幸せな朝

「もう少し甘い方が良いかなあ……」


 卵液にもう一摘みだけ砂糖を加えて、箸の先で再度味見をする。


 

「うん。これで良い感じ!」


 私は、先ほどとは別の箸を使って、卵液を四角いフライパンに流し込む。


 卵が固まるのを待っていると、「おはよう」と、背後でなずなの眠そうな声がする。



「……あれ? 良い匂いがする」


「今日はなずなちゃんのためにお弁当を作ってるんだ。なずなちゃんのお嫁さん気分、なんちゃって」


 私は、なずなのパジャマの上に、昨日なずなが着ていたエプロンを身につけている。



「お弁当!? かのちゃん、ありがとう! 嬉しい!」


 ネグリジェ姿のなずなが、私に後ろから抱きつく。


 これだと本当に新婚みたいじゃないか。



 なずなの腕を振り払うのはあまりにももったいなかったので、私は、一旦フライパンの火を消す。


 私はなずなに抱きつかれたまま、後ろを振り返る。そして、おはようのキスをする。



「……かのちゃん、ところで今何時?」


「多分十時くらい」


「え!? 本当に!? ヤバい!!」


「あれ? なずなちゃん、もしかして朝から用事があった?」


「ううん。夕方のライブまで何も予定はない」


 なずな、というか、アイラッシュの予定は私も把握している。今日は十七時から大手町VR劇場で単独ライブがある。



「じゃあ、なずなちゃん、何がヤバいの?」


「こんなにぐっすり寝れたの、めちゃくちゃ久しぶりでヤバい」


「私と一緒に寝たからだね。私を抱くと安眠効果があるんだよ。うふふ」



 昨夜、行為の後、なずなは私より先に眠りについていた。小瓶の薬には一切手を付けずに。



「じゃあ、かのちゃんと同棲しちゃおうかな」


「……良いよ。恋人同士だし」


 なずなが私の髪を撫で、再びキスを求めたので、私は応じる。


 火を止めているとはいえ、このままだとフライパンの余熱で卵が固まり過ぎてしまう。


 ただ、唇を離すことができない。



「かのちゃん、今日の予定は?」


「……今日は午後から大学があって、五限まであるんだよね」


「五限って何時に終わるの?」


「十七時五十分」


「じゃあ、ライブには間に合わないね」


 大学から劇場までは三十分以上掛かる。ライブは十八時には終わるから、確実に間に合わない。



「……五限サボろうかな」


「かのちゃん、それはダメ。私のことより自分のことを優先して」


「でも……」


「でも、じゃない。かのちゃんはたくさん勉強して、将来、私なんかとは違って、立派な人になるの」



 なずなは、ふとしたときに、自分を卑下する発言をする。なずなが睡眠薬を常用していることと同様に、今の私にはそれが不思議でならない。


 いつか私も、なずなの陰の部分を知り、それも含めてなずなの全てを愛することができるのだろうか。



「ともかく、かのちゃんは、私のことで大学の授業をサボっちゃダメ」


「今後一切?」


「今後一切」


「えーっ!?」


「その代わり、良い物あげるから」


「良い物? 何?」


 なずなは私から身体を離すと、玄関の方へと向かう。そして、靴箱をガサゴソと漁ると、そこからシリンダー錠を取り出した。



「これ、私の家の合鍵。引っ越してきた時にもらったやつ。かのちゃんにあげる」


「良いの!?」


 合鍵をもらえたということは、同棲、とまでは言えずとも、半同棲である。



「だから、今日はライブには来ないで、授業が終わったら、ここで私を待ってて」


「はい!」


 私はなずなからシリンダー錠を受け取ると、無くさないように、一旦部屋に戻り、私のポーチの中に入れる。



 私は、頬が緩むのを止められない。


 なずなの冷蔵庫の中には、お弁当を作っても、まだそれなりに食材があった。



 今日は、晩御飯を作ってなずなの帰りを待とう。



 そして、今夜もまた私がなずなの「睡眠剤」代わりになって、なずなをぐっすり寝かせてあげるのだ。

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