去させることなど不可能な様子だった。
実際、手をつかねておろおろしているだけだ。
どうすればいいのか、と思った時だった。
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