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ルフェルニアとギルバートは会場に入るや否や、大勢の人に囲まれた。

ノア公国と繋がりを持ちたい貴族は多いようだ、とルフェルニアは想像していたこととはいえ、その人の多さに目を回した。


「凄い人だかりだったが、回る手間が省けたな。」


ひととおり人の波が去り、王族への挨拶が終わった後、ギルバートはうんざりしたようにそう言った。


「そうね、でも意外だったわ。」

「何が?」

「ギルって、ちゃんとガイア王国の貴族のお名前も憶えているのね。」


夜会の前に何人かと会っていたのは知っていたが、貴族が挨拶に来るたびに、ギルバートの方から先に相手の名前を口にして声をかけていたのだ。


「まぁな。軍に勤めていれば、より多い人数の顔と名前を一致させる必要がある。慣れみたいなものだ。これしきのことで相手の機嫌が取れるなら、ありがたいことこの上ない。」


ギルバートの最後の発言は、周りの人に聞こえないようにルフェルニアの耳もとに口を寄せて話したので、ルフェルニアはくすぐったさで思わず身を震わせた。


「それにしても、アスラン殿下のあの表情はいったい何だったんだ。」


確かに、とルフェルニアはギルバートの言葉でアスランの様子を思い出す。

いつもの夜会では席を外していることの多い第三王子殿下だが、今日はギルバートを待っていたかのように、ちゃんと王族の席へ腰をかけていた。

目の前にギルバートがいるのに、度々少し視線を外して、隠しきれない笑みを浮かべていた。


「…きっと、揶揄っていたのよ。」

「誰を?」

「ユリウス様よ。アスラン殿下は学園時代の同期で、今も交友関係が続いているみたい。」


(アスラン殿下は、ユリウス様が私をフッたこと、御存じのはずなのに、ひどいわ。)


ルフェルニアが少しいじけたような気持ちになっていたとき、ふたりの周りに人がいなくなった時を見計らって、ユリウスが声をかけてきた。


「こんばんは。ノア大公、ルフェ。」

「ミネルウァ公爵令息、この度の訪問では色々と手配いただきありがとうございます。」


ギルバートがユリウスに挨拶を返す横で、ルフェルニアも礼の姿勢を取り、頭を下げた。


「いいえ、お気になさらないでください。ルフェ、今日もとても綺麗だね。」


ユリウスはそう言って、ルフェルニアをどこか悲しそうな目で見つめた。

ユリウスはいつもの黒の礼服ではなく、白を基調とした礼服を身に纏っている。物語に出てくる王子様そのもののようで、会場の中でひときわ輝いていた。ただ、髪飾りはいつものままだ。


「ありがとうございます、ユリウス様も相変わらずとても素敵です。」


(ユリウス様は、パートナーをお連れじゃないのね…。)


今年、ユリウスのミネルウァ公爵家は、ユリウスに社交を任せており、今回の夜会にも両親は不参加だということは事前に聞いていたが、パートナーをどうするのかは、聞いていなかった。

ルフェルニアはユリウスがひとりで現れたことにほっとしてしまう。

今、自分は別の人の腕に身を預けているのに、なんて身勝手なのだろう、とルフェルニアは自己嫌悪に陥りそうになる。


「ありがとう、君にそう言われるのが一番嬉しいよ。それじゃあ、また。」


ユリウスは優しい笑みを残すと、名残惜しそうに別の輪へと交っていった。


「何か言われると思ったが、随分とあっさりしていたな。」

「何を期待していたのよ。もうフラれているし、最近はずっと、あんな感じよ。」


ギルバートは修羅場に巻き込まれるのではないかと内心ひやひやしていたが、あっという間にユリウスが去っていったので、肩透かしを食らった気分だ。

一方のルフェルニアは、すぐにいなくなってしまったユリウスに寂しさを感じていた。


「さぁ、あとは1曲踊れば義務は果たされるだろう。…下手だが許してほしい。」


丁度流れ始めたワルツに、ギルバートは改まってルフェルニアに手を差し出した。

皮肉にも、デビュタントでユリウスとルフェルニアが躍ったものと同じ楽曲だ。


「よろしくお願いします。」


少し気分の落ち込んだままその手を取ったルフェルニアだが、ギルバートがぐい、と強めにルフェルニアの手を引っ張るので、ルフェルニアは余計なことを考える余裕がなくなった。


ルフェルニアとギルバートが躍るのは初めてだった。ギルバートがマーサからのお小言をずっと聞き流して、練習をさぼっていたのだ。ギルバートはユリウスに比べて随分と力強いエスコートで、ルフェルニアは慌ててしまう。

ルフェルニアは必死にそのペースに合わせたが、1曲が終わるころにはすっかり息が上がっていた。


「…すまない。」


途中でギルバートがルフェルニアの様子に気づいたようだが、修正はできなかったらしい。

耳の垂れた犬のようにしょんぼりする様に、ルフェルニアは夜会であることを忘れて思わず口をあけて笑ってしまった。


「ギルにも苦手なことがあるのね。寧ろ、良かったわ。さぁ、甘いものを食べて体力を回復しましょう。」

「…あまり揶揄ってくれるな。」


ギルバートは、今度はちゃんと優しく手を取ると、スイーツの並んだビュッフェ台の前まで移動した。


(どうして歩くときは普通なのに、ダンスだと急にあんなにめちゃくちゃになるのかしら。)


ルフェルニアは疑問に思ったが、気を取り直して、近くにいたウェイターに声をかけると、小皿にいくつかケーキを盛ってもらった。甘いものは何でも好きだが、やはり一番好きなのはケーキなのだ。


「さぁどうぞ。」


ルフェルニアは周囲を見渡したが、座れそうな場所がなく、バルコニーにも人影が見えるので、立食にするか、と適当な位置に移動すると、ギルバートにフォークを差し出して、食べるように促した。


「いいや、俺は遠慮しておく。」


人目があるからだろうか、ギルバートは頑なにフォークを受け取ろうとしなかった。


「せっかくおいしいのに…。」

「ルフェが食べればいいさ。」


あまりにギルバートが頑固なので、ルフェルニアはいつだったか弟アルウィンへした対応と同じ対応をとることにした。


ルフェルニアは苺の乗ったケーキにフォークを突き刺すと、そのままギルバートの口へ素早く突っ込んだのだ。

ギルバートは反射的に口を開けてしまい、ごっくんとケーキを飲み込むと、顔を真っ赤にして起こった。


「何をするんだ!」

「美味しかったでしょう?」

「そういう問題じゃない!」

「まぁ、怒って返す言葉もアルとまるで一緒だわ。今日、アルに会わせられなかったのが本当に残念。」


ルフェルニアの家族は、今年の王宮の夜会には訪れていなかったのだ。


「君の家族には会ってみたかったが…そうではない!」


未だに顔を赤くして怒ってみせるギルバートに、周りの人は少しの距離を置いて、驚いたようにその様子を伺っていた。きっと噂で聞いていた恐ろしい大公、というイメージに全く合わないからだろう。

ルフェルニアはこのまま、ギルバートの悪い噂が消えればよいと思った。


「嫌なら、ちゃんと私が勧めたものを自分で食べてよね。」


ルフェルニアがそう言って再びフォークをギルバートに手渡そうとすると、今度は渋々とそれを受け取った。ルフェルニアはそれに満足そうに頷くと、皿の上に置いていたもう1本のフォークを手に取って、ケーキを口に運んだ。


「うーん、美味しい。やっぱり王宮のスイーツは格別ね。」

「それは良かったな。」


ギルバートは嬉しそうに食べるルフェルニアを見て、優しそうに目元を緩めた。


「さぁさ、ギルも食べてね。」


そう言ってふたりは、小皿に乗せたケーキが無くなるまで、ふたりきりの会話を楽しんだ後、早々に会場を後にした。


「今日はありがとう。助かったよ。」

「こちらこそ、素敵なドレスを贈ってくれてありがとう。楽しかったわ。ギルの言うとおり、何か言ってくる方はいなかったから、感謝ね。」


(やっぱり令嬢からの目線は痛すぎるほどに刺さったけどね!令嬢だけではなく、全員の女性に見られているような気がしたけれど…。)


ルフェルニアは遠巻きに見ていた女性陣の様子を思い出して身震いをした。痛く突き刺さる嫉妬の視線に加えて、何やらよくわからない視線も感じていたからだ。


「そうだろう、ちゃんと根回しは済ませたからな。

滞在もあと半分ほどだが、引き続きよろしく頼む。」

「ええ、少しでも帰国の前に話がまとまるように、私が頑張れるところは頑張るわ。」


ギルバートはルフェルニアを寮の前まで送ると、暗闇の中を馬車で引き返していった。


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