湯上がりの答え合わせ
「いやぁ……いい風呂だったぞ。お前も来れば良かったのに」
お忍び気分で大衆浴場を堪能したトゥルースは、宿舎で留守番をしていたタルズに残念そうに声を掛けた。
「旦さん、わしみてえなのは人様がいねえ時間に、こっそり入るのが妥当でやすから」
タルズは幼少時に唇を欠損しているため、人に顔を見せることを酷く嫌う。この場が宿舎の自室であり、自身の素顔を知るトゥルースと一対一の状況であるからこそ素顔を晒しているが、普段は口許を隠すように顔に布を巻いている。海都育ちにしては奇妙な訛りも、引き攣れた口許がそうさせるのだ。
「……すまん。今日の俺は、はしゃぎ過ぎているな」
相手が配下の者であろうとも、自らの過ちには頭を下げるのがトゥルースの美点であると言える。彼の異母兄弟らには母親の悪癖が染み付いている、などと揶揄されるが、タルズは親の偉さを笠に着て頭も下げられない奴らの方が、余程愚かだと思っている。砂蟲の繁殖期の中で放逐されるトゥルースに、一二も無く同行したのはそうした理由だ。商会きっての腕利きの船頭は、好き嫌いで死に場所を選んだのだ。
相手の気を読むのも上手いタルズは、ふと、トゥルースの様子がどこかおかしいことに気がついた。
「ところで旦さん、馬鹿にのぼせなさってやすな?」
トゥルースはぎくりとした表情を浮かべ、その顔をもじもじとはにかんだものに変えた。顔の造り自体はなかなかの色男であるトゥルースだが、大の男が乙女のような表情を浮かべるのは、タルズをして不気味以外の感想は抱かせなかった。
「俺は、恋をしたようだ……心優しく、瞳のきれいな子だ」
タルズは、歯茎をキュッと剥き出しにした。またかよ、という気持ちが言葉より先に出てしまったのだ。トゥルースからはいつも怖いと怯えられる表情だが、させる方が悪い。
「あんたぁ、ちったあ懲りましょうや……」
「まるで夜空の星だった……あの、榛色の瞳」
「駄目だ、まるで聞こえちゃいねえや」
今回の恋の病は、余程重篤なようだ。タルズのここ最近一番の歯茎露出にも、全く堪えた様子が無い。
タルズの主は、商人としての仕事は出来る男だ。この若さで番頭の立場にまで駆け上がったのも、商会長の息子だからというだけではない。だが、どうしたことか病的なまでに惚れっぽい。始末の悪いことに、惚れた相手にはまたひどく惚れ返される。
それというのも、トゥルースは惚れている間は誠心誠意心を尽くす男なのだ。そのことが彼の商いに、これまでは良いように作用したのは間違い無い。尤も、多情が災いしたのか、最後の最後で手酷いしっぺ返しは喰らったが。
「ハァ……また、刺されないようにしやしょうね」
「人聞きの悪いな。掠っただけだぞ」
「女から刃物を持って挑みかかられりゃ、人様は十分刺されたって言いやすぜ」
海都から来た男達がやいのやいのと言い合う丁度その頃、カメリオはヤノから聞かされた衝撃の事実に目を丸くしていた。
「あの傭兵の兄さんが、えっ? 海都から、新しく来た番頭……? まさか!」
とても信じられないというような顔つきのカメリオに、ヤノとエリコはやれやれと顔を見合わせる。かの番頭とあれ程の至近距離に居ながら、海都の人間とすら気付いていなかったようだ。海都で暮らせる人間が、その日暮らしの傭兵になどなるわけがない。尤も、ただの食堂の息子に過ぎないカメリオが、かの番頭が何者かに気付いて敢えて気付かないふりができるような腹芸を身に着けているわけがないのだが。
美しい容貌の中でも特に目を引く鋭利な目付きのお陰で、黙っていれば理知的な雰囲気を帯びるカメリオだが、彼には洞察力が今一つ欠けているようだ。二人はよく言えばお人好し、悪く言えば目端が利かない幼馴染みを、改めて放っておけないと感じた。
「訛りと体つき、両方から見て奴は例の死に損ないだ。どういう訳か、名乗らなかったけどな」
「大方、抜き打ち視察ってやつだろうな。お気楽そうなフリはしてたけど、ありゃ相当抜け目ない奴だぜ?」
ヤノとエリコの言葉に、カメリオは自分の見る目の無さを恥じた。かの番頭と和気藹々と体を洗い合ううちに、カメリオはどこか親しみのような感情を彼に抱いていたのだ。カメリオの日々鍛えた体を褒めてくれたのが、単純に嬉しかったところもある。
「良い人そうだったのに……」
「ろくでもねえ奴は、大体人が良さそうな面で近づいて来るもんだ」
「まっ、いい勉強になったな。カメリオ」
相変わらず醒めたようなヤノの言葉と揶揄うようなエリコの言葉に、カメリオは苦いものを口にしたような顔で唸るばかりであった。
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