四十三話

 細川尚春ほそかわひさはるの軍勢が小豆島しょうどしまから取って返し、淡路島のみなとに上陸したのは伝令を貰った次の日の夜半であった。

 籠城で死力を尽くして防衛しているであろう湊城に尚春は早速入城したが、そこには戦いで疲れ果た城兵が居ても三好の軍勢は一人も居ない。

 尚春は三好之長みよしゆきながの偵察によって、帰還を察知されたかと考え養宜館やぎやかたに兵を退いたのではないかと考えたが、野口志摩介のぐちしまのすけらは涙ながらに、之長の軍勢の夜襲によって南淡路一帯が一夜の内に火の海になったこと、養宜館から国府こくふまでの村々が乱取らんどりされ、青田刈あおたがりにより田畑は荒らされ、苗が刈り取られ、今年の収穫が絶望的な事、三好の軍勢は夜襲の成功に満足したのか前夜の内に速やかに撤退したことが告げられた。

 疲れ果て、やつれた顔の志摩介を見ると憤りと共に申し訳無さが込み上げ、とにかく妻子よりも志摩介ら湊城の守兵たちを労り、特に養宜館から洲本城すもとじょうに妻子を退避させた志摩介には自らの懐から取り出した短刀をたまわったのである。


 「志摩介、そなたのお陰で妻や彦四郎の命は救われた。今はこれしか無いが、許せ。」


 志摩介はその短刀を押し抱くと感激のあまりに嗚咽おえつらす。


 「殿のお言葉、まことに痛み入ります。しかし、私は養宜館で之長との戦いにあえなく破れ、館は灰燼かいじんに帰し、我が城も落とされました。私が今も命を全うしておりますのは湊城の者達のおかげ、この者達の働きにも必ずや報いてくださりませ。」


 志摩介が涙ながらに訴えると尚春は力強くうなずいた。

 しかし、之長が速やかに撤退したことにより、矛先を失った五千の軍勢は、もはや戦機も戦意も失い、阿波征伐軍は之長の掌の上で踊らされただけで戦いは終わったのである。


 京でこの報告を受けた細川政元は表面上は冷静に


 「小豆島に兵を出して淡路を急襲された。そのため淡路に引き返し之長と決戦しようとした。までは良い。だが分からぬ。何故その後、戦わず軍を撤兵させたのじゃ?軍船も無傷であったのじゃろう?」


 疑問を呈したが淡路から遣わされた安宅実俊あたぎさねとし


 「しかし、淡路は之長の乱取りにより目も当てられぬほど荒れ果て、城館は焼き尽くされ、もはや戦などできぬ状況。焼き出された民は窮民きゅうみんとなり、このまま捨て置けば淡路は夜盗の巣窟と成り果てます。」


 そう報告した。

 政元は唇を噛み怒りに顔を紅潮させると手に持っていた扇子を力任せに投げ付け、実俊の額を殴打し赤く染まる。


 「そなたら自らの所領を焼き尽くされ、一合戦もせずに、よくもおめおめと生きて、そのような報告ができたな!武士の面目はないのか!」


 実俊はひたすら平伏し畳に額を擦り付ける姿を見て細川高国ほそかわたかくに


 「仰るとおり此度の件、之長の略奪に任せて合戦せぬは、まこと恥ずべき事にござるが、守護たるべき者、領民をいつくしまぬは、昨今、土一揆つちいっきも多うござるゆえ、難しかろうかと存知ます。」


 そう言って横から助け船を出すと高国は政元の側に寄って


「淡路は阿波、讃岐を結ぶ交通の要衝、淡路が我らにそむきますと瀬戸内せとうちの交易にも支障が出ますぞ。叛かれて阿波に味方すれば厄介。そうなれば阿波が増長し、みやこに攻め上がってくるは必定。畠山と挟み撃ちになりかねませぬ。ここは和議を結んで澄元様すみもとを世継ぎとし、阿波を籠絡ろうらくすべきでござろう。」


 高国の耳打ちに政元は唸り声を上げる。


 「澄之すみゆきを・・・廃嫡せねばならぬ・・・」


 政元は苦しげにそう言うと


 「今はそうも言うておれませぬ。もしもこのまま畠山のように阿波と争えば、大内に付け込まれ、必ずや前公方をお連れになって上洛されましょう。果たして、その時、我らはそれをこばむことができましょうや?」


 政元の幕府における権威は絶大であったが、畠山が力を付け、阿波と争い、実はそれほど余力は無かった。

 そこに大内の軍勢が上洛すれば細川家は滅亡しかねない。

 そして大内には前公方足利義尹あしかがよしただが将軍に復位することを虎視眈々こしたんたんと狙っているのである。

 自らが追い出した将軍を再び迎え入れる。

 そのようなことを政元は絶対に受け入れることはできなかった。

 政元には和議を受け入れるしか道がなかったのであった。

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