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ルフェルニアは予定の日に帰ってこなかった。


心配したユリウスは、わざわざ文官の女子寮まで赴き、管理人にミシャへ取り次いでもらったが「出張のついでに観光しているのではないですか?」と面倒くさそうに言われ、腑に落ちないまますごすごと庁舎の執務室に戻ってきた。

ユリウスが現れた女子寮でプチパニックが起こったことは言うまでもない。


ユリウスは心配のあまり、庁舎で一晩を過ごしたが、次の日の昼頃まで待っても、ルフェルニアを乗せた馬車は庁舎の前を通らなかった。

馬の足音がするたびに、窓ガラスに張り付いて馬車を確認するユリウスの様子は、普段のユリウスを知るルフェルニア以外の文官たちが見たら、きっと慄くだろう。


日が傾き始めたため、ユリウスは騎馬でテーセウス王国までの道を走ったほうが良いのではないかと考えていたところ、1台の立派な黒塗りの馬車が庁舎の前に停まるのが見えた。

ユリウスが、窓から様子を窺うと、中から体格の良い黒髪の男が降りてきた。


(最近ノア公国では大公の代替わりがあったと聞いていたが、あの人が新しい大公か。)


ユリウスは王宮に送られてきていた、ノア公国の大公の代替わりの書簡と、姿絵を見ていたため、すぐに馬車から降りてきた人物が大公本人であることに気づいた。


しかし、なぜわざわざ休日の植物局の庁舎前に停まるのか。王宮の門番も、今日植物局に来ても対応ができないことは伝えているはずだ。

ユリウスは首を傾げたが、馬車からもう1人が顔を出すと、息を呑んだ。ルフェルニアが同乗していたのだ。


ルフェルニアが、降りるのに少しまごついていると、ギルバートが手を伸ばし、ルフェルニアを抱き上げて馬車から降ろす。

ルフェルニアは顔を赤くしながらギルバートの胸を叩いて文句を言っているようだが、ギルバートは揶揄うように笑っている。


(どうして?)


ユリウスの背を嫌な冷や汗が伝う。バクバクと心臓が大きな音を立てている。


(どうして、ルフェはノア大公と親し気にしているんだ?)


ギルバートから地面に降ろされたルフェルニアが、ユリウスの居室の方を向かって視線を上げるたので、ルフェルニアとユリウスは必然と目が合った。

ルフェルニアは軽く会釈をすると、ギルバートを伴って庁舎へと足を踏み入れたが、ユリウスは一連の流れを呆然と見ていた。2人が視界から消えた後も、先ほど見た光景が何度も頭の中で再生される。


暫くすると、居室の扉から控えめなノックの音が聞こえた。ルフェルニアが、ギルバートを連れて来たのだろう。


「入っていいよ。」


ユリウスは一度深呼吸をして気持ちを落ち着けると、扉に向かって声をかけた。


「失礼いたします。ユリウス様、本日テーセウス王国から帰国いたしました。休日のところ恐れ入りますが、寮までの道すがら、庁舎を覗いたら貴方のお部屋のカーテンが開いていましたので、面会は早い方が良いかと思いノア大公のギルバート様をお連れしました。」


ルフェルニアは入室すると、早速ギルバートを紹介した。


「初めまして、ギルバート・ノアです。貴国の植物学の知恵がお借りしたくて参りました。」

「初めまして、ユリウス・ミネルウァです。植物局の局長を務めています。ノア公国には工業の面で大変お世話になっています。今回の来国にあたり、工業関係の者もノア様とぜひ会談を設けたいと申しておりました。」


ギルバートとユリウスは張り付けたような笑みで握手を交わす。


「ええ、こちらの知見も余すことなく共有することを約束しましょう。本日はこれで失礼しますが、明日以降のことはルフェを介してご相談させてもらえればと思います。」


ユリウスはギルバートが親し気に“ルフェ”と呼ぶので、思わず張り付けた笑みが剝がれそうになる。


「王宮には、外交担当の者もおりますので、そちらをお付けいたします。」

「一応、私事旅行も兼ねているので、あまり重苦しいのは嫌なのです。ルフェの許可も得ています。」


ユリウスがもの言いたげな目でルフェルニアを見ると、ルフェルニアは困ったように眉を下げた。


「出張中、ノア大公にはとても親切にしていただきました。帰国の途中にノア公国の首都にも寄らせていただいたので、ノア大公の滞在中に御恩をお返ししたいのです。」


「ルフェがそういうならば仕方ないけれど…通常業務の方は大丈夫なの?」


ユリウスはルフェルニアが他の男に心を砕くのが嫌で、思わず仕事を引き合いに出し意地悪なことを口にしてしまう。


「ええ、通常業務の時間外でノア大公とはやり取りをいたします。必要な場合は休暇を取得させていただければと思います。」


ユリウスはルフェルニアの考えが固まっていることがわかり、これ以上拒むことができなかった。

ユリウスは、いつだってルフェルニアに嫌われたくないので、どのようなときにユリウスの我儘を聞いてもらえて、どのようなときにルフェルニアの考えを尊重しなければならないのか、ルフェルニア本人以上によくわかっていた。

でも、最近はルフェルニアの考えが固まっているとわかっても、言いたいことが多すぎて、ユリウスは知らないうちにフラストレーションを溜めていた。


「わかった。でもノア大公とのやり取りで休暇を取得する必要はないよ。必要な外交なのだし。」


ノア大公とルフェルニアはあくまで仕事の関係、そう割り切らなければやっていられない。

そう思ってユリウスは口にしたが、ルフェルニアの横で成り行きを見守っていたギルバートが口を開いた。


「王都のお店を色々と紹介してくれるのだろう?それも仕事のため、とは言わないよな?」


ギルバートはユリウスに対するかしこまった態度とは打って変わって砕けた様子でルフェルニアに話しかけると、ルフェルニアは肩を揺らして笑った。

ギルバートは、ユリウスがルフェルニアをフッた、という話しを聞いていたから、少しだけユリウスに意地悪をしたくなったのだ。


「ええ、もちろん。私の行きつけから、ひとりでは入りづらそうで行っていなかったところまで全部一緒に付き合ってもらうんだから。」


ルフェルニアも親しい相手に接するように態度を崩したのを見て、ユリウスは唇をわななかせた。


「随分と仲が良いんですね…。」


(働き始めてから僕には敬語しか使ってくれないのに!)


ユリウスはルフェルニアに「なぜ、どうして」と今すぐにでも詰め寄りたい気持ちをぐっと抑えて平坦な声になるよう努めた。


「私は堅苦しいのがどうも苦手でして、ルフェには友人として接してほしいと私からお願いしたのです。貴方とお話しする機会も多いでしょうから、ぜひ私には気軽に接していただきたい。」


「…ありがとうございます。私にもぜひ楽に接してもらえれば。」


ユリウスとギルバートが未だぎこちなく視線を合わせると、少し沈黙が流れた。


「では!ユリウス様、お休みのところ失礼いたしました。」


ルフェルニアも少し気まずそうに会話を切り上げるとギルバートに退室を促した。


「休日に失礼した。また近日中にお会いしよう。」

「ええ、よろしくお願いします。

ルフェ、寮に荷物を置いたら少し時間を貰える?」


ユリウスは、ギルバートと共に部屋を出ようとするルフェルニアに声をかけた。


「ええと、今日はギルと予定が…。」

「”ギル”…?」

「私がそう呼んでほしいと言ったんだ。彼女を怒らないでほしい。」


ユリウスは心が黒く塗りつぶされるような気持ちになった。


(僕のことはユリウス”様”と呼ぶくせに。)


ギルバートのルフェルニアを庇うような発言も面白くない。

ユリウスは手を強く握り込み、何とか笑顔を浮かべると、再度別れの挨拶を口にして2人の退室を見送った。


「もう、無理…。死んじゃう…。」


ユリウスは1人になった部屋で、ソファに横になった。

先ほどまではパチパチと火花が飛び散るような怒りにも似た感情でいっぱいだったが、今はただ、悲しくて寂しい。

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