第50話 某の名は。

「ピギーヘッドが地上に……」

「わー、かわいい。ねえ、クロさん、この子飼ってもいい?」

「保健所的にアウトなんじゃねえかなあ」

「それがしはペットではないでござるよっ!?」


 思わぬ獲物を捕らえてしまったクロガネは、それを連れて食堂に戻ってきた。

 アカリは目を丸くし、ソラはピギーヘッドの頭を撫でている。

 当のピギーヘッドはなんとか逃れようともがいているが、クロガネの太い腕はびくともしない。


「とりあえず離してあげたら? 凶暴な感じじゃないし」

「ノミとか持ってねえか? 先に風呂に入れた方がいいかもしれん」

「それがしを拾った野良犬みたいに言わないでもらえるでござるかっ!?」

「と、とりあえず話を聞きませんか? というか、言葉を話すピギーヘッドなんて聞いたこともないですよ」

「「あっ」」


 クロガネとソラの声が揃う。

 そういえば、ピギーヘッドは豚に似た鳴き声を上げるだけでしゃべっているところなど見たことがない。トビホタルイカにダンジョンストリートの店員、神社の脳みそなど、この数日で人語を操る異形に何度も遭遇していたため、すっかり感覚が麻痺していたのだ。


「たしかに、ペットがしゃべったら違和感あるかも」

「エサの文句なんかつけられたら絶対かわいくねえぞ」

「だからペット扱いはやめるでござるっ!?」

「すまんすまん、冗談だ」


 クロガネが手を離してやると、ピギーヘッドは椅子の上に正座をした。

 改めて見れば服装も普通のピギーヘッドとは異なり、オーバーオールではなく時代劇に出てくる武士のような着流しに身を包んでいる。

 ピギーヘッドは両膝に拳を乗せると、軽く頭を下げた。


「それがしは<オクエクエリマカウア>と申す者。偉大なる海の王<カマプアア>に仕えし近習きんじゅうでござる。他でもない用向きがあり訪ねて参ったでござる」

「オクオク……なんて?」

「エクエクじゃなかったっけ?」

「<オクエクエリマカウア>でござる!」

「ええと、オクエク、エリ、マカウアさん?」

「区切るのなら<オクエクエ・リマ・カウア>でござる!」

「そ、そうですか」


 クロガネたちは三人で顔を見合わせる。

 あまりに馴染みのない名前過ぎてさっぱり覚えられそうになかったのだ。

 ソラが唇を尖らせて「うむむ」と唸り、それから右手をぴょんと挙げた。


「じゃあ、オクちゃんでいい?」

「ああ、それなら覚えやすくていいな」

「それでは、改めてお伺いしますがオクさんは何かご用件があっていらしたんですか?」

「返事を待たずに略したでござるな!? まあ、よいでござる。我が主<カマプアア>より書状を預かって参った。委細はこちらを読んでほしいでござる」


 オクと名乗ったピギーヘッドは懐から巻物を取り出し、うやうやしくテーブルの上に置いた。

 大きな植物の葉を丸めたもののようで、封蝋が施されている。

 封蝋にはデフォルメした猪の印が押されていた。


 クロガネは封蝋を剥がして巻物を広げる。

 そこには、見事な達筆で何かが書きつけられていた。


「……ソラ、読めるか?」

「無理に決まってるじゃん」

「あっ、たしか崩し字が読めるアプリがあったような」 


 アカリがいそいそとスマートフォンを操作し、アプリをダウンロードする。

 カメラをかざしてようやく文章が読み取れた。

 その間、オクはじっとしたまま動かず、口も開かない。

 何も説明せず、予断を持たずに読んでほしいということか。


「それでは、読み上げますね。『オレっちは海を統べる神王<カマプアア>だ。アンタとは、はじめてり合ったときから思わず震えちまったぜ。あんな骨のある人間はひさびさだった。その後の戦いも見てたぜ。それで、アンタを見込んで頼みがある。オレっちの舎弟――眷属の<イアヘレワワエ>どもにプロレスを教えて、鍛えてやってほしい。アンタら云うところのピギーヘッドだな。それじゃ、夜露死苦!』……だそうです」


 クロガネはぼりぼりと頭をかいた。


「ええと、それ、ホントに書いてあるんだよな?」

「は、はい。本当にこの通りですね」

「なんでその文面で達筆なんだよ……」

「それがしが祐筆を勤めたでござる!」


 オクが胸を張っている。

 クロガネはため息をついて、ぼりぼりと頭をかいた。


「細けえことはいいとして、要するにピギーヘッドたちにプロレスを教えてくれってことか?」

「そのとおりでござる。我らが偉大なる主からの直々のご下命、ありがたく賜るがよいでござる」

「まだわかんねえんだが、カマプアアって猪みてえな頭のでかいやつだったよな? あいつならこれになっちまったはずだが……」


 クロガネは左腕を上げ、手首に巻いた牙の首飾りを見せる。

 あの猪頭のモンスターは消滅し、代わりにレアドロップを残していったのだ。

 しかし、それを聞いたオクはカラカラと笑って首を振る。


「人間如きが<カマプアア>様を倒したなど、思い上がりも甚だしいでござる。お主が戦ったのは分霊のひとつに過ぎぬでござるよ。本来の実力であればお主など片手でひねったでござろう」

「へえ、俺を片手でね。面白え冗談じゃねえか」


 クロガネの顔に凶相が浮かぶ。

 唇の端が釣り上がり、白い歯が牙のように覗いた。

 筋肉が脈打ちながら盛り上がり、得体の知れない圧力が発せられる。

 オクの目には、クロガネが一回りも二周りも大きく膨らんで見えた。


「ま、ま、待つでござるよ。短気はよくないでござる。短気は損気と昔から申すでござる。此度、それがしが参ったのはあくまで書状を届けるため。そ、その書状も決して果たし合いの申込みなどではないでござる」


 思わず、早口になる。

 冷や汗がダラダラと垂れ落ちる。

 三角の耳がぺたんと折れ、ぶるぶると震えた。


「ちょっとクロさん、オクちゃん怖がらせたらダメじゃない」

「おお、すまんすまん。それだけ強いやつがいると聞いたらつい、な」

「ま、気持ちはわかるけどね」


 圧力がふっと消えた。

 クロガネはぼりぼりと頭をかいてぼやく。


「つまり、出張プロレス教室を開いてくれってことか。そんなんやったことねえぞ」

「それに外はあんなだし、出かけられる状況でもないよ」

「移動の心配は無用にござる。まずは我らが王にお目通り願いたい故、ついてくるでござるよ」


 オクは椅子からぴょんと飛び降りると、手招きをして歩きはじめた。

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