第62話 仙台駅前ダンジョン第10層(裏) vs 茨木童子④

 ピギーヘッドは弱い。

 その自覚がある。

 そういうものだとも思っている。


 いや、思っていた・・


 今日は晴れ舞台だ。

 台本通りだろうが、ピギーヘッドの強さを見せつけられる日だ。

 練習は痛く、苦しかったがなんとか耐えた。

 何度となく逃げそうになったが、やり抜いた。

 そんな経験はオクにはなかった――と思う。


 どうにも記憶が曖昧だ。

<ダンジョン>なるものができる以前が思い出せない。

 自分は戦士だった……気もするし、何者でもなかった気もする。

 存在してたかどうかすらおぼつかない。


 そんな自分に、ひとつ目の指針ができたのはいつのことだったか。

 それは気高い戦士だった。

 ダンジョンの中で刀を振るい、凛として立っていた。


 あれは……そう、ダンジョンの奥深くだ。

 存在するはずのない記憶。

 10層に役割ロールを当てられた自分ピギーヘッドには、あるはずもない記憶。

 だが、その戦士はたった一本の刀で自分よりもはるかに巨大な敵を斬り伏せ、臆することなど一度もなかった。


 サムライ、と言うらしい。

 サムライになろう、と思った。

 かすかな記憶を頼りに、衣服を繕い、口調を真似た。


 ふたつ目の指針。

 筋肉を捏ねて固めたような巨漢。

 本気の<カマプアア>様と力比べのできる大男。

 全身が古傷だらけで、時に獣のように吠え、時に間抜けに笑う人間。  


 彼は自分のような弱者にも容赦がない。

 狂ったような特訓を強いてくる。

 彼は自分のような弱者をも馬鹿にしない。

 真剣に怒り、真剣に戦い、真剣に笑う。


 ろくに表情も動かさなかったあのサムライとは真逆なのに、同じ匂いを感じる男。

 その男が、自分を鍛えてくれた。

 その男が、自分を認めてくれた。


 かつてないほどの力が、自分の奥底から湧いてくる気がした。

 ……気がした。


 現実にいるのは、両腕の痛みにうずくまる自分。

 血まみれの男を、横目に見るしかできない自分。


 あの鮫の怪物は、これみよがしに自分を狙っている。

 それをかばうクロガネを消耗させるのが狙いだろう。


 頭の中の冷静な部分が言う。

 足手まといだな。

 頭の中の冷静な部分が言う。

 いない方がマシだ。

 頭の中の冷静な部分が言う。

 何もしなければ、見逃してもらえるんじゃないか。


 ことあるごとに顔を出すオクの弱気を、クロガネは笑わなかった。

 怒鳴りつけ、捕まえて、放り投げ、砂利道に叩きつけた。

 たまらず逃げ出すと、喜々として追いかけ回した。


 記憶が、論理が、順序が、情緒がぐちゃぐちゃだ。

 わけもわからなくなって、つぶやく。


「まったく、馬鹿でござるか……」


 こんな自分に、どうしてかまう。

 こんな自分を、どうしてかばう。

 いまのオクには、理解できない。

 だが、胸の奥が、腹の底が、たぎってくる。沸騰する。吐き出しそうになる。


「うわぁぁぁぁあああああ!!」

「オクっ!?」


 考えもなく飛び出す。

 目指すは水面マットから飛び出した鮫男。

 低い姿勢のタックル。

 短い期間で習った数少ない技。

 肩の肉が削られる。

 痛みが走る。鮮血が舞う。

 みじろぎひとつで弾き飛ばされる。


「なんですかネ、突然。恐怖でおかしくなったのですかネ」


 鮫男が嘲笑う。

 ああ、そうだ、俺は頭がおかしくなったんだ。

 俺が突っ込めば、クロガネがかばう隙もない。

 ぶっ込んで、ぶっ込んで、肉の一欠片になるまでぶっ込んで、そして死ぬ。


「ふぎぃぃぃいいいいいい!!」


 皮が剥げるのを。

 肉が削がれるのを。

 骨が折れるのを。

 すべて、すべて許容する。

 限界を超えた痛みが、脳を、神経を、魂を根幹から麻痺させる。


 両手の爪が残さず剥がれる。

 指先の肉がなくなり、骨で掴みかかる。

 身震いひとつで振りほどかれる。

 噛みつく。

 皮一枚も破れない。

 振りほどかれる。

 舌と唇が鮫肌に削り取られる。


「ぶがぁぁぁああああああ!!」

「な、何なんですかネ!? 無駄なあがきはやめませんかネ!?」


 傷ひとつない鮫男がたじろぐ。

 涎まみれの血を吐き出しながら、それを追う。

 尾の一撃で、軽々と吹き飛ばされる。

 マットに叩きつけられる。

 照明が眩しい。

 リング中央だ。

 視界の端で、何かが光る。

 白く、鋭い何か。

 無我夢中でそれを掴む。

 鮫の牙。

 五指の間に握り込む。

 四つん這いで立ち上がり、四つん這いで駆ける。


「しつこいですネ! 無駄だとわからないのですかネ!」


 鮫男は、水面マットに逃れようとする。

 がむしゃらな攻撃に恐れをなしたのか。

 あるいはクロガネを警戒しただけかもしれない。


 だが、どちらでもいい。

 これが、間に合えば。


 両腕を突き出し、全力で飛びかかる。

 ずぶり、と肉の感触。

 そのままねじり込み、身体を密着させる。


「がぁぁぁぁああああ!? 何をっ!? それは小生の牙っ!?」


 鮫の身体がのたうち回る。

 だが、今度は離さない。

 握り込んだ牙が手の肉を割り、骨に食い込む。

 密着した肌が、じゅぶじゅぶと濡れた音を立てて削られていく。


 だが、知ったことか。

 肉の一欠片になるまで戦い、そして死ぬと決めたのだ。


 'Oku'eku'eオクエクエ Limaリマ Kauaカウア ――牙の拳。

 それが戦士<オクエクエ・リマ・カウア>の真の意味。

 人喰鮫に飛びかかり、その身一つで狩る戦士の名前。


 遠く、曖昧な記憶が脳裏に浮かぶ。


 いつまでも続く激痛。

 目まぐるしく変転する視界。

 遠のきはじめる意識。

 ふっと身体が軽くなり――


「ナイスファイトだぜ、オク」


 耳慣れた声がした。

 両手の力が抜け、マットに落ちる。

 なんとか顔を上げる。

 霞む視界に、照明を背にした異形のシルエット。


「二つ折りに畳んでやる。覚悟しやがれ!」

「やめっ!? やめネっ!?」


 そこには、仁王立ちのクロガネの姿があった。

 その頭上には鮫男が載っていた。

 鮫男の喉と尾鰭を掴み、弓反りに引き絞っていた。


 ――弩級式バリスタ背骨砕きバックブリーカー


 クロガネの必殺技フィニッシュホールドのひとつ。

 変形のアルゼンチンバックブリーカーが炸裂していた。

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