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ルフェルニアは、ギルバートと共に騎士局の闘技場に来ていた。
騎士局に勤めているサムエルが、テーセウス王国の将軍でもあったギルバートと手合わせをしてみたい、とここ最近頻繁に手紙をよこしていたのだ。
ルフェルニアは取り敢えず、ギルバートに伝えるだけ伝えてお断りしようと思っていたのだが、意外にもギルバートはそれを快諾した。
「ギルバート様、本日はお越しいただきありがとうございます。」
騎士局内はサムエルが話しを通してくれていたため、副局長ドンクが内部を案内してくれた。ドンク曰く、局長である第三王子のアスランは次回の魔物討伐の遠征について、打合せが入ってしまったのだという。
「ここが訓練場になります。本日は何人かと手合わせして御指導いただけると伺いました、どうぞよろしくお願いいたします。」
「こちらこそ、どうぞよろしく。」
「ギル、色々と忙しいのに、今日は本当に大丈夫だったの?」
「ああ。最近体を動かす機会がなかったから、逆にありがたい。」
ギルバートはそう言いながら、手渡された模造剣を軽く振ったり握ったりして感触を確かめていた。
「今日は魔法なしの剣技のみの打ち合いを予定しております。」
「分かった。」
ドンクが順番に今日手合わせをする騎士を紹介すると、早速打ち合いが始まった。
「わぁ、ギルってば、本当に強かったのね。」
ルフェルニアは訓練場の端にあるベンチでその様子を見守っていたが、素人目で見てもガイア王国の騎士が軽くいなされているのが分かる。
サムエルは剣技に優れていると以前から聞いていたが、それでもギルバートについていくのは苦しそうだ。
「ギルバート様はテーセウス王国の将軍でしたからね。テーセウス王国の北側は過酷な地で、凶暴な魔獣も発生しやすい。そこを長く防衛されていたのですから、当然の実力です。」
ルフェルニアと一緒に見学していたドンクも感心したように頷く。
暫くギルバートの身のこなしに見入っていると、ルフェルニアは背後から声をかけられた。
「ルフェルニア嬢、夜会以来だな。折角の機会なのに顔を出すのが遅れてしまった。」
「殿下、ユリウス様、お疲れ様でございます。」
振り向くと、そこにはユリウスとアスランがいた。アスランの用事はユリウスも一緒だったようで、打合せが終わってから訓練場を覗きに来たようだった。
ユリウスは少しもじもじとしていたが、「お疲れ様」とルフェルニアの方を見てはにかんだ。
その様子を見たアスランが思わず噴き出すので、ユリウスはルフェルニアの見えないところで思いっきりアスランの腕を抓った。
「いたた…。そういえば、ノア大公の剣技はテーセウス王国で一度見たことがあったが、第一線を引いてもなお、素晴らしいな。」
アスランは感心したようにギルバートを見つめた後、ルフェルニアに向き直りいたずら気に目を細めた。
「ルフェルニア嬢は初めて見るだろう?どうだ。格好いいだろう。」
「ええ、昔に物語で見た騎士様のようです。」
ギルバートは見た目も、血筋も良ければ、剣の腕も良く体格も大きい。ルフェルニアが子供のころに憧れたヒロインを守る騎士の要素をすべて備えているかのようだ。
「ルフェは昔からああいうのが好きだもんね。」
ユリウスは拗ねたようにそうに言うと、端に置かれていた模造剣を持った。
「おい、ユリウス。今回、魔法はなしのルールだ。さすがに君でも厳しいだろう。」
アスランは口では止めているが、目はいたずら気に細められたままだ。
「わかっています。今度の遠征のためにもいつもより骨のある方と打ち合いをしたいだけです。」
ユリウスはそう言うと、ギルバートと騎士局員の輪に入っていたが、ルフェルニアは気が気ではなかった。
確かにユリウスは剣も強いと聞いているが、どちらかといえば魔法に秀でている。それに、ユリウスも体格は良い方だが、ギルバートと比べると細身だ。あの筋肉隆々な腕を無傷で押し返せるとは思えなかった。
「ユリウス様は大丈夫なんでしょうか…。」
「まぁ、模造剣だし大丈夫だろう。それにユリウスはああ見えて力が強い。それに君の前だからな。」
ユリウスはギルバートに話しかけると、2人は剣を構えて向き合い、ギルバートと訓練をしていた騎士局員は少し離れた場所に退避した。
束の間の沈黙が流れた後、ルフェルニアの目には見えない速さで両者が剣を振るった。
周りが息を飲んで見守る中、アスランだけが楽しそうに2人の打ち合いを見ている。
ルフェルニアはユリウスが怪我をするのではないかと気が気ではなかった。
(あんなに重たそうな打撃を受けて、腕が悪くなってしまわないかしら…。)
ルフェルニアの不安をものともせず、ユリウスは的確にギルバートの攻撃を受け止め、合間に攻めの攻撃を繰り出すが、ギルバートも当然のようにそれを受け止める。
一進一退、両者が動きながら打ち合いを続けていたときだった。
ユリウスがギルバートの突きを避けるために少し顔を傾けたとき、剣の勢いが良かったためかユリウスの髪留めが外れてしまったのだ。
他の騎士であれば見抜けないほどの一瞬であったが、ユリウスはそちらに意識を取られる。
ギルバートは好機とばかりに少し意識の逸れたユリウスとの間を詰めるために足をぐっと前へ強く踏み出した。
“パキリ”とギルバートの足が何かを踏んだ瞬間、周囲の気温がぐっと下がり、ギルバートの下半身があっという間に氷漬けになった。
「ギル!!」
ルフェルニアは突然のことに驚いて、凍り付いたギルバートを心配して駆け寄った。
今まではユリウスの心配をしていたが、氷漬けになってしまったのなら話しは別だ。
ギルバートは一瞬驚いたような顔をしたが、ユリウスが俯いているのを見て、戸惑ったように剣を下ろした。
「ユリウス様、魔法は禁止のはずでしょう?」
これではギルバートが凍傷になってしまう、とルフェルニアが少し責めるように言うとユリウスは少しだけ顔を上げたが、顔を歪めて再び地面の方を向いたきり黙ってしまった。
ルフェルニアがユリウスの視線を追ってギルバートの足もとに視線を移すと氷の中に見覚えのある黒い髪飾りが砕けて散らばっていた。
ルフェルニアはこれを見た瞬間、なるほど、これのことを思ってくれたのかという喜ぶ心もあったが、心のどこかで安堵してしまった。
ずっと気になっていたのだ。ユリウスがこれをずっと着けてくれているだけで、どこかに希望があるのではないかと思ってしまうから。
「ミネルウァ公爵令息、大事なものとは知らずに申し訳ありません。」
ギルバートも足元を見て事態を把握したのか、少し困惑したように謝罪の言葉を口にしたが、ユリウスはなお俯いたままだった。
周りにいた騎士たちも、何事かと固唾を呑んで様子を伺っている。
「…ただの安物の髪飾りよ。」
重苦しい沈黙を破ろうと、そしてギルバートを安心させようとルフェルニアが口を開くと、ユリウスは急に顔を上げた。
「”ただの髪飾り”?…あれは君からもらった僕の宝物だったのに…!」
「ユリウス様、あれはシラー子爵領であれば簡単に手に入りますよ。それにユリウス様ならもっと良いものを付けるべきだと前にも申し上げたじゃないですか。ちょうどよかったかもしれませんよ。」
ルフェルニアは、ユリウスがあまりにもがっかりした様子でいるのを見て、励ますつもりでそう口にしたが、ユリウスの様子を見てぎょっとした。
ユリウスが綺麗な瞳から大粒の涙が留めなく流れていたのだ。
ルフェルニアは何度かユリウスの瞳が潤むのを見たことがあるが、泣いているのを見るのはあの闘病期の癇癪以来で言葉を失ってしまう。
「最近ルフェはいっつもそうだ。僕のことなんて、どうでも良くなっちゃったんだ。」
ユリウスはそれだけ吐き捨てるように言うと、踵を返して足早に去ってしまった。
ルフェルニアはユリウスの常にない様子を見て唖然としてしまい、呼び止めることもできなかった。
「…氷を溶かして行ってくれないか…。」
周りが沈黙する中、ギルバートはぼそりと呟いた。
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